2013年12月01日

NY Rock'n'Roll Life【23】1971年、5,000人以上を前にしたギグと不毛なロンドン滞在

 Huffington Postにアップされているビンキーの記事、まだほんの一部しか訳してません。ここでは私の好きなミュージシャンにまつわる記事しか紹介してないのですが、彼の本当に重要な証言はニューヨークのパンクシーンに関するものではないかと思います。ザ・ダムドのCBGB初見参に関する記事はこんな感じで始まります:
 既に聖地になりかけていたCBGBでプレイした最初のイギリスのパンク・バンドである彼らは、目覚ましいやり方でアメリカのパンク・シーンを作り、それを強固なものにした。このバンドが池に投げ込まれた石となり、周囲にさざ波が広がっていったのだ。パンクにとって、1974年、75年、76年は何に成長するのかよく分からない発酵状態の期間だった。
 1960年代には、ザ・フーやヴェルヴェット・アンダーグラウンド、ストゥージーズが、それぞれが独自の貢献をしながら、パンクの基岩を作っていた。
 1972年にはニューヨーク・ドールズがビジュアル的にレベル・アップして、音楽的には粗削りなサウンドという限界の中でどんちゃん騒ぎをしていた。1970年代前半は、ELPやジェネシス、イエス、キング・クリムゾンといったプログレッシヴ・ロックの、これ見よがしのテクニックの絶頂期だったのだが、ドールズはこうしたシステムに対して粗削りのショックを与えた。
 1974年にはラモーンズが登場した。彼らはザ・フーやストゥージーズ、ドールズを崇拝し、リード・ギターなんか必要ねえよ、2分より長い曲なんて必要ねえよ、そして時には、1ヴァース以上の歌詞なんか必要ねえよ、というコンセプトをさらに蒸留、純化した。
 しかし、共通点のない風変わりなバンドと、世界中にいる彼らの他から疎外されたファンを、ひとつの真のムーヴメントに変えたのは、1976年半ばにイギリスで起こったパンクの爆発だった。1964/65年に起こったオリジナルのブリティッシュ・インヴェイジョン以来、いつものことなのだが、イメージとパッケージングに関して、イギリス人はアメリカ人よりも明らかに優れた理解力を持っている。
 CBGBには開店以来ずっと通っていたから分かるのだが、ラモーンズとテレヴィジョンとブロンディーとパティー・スミスには、コマーシャル性がないこととレコード契約を得ようと必死だったこと以外は、何の共通点もなかった。
 この頃には、オレのバンド、プラネッツはニューヨーク・シティーではかなり人気を確立し、メジャー・レーベルからも関心を持たれていた。だから、オレがザ・ダムドをチェックしにCBGBに行ったのは、ファンだったからではなく、「ライバル」をチェックするためだった。実際、オレは喧嘩腰だった。ヴェルヴェット・アンダーグラウンド、ニューヨーク・ドールズ、ラモーンズは皆、ニューヨーク・シティーのバンドだった。だから、オレの町こそパンクの爆心地なんだ。ザ・ダムドのファースト・シングル「ニュー・ローズ」(当時ですらパンクの名曲扱いだった)は大好きだが、その人気上昇中の成り上がりのイギリスのバンドに対し、その晩のオレは「来るなら来い」と頑なな気分になっていた。

 彼なりのパンク史観が手短にまとめられているここまでは私にも理解できますが、この後、ザ・ダムドのステージに関して延々と熱く語られると、全くのお手上げ状態です。パンク・ムーヴメントに詳しい方、訳してください。きっといいこと書いてあると思いますよ。
 今回は、まだパンクが誕生する前の話です。


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2013年09月16日

NY Rock'n'Roll Life【21】ホテルのスイートでピート・タウンゼントに面会したぜ(1974年)

 ピート・タウンゼントの自伝の日本語版が出たのを記念して、2ヶ月半ぶりにザ・フーに関する記事をアップしましょう。ここでずっと紹介しているビンキーの回想録の続きです。1974年6月のマディソン・スクエア・ガーデンは、映画『トミー』の撮影の合間に行なわれたもので、ピート自伝p.268〜269(←Harper Collins社のハードバック版)にも、この時、前列のファンから「ジャンプしろ」と命令されつづけ、まるで自分が道化であるかのように感じたことが書かれています。自伝のこの箇所に差し掛かったら、下の「記事本文を読む」をクリックしてください。

  




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2013年06月30日

NY Rock'n'Roll Life【20】〈ヘヴン・アンド・ヘル〉グラスが割れるエンディング〜ロンドン・ロック紀行(1970年6月)

 ふだんは地元ニューヨークでたくさん面白い体験をしているビンキーですが、1970年6月に生まれて初めてロンドンに行った際にもなかなか濃い〜体験をしています。一番びっくりなのが、スタジオに行ってザ・フーのシングル〈ヘヴン・アンド・ヘル〉の編集作業に立ち会った話でしょうか。以前からずっと、この曲を聞くたびに、フェイドアウトが早すぎてやや尻切れトンボのような変な終わり方をしているのが気になっていたのですが、その理由が判明しました。



【ここでまずは記事本文を読んでください。そして、その後で、ここから先を読んでください】

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 今まで、エンディングについてはフェイドアウトがやや無理矢理で早いんじゃないかという程度の意識しかなく、グラスが割れる音の存在には全く気づかず2013年6月まで生きてきてしまいましたが、ザ・フーに詳しい恐山サイクル二郎さん(ヲタ)もそうだったようです。グラスの音について問い合わせたところ、最初の返事は「そんなの聞いたことないよ」でした。しかし、すぐ手元にある〈ヘヴン・アンド・ヘル〉入りCDをいくつか聞いて調べ、グラスの音のあるバージョンとないバージョンの存在を発見してくれたのです(感謝! ここが無能で面倒臭がり屋の私と違うところです)。
 二郎さん所有のCDに関する限り、グラス・ガシャン・バージョンを収録しているのは旧MCA盤の《Who's Missing》(1985年発売:MCAD-31221)のみ。このアルバムだけ長さが3:33で、最後の最後の瞬間に確かにグラスの割れる音が聞こえます。《Who's Missing》《Two's Missing》を合わせてた紙ジャケ(2011年発売)、ボックスセット《30 Years Of Maximum R&B》(2000年発売)、《Live At Leeds》40周年記念ボックスセット(2010発売)のおまけ7"シングルに入ってる〈ヘヴン・アンド・ヘル〉は、長さが3:32で、ガシャンていう音がする直前にフェイドアウトしてしまうバージョンです。
 グラスの割れる音のするトラックを収録している《Who's Missing》は、今となっては曲数は少ないし(12曲のみ)、SHM-CDじゃないし、紙ジャケでもないので、人気の点で後発のバージョンに完全に駆逐されてしまった感がありますが、こんな事実が判明した以上、処分しないほうがいいですね。ちなみに、6月26日の時点でアマゾンでの中古盤の最安値は1円(340倍の送料がかかる)でした。

 グラス・ガシャン・バージョン収録『Who's Missing』

 

 これには入ってない↓

   

 CDの多数決では「なし」が標準バージョンということになりますが、それだけでどちらがオリジナル・バージョンなのかは判断できません。1970年にリリースしたアメリカ盤シングルを再生する様子を収録した下の動画には、グラス・ガシャンが入っているのです。ということは、グラスの音が入ってる方がオリジナル・バージョンであって、近年のリマスターCDでは最後の音を変なノイズとしてカットしてしまったのでしょうか? アナログ時代から「ある」と「なし」の2バージョンが存在してたのでしょうか? 現在、調べれば調べるほどわけがわからない状態になっているので、みなさんからの情報をお待ちしております。





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