2014年06月20日

チャック・ベリー、パンク/ニュー・ウェイヴを語る

 チャック・ベリー伝説の中で私が一番好きなのは、ツアー先でバック・バンドを現地調達していることに関する逸話です。ブルース・スプリングスティーンはデビュー直後でまだ全米ブレイクはしてない頃に、チャック・ベリーのバックを務めたことがあります。演奏開始予定時刻の直前になってやっと会場に姿を見せたベリーに、ブルースは「チャックさん、今日は何の曲を演奏するんですか?」と訊いたところ、間髪を容れずに一言「チャック・ベリーの曲さ!」と言われたそうなのです。スプリングスティーンを含め、ベリーより高く評価されるようになったミュージシャンはそれこそたくさんいますが、「チャック・ベリーの曲」で済んでしまうレベルの普遍性・汎用性のある音楽を作った人はひとりもいないのではないでしょうか。この点ではビートルズもローリング・ストーンズもはるかに及ばないと思います。



 今回紹介するのは、1980年にパンク/ニュー・ウェイヴ音楽のファンジン『Jet Rag!』に掲載されたチャック・ベリーのインタビューです。手作り感がハンパない(タイプライターで打ったものだ!)オリジナルの紙面のスキャン画像は下のページで見ることが出来ますが、ワープロが普及する前の時代の歴史的遺物ですよ、これは!。チャック・ベリーと一緒に写真におさまっているデビー・ハリーが超美人なのにも注目です!

MUSIC RUINED MY LIFE
"Chuck Berry Reviews Punk Singles (1980)
http://musicruinedmylife.blogspot.jp/2012/10/chuck-berry-reviews-punk-singles-1980.html

chuck+n+debbie.jpg


 当時のチャック・ベリーは、名曲を生み出す泉が涸れて久しく、レコーディング契約もなかったとはいえ(最後のヒットは1972年の〈My Ding-A-Ling〉でしょうか?)、ニュー・ウェイヴvsオールド・ウェイヴという対立を止揚・超越したレジェンド的存在になっていたことが、この記事からうかがえます。と同時に、当時の音楽をチャックがどう思っていたのかもわかる、オモシロ記事だと思います。

   




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2013年03月26日

NY Rock'n'Roll Life【16】ヴァン・ヘイレンにメジャー契約を阻まれたぜ

 今回の話は、前半ではヴァン・ヘイレンが間接的に、後半ではイギー・ポップとレイ・マンザレクが直接的に登場します。ヴァン・ヘイレンが華々しくデビューした陰で、ビンキーは非常に悔しい思いをしていたのです。
 ヴァン・ヘイレンで思い出しましたが、ドゥイージル・ザッパの初シングル〈My Mother Is A Space Cadet〉(1982年)をプロデュースしたのはエディーで、イントロでスライド・ギターを弾いてるのもエディーらしいです。当時は契約の関係でひた隠しにしておかなければいけなかったそうですが、最近ではドゥイージル(2008年にザッパ・プレイズ・ザッパで初来日した際に、横浜Blitzの楽屋でそう話していました)とエディー双方がこの話を解禁しています。



 後半のレイ・マンザレクとイギー・ポップの話に登場するダニー・シュガーマンは、1970年代にドアーズ好きが高じてバンドのマネージャーになり(もちろん、ジム・モリソンの死後)、その後、イギー・ポップのマネージャーだった時期もあるようです。ジェリー・ホプキンスとの共著で『No One Here Gets Out Alive』というジム・モリソンの伝記を書き、オリヴァー・ストーン監督の映画『ドアーズ』にも関与し、1991年には『Appetite for Destruction: The Days Of Guns N'Roses』というガンズ&ローゼズの本も出していますが、肺ガンを患い2005年に亡くなっています。

  



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2013年01月22日

NY Rock'n'Roll Life【9】ジョニー・ロットンの機嫌を損ねちまったぜ

 ビンキー・フィリップスは1970年代にはザ・プラネッツというパンク・バンドを率いて活躍しており、アメリカ全国区で成功するには至らなかったものの、ローカルなレベルではなかなかの人気があったようです。CBGBという伝説的ライブハウスの開店から閉鎖までを目撃している彼は、思い出を『My Life In The Ghost of Planets: The Story of a CBGB Almost-Was』という本に綴っています。



 今回は彼が1978年1月にCBGBでジョニー・ロットンに出会った話です。ジョニー・サンダース&ザ・ハートブレイカーズ結成に関する面白い話も登場します。ビンキーをジョニーに引き合わせたギタリストのウォルター・ルアーは、現在でも活動を続けていて、2012年9〜10月に来日したようです。こんなページがありました:

『Walter Lure with HITOMI TSURUKAWA & PIRATE LOVE』ツアー概要
http://piratelove.net/?p=303

【日本上陸】Walter Lureがやって来た!
http://piratelove.net/?p=2241

【2012.9月ウォルターツアー速報】
http://piratelove.net/?p=2255

ライヴ・レヴュー:Walter Lure with HITOMI TSURUKAWA & PIRATE LOVE @福岡VOO DOO LOUNGE 2012.9.21
http://nutf.exblog.jp/19110921/

NYのWalter Lureからお礼のメッセージが届きました!
http://piratelove.net/?p=2460

 私はパンクは趣味ではないですが、セックス・ピストルズのオリジナル・ベーシスト、グレン・マトロックとは電話でお話しをする機会がありました。映画『NO FUTURE: A SEX PISTOLS FILM』が公開され、グレンがソロ・バンドを率いて来日公演を行なう数ヶ月前というタイミングだったと思うので、10年以上前でしょうか。グレンはこんなこと言ってました:

・(ビートルズ・ファンだということがバレてピストルズをクビになったという噂について)話を面白くするためのウソ。どうしてもジョニーとウマが合わなくて、レコーディングの時点でオレが脱退して、シド・ヴィシャスが加入することが決定していた。レコード会社からも脱退して新バンドの結成をすすめられていた。シドにはオレやレミー(←もちろんモーターヘッドの)がベースを教えたんだ。
・(ローリング・ストーンズやレッド・ツェッペリンは本当に嫌いだったのか?)60年代のストーンズは好きだった。ツェッペリンはファースト・アルバムは好きだった。でも、オレたちが活動を始めた頃にこうした連中がやってたことは大嫌いだった。ヤードバーズやスモール・フェイセスは好きだった。
・(曲作りについて)「God Save The Queen」の“no future no future no future for you”の部分のメロディーはピアノを弾きながら書いた。
・(映画『NO FUTURE: A SEX PISTOLS FILM』について)ジョニー中心の映画で、ピストルズの歴史を正しく反映したものとは思えない。気に入ってない。再結成にはビジネスと割り切って参加した。

 ピアノを弾きながら“no future”のメロディーを書いたとか、レミーがシドにベースを教えたとかは、私には初耳でビックリしましたが、パンク・ファンにとっては誰もが知ってる常識?

   



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