2012年02月28日

地獄の天使スウィート・ウィリアムの悲劇

 実はジャニス・ジョップリンというよりは、ヘルズ・エンジェルズのメンバー、スウィート・ウィリアムについての話題です。彼は1968年12月にケン・キージー率いる訪問団に加わってアップルに行き、その次にロック史に登場するのは約1年後のオルタモント事件の時です。当時ストーンズのマネージャーだったサム・カトラーが、ステージの警備をやってくれないかと話を持ちかけた相手がスウィート・ウィリアムだったらしいですね。オルタモントに関しては、複数の当事者が各自の立場から書いた本が出ていて、どれを読んでも怖さ満点。真夏に読んだら冷房はいりません。

   

 それで、私がずっと不思議に思っているのが、こんな事件を起こしておきながら、ヘルズ・エンジェルズがサンフランシスコのロック界と仲が悪くなっていないことです。1976年11月にウィンターランドで行なわれた『ザ・ラスト・ワルツ』の詩の朗読コーナーにはローレンス・ファーリンゲティやマイケル・マクルーアといった大御所に混じってスウィート・ウィリアムが登場し、自作(?)の詩を披露すらしているのです(1:02:25〜1:06:10)。



 もちろん、スコセッシ監督のあの映画には登場していませんが、コンサート当日に会場のロビーや廊下のテレビで流していたノーカット映像にはしっかり映っています。ただし、左半身が麻痺し、杖をついています。アップルやオルタモントでは大活躍(?)していたのに、いったいどうしたのでしょうか?

 アル・アロノヴィッツの《The Blacklisted Journalist》にこんな悲しい話が書いてありました。


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posted by Saved at 11:57| Comment(0) | TrackBack(0) | Janis Joplin | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする