2017年06月28日

ファンを相手にデマを流したモーリス・ギブ

 デイヴ・モレルは1970年代からニューヨークのレコード会社で宣伝マンとして活躍した人物です。当時の体験を綴った回想録『The Morrell Archives』全6巻のうち、現在は3巻目までが自費出版の本として世に出ていますが、ロック・ファンなら誰もが死ぬほど羨ましく思う体験の話が満載。詳しいことは本を読んでください。
 今日紹介するインタビューは3巻目『45 RPM (Recollections Per Minute)』が出版されたタイミングでジェイ・ギルバートの業界人インタビュー・ブログに掲載されたものなのですが、私が注目したいのは〈Have You Heard The Word〉というシングルの件。1970年代には「ジョン・レノンがビージーズとレコーディングしたものという噂がある」という謎のレコードでしたが(真相はこちらのサイトで)、ヴォーカルがジョンの声によく似ているということ以外に、ビートルズのレコーディングかもという奇妙な噂が立った原因があったのです。

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デイヴ・モレルとコーヒー・トーク
聞き手:ジェイ・ギルバート


 デイヴ・モレルは少年時代から数々のロック・バンドのファンであり、1964年初頭にアメリカを席巻したビートルズ熱に感染して以来、この病気は治らないまま。ビートルズを研究し、ビートルズのメンバーにも会った。墓地で草刈りのアルバイトに就いた後、レコード会社の倉庫で働き、その時、誰かからレコードを持ってラジオ局に来いと頼まれた。これは学校の勉強や宿題よりもいいじゃないか。デイヴはシングル・レコードを数枚持って、この世界に飛び込んだ。デイヴは自分の体験について本を3冊書いている。

音楽業界で働く人には皆、お気に入りの「先輩業界人」がいるものですが、あなたにとってのそういう人物を何人か教えてください。

 1985年2月22日にブルーノートのブルース・ランドヴォールからディナーに誘われたんだ。ブルースは大の音楽ファンで、面白い話も持ってる人物だった。音楽好きであるだけでなく、業界に入り込み、アーティストや自分が好きな音楽にとってリーダーとなった(あの偉大なジョン・ハモンドのように)。この晩、自分のお気に入りのミュージシャンに歴史的なリユニオン・コンサートを行なってもらうのが、彼の夢だった。業界のリーダー的存在の人はまわりにたくさんいたけど、共感出来る人と接するとさわやかな気分になる。ブルースの隣でこのショウを見ることが出来て、とても幸せだった。この伝説的人物の心のあたたかさと魅力は忘れたことはない。
 次はジョン・レノン。想像してくれ。ジョンが出演してるラジオ局にファン・レターを書いたら、局の人がそれをジョンに渡してくれたんだ。そしたら、ジョンがオレに会いたいって言い出した。夢が叶ったよ。自分のコレクションの中から、ジョンが見たことないだろうと思ったものをスーツケースに詰めて、持って行ったんだ。これは宝箱みたいなもので、ジョンは手に取ったもの全部を気に入ってくれた。オレはジョンにファンとして会い、スタジオと彼の自宅で一時を過ごした。好きなアーティストに手紙を書いたってこと自体、今でも信じられないなあ。業界でやってこれたのは、もとを正せば、この人のおかげだし。

スコット・ムニとリック・スクラーは? この2人のラジオ界の重鎮と確かな人間関係を持っていたでしょう。ニューヨーク・シティーで宣伝マンとして成功していたんですから。

 もちろん。スコットの番組は聞いてたけど、彼が局を運営しているボスだとは知らなかったし、リックが何者なのかも全然知らなかったんだ。リックは厳格で厳しく、まさに勝ち組といった人物だった。会った時も、オレは長髪にビートルズ・ブーツって格好だったけど、リックはスーツにネクタイだった。子供の頃、WABCを聞いていて、ビートルズに関連した宣伝をたくさん覚えていますと言うと、リックはオレを追い払うどころか、面白い話をたくさん聞かせてくれた。どういうふうにして数々の宣伝アイデアを思いついたとかさ。リックともスコットとも仲違いしたことはない。ふたりとは亡くなるまでいい友人だったよ。

自分のDNAの一部となってるような曲、悲しい時とか、これを聞くと気が紛れるという曲、絶対に感動する曲、元気になれる曲のリストを作るとしたら、どんな曲を入れますか?

 「男全員に女の子がふたりずつ…」ジャン&ディーンの〈Surf City〉だ。頭の中が女の子のことでいっぱいの年齢だった。当時のオレには、グリニッジ・ヴィレッジよりサーフ・シティのほうが魅力的だったんだよな。1963年だとオレは10歳だった。スワンから出たビートルズの〈She Loves You〉のシングルは、音がレコード盤から飛び出して来る。かなりやかましかったから、オヤジやオフクロから「音を小さくしなさい」って苦情が必ず飛んできた。
 リンダ・ハーグローヴの〈I've Never Loved Anyone More〉もいいね。一緒に仕事をしたことがあるよ。リンダは孤独で、ニューヨーク・シティーのことを怖がっていた。ショウの後、オレは彼女の滞在している部屋に行ったら、この曲を歌ってくれたんだ。オレは涙が出て来たよ。ジェニファー・ハドソンがこの曲を発見して、ホイットニーがドリーにやったのと同じことをやったなら、1970年代最大のヒット曲になっただろうなあ。発見されるのを待っていた曲だね。
 ウィルソン・ピケットの〈Love Of My Life〉は誰も聞いたことがないR&Bの隠れた超名曲だなあ。



 ザ・フットの〈Have You Heard The Word〉もいい曲だ。ビージーズのショウの後、外でファンとしてモーリス・ギブにビートル・アンプ(1966年のビートルズのツアーで使用されていた)について訊いたんだ。そしたら、顔を近づけて、オレの耳もとで尋常でないことを囁いた。「シーッ。誰にも言っちゃダメだよ。実はね、ジョン・レノンと一緒にレコードを作ったんだ。タイトルは〈Have You Heard The Word〉で、名義はザ・フットにした」って。オレはモーリスを見ながら、頭がクラクラしたよ。このレコードを見つけるのに2年かかった。聞いてみて、もうびっくり。ジョンとモーリスが歌ってるんだからさ! ということで、ジョン・レノンにも話したんだよ。「オレは秘密を知ってるよ」って。そしたら、ジョンは大笑いしながら、モーリスとレコーディングしたことなんてないよと答えた。オレはまんまと騙されてたんだ! でも、曲自体はいいと思うよ。(デイヴがジョンに会ったのは1972〜3年のこと)

あなたのデスクのところに来て、あなたも皆に聞いてもらいたいと願ったのに、ヒットには至らなかったアーティストはいますか?

 フレッシュ・フォー・ルルの〈Postcards From Paradise〉はオレがA&R部に配属されなかった理由のナンバー1さ。もしその仕事をしてたら、この駄曲に全てを賭けてただろうな。

誰があなたの師でしたか?

 ワージー・パターソンだ。今は87歳だ。ワージーはコネチカット大学時代はバスケのスター選手で、その後、プロの世界で活躍した最初の黒人選手のひとりだ(1950年代半ばにセントルイス・ホークスで活躍)。ワージーはRCAに入社して、最初に宣伝を担当したレコードがホセ・フェリシアーノの〈Light My Fire〉だった。ワージーに会ったのは、1972年にWEAの倉庫で働いてる時だった。オレをかわいがってくれて、1974年初頭にはオレをWBの宣伝マンに抜擢してくれたんだ。1日宣伝活動をして帰ってきて、誰かのためにコンサートのチケットか何かが必要だった時、ワージーは他の連中とは違って、オレがそいつの約束を果たせるように、チケットを回してくれた。他の担当者は「これはオレがもらったもんだ」って吠えるだけで、譲ってくれなかった。オレが局を訪問して手応えをメモ書きしても、番組ディレクターや音楽ディレクターが曲についてどう「思ってるか」にはワージーは全く関心はなく、彼らが「いつ曲をプレイリストに加えてくれるのか」を知りたがった。おかげで新しい考え方、解決のし方、前進のし方を勉強したよ。ワージーがキレるのも見たことない。自分の考えを通すには別のやり方があるってことに気づくのに役に立ったよ。

この仕事の最もおいしいところって何ですか?

 天気のいい日には社外に出てラジオ局めぐりをして、寒くて雪が降ってる日には社内にいれることかな。遠くの都市に行って、現地の宣伝マンに会うと、観光客目線ではなく、彼らの視点でアメリカを見れて楽しかった。こういう話をする時に思い出すのがニューオリンズだ。

The original article "Coffee Talk with Dave Morrell" By Jay Gilbert
http://jaygilbert.tumblr.com/post/161334286566/coffee-talk-with-dave-morrell
Reprinted by permission


    
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2017年06月25日

1969年10月20日(月)深夜にWABCが報じたポール・マッカートニー死亡説

 『ポール・マッカートニー死亡説大全』第10章「10月20日(月)深夜:ニューヨーク」で取り上げられている深夜放送がyoutubeで聞けます。
 それまではポール死亡の噂はローカル局やアングラ新聞等でしか報じられておらず、メジャーなマスコミでは「しっかりとした裏付けのない、くだらない噂は取り上げない」という方針だったそうです。が、ニューヨークのWABCというメジャー局の人気DJ、ロビー・ヤングがこの禁を破って自分の番組内で話してしまいました。AM放送ゆえ夜は電波がほぼ全米に届くので、翌朝には大騒ぎに! 是非『ポール・マッカートニー死亡説大全』第10章を読みながら聞いてください。



   


ポール死亡説関連記事:

ジミ、マイルスの電報とポール死亡説
http://heartofmine.seesaa.net/article/360945510.html

ポール・マッカートニー死亡説関連曲〈Saint Paul〉
http://heartofmine.seesaa.net/article/447441598.html

『ポール・マッカートニー:最初で最後の完全物語』音声がネットに登場
http://heartofmine.seesaa.net/article/423091022.html
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2017年04月16日

『ビートルズ・ストーリー Vol.8 1969』にポール死亡説

 『ビートルズ・ストーリー Vol.8 1969〜これがビートルズ! 全活動を1年1冊にまとめたイヤー・ブック』に「ポール・マッカートニー死亡説」に関する記事を書きました。1969年ときたらポール死亡説は避けて通れません。

 


 ロックンロール叢書の『ポール・マッカートニー死亡説大全: ビートルズ末期に起こったロック史上最大の珍事』は、ポール来日記念ということで少し前から値下げしています。ボブ・ディランの本『「ジューダス!」ロック史上最も有名な野次: マンチェスター・フリー・トレード・ホールに至る道』もよろしくお願いします。どちらも読み放題のkindle unlimitedに登録してあります。

  
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