2018年09月17日

編集者が語る新写真集『Led Zeppelin Live: 1975-1977』の見どころ

 エディーの日の別音源に関する記事イギリスの有名ブートレッガー死去の記事を快く提供していただいたLed Zeppelin Newsに、『Led Zeppelin Live: 1975-1977』の編集を担当した人物のインタビューが掲載されました。その編集者とは、キース・ムーン最後のザ・フーのライヴにウィングスのTシャツを着て出かけ、ステージに飛び乗ってピート・タウンゼントに抱きついたデイヴ・ルイスです。今回も本サイトに記事を快く提供していただきました。





編集者が語る新写真集『Led Zeppelin Live: 1975-1977』の見どころ
聞き手:ledzepnews


 1975〜77年に行なわれたコンサートから、6ショウに焦点をあてた新写真集『Led Zeppelin Live: 1975-1977』が発売された。編集を担当したのは、レッド・ツェッペリンのファンジン『Tight But Loose』を長年に渡って出しているデイヴ・ルイスだ。
 当サイト(LedZepNews)でも、この本は超オススメ。まさにファン必携だ。『Tight But Loose』のウェブサイトでは、ルイスのサイン入りの特別エディションが150部限定、£29.95(プラス送料)で販売されているが、通常版はアマゾンでも購入することが出来る。
 ルイスは『Led Zeppelin Live: 1975-1977』に関するメール・インタビューに答えてくれたので、ここでその全文を掲載する:

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まず、どのような経緯があってこの『Led Zeppelin Live: 1975-1977』の編集に関与したのですか?

 昨年、Iconic Images/ACC Editionsが、テリー・オニールが撮影したデヴィッド・ボウイの写真集『When Ziggy Played The Marquee』を出したんだ。アメリカのテレビ番組『Midnight Special』のために1973年10月にロンドンのマーキー・クラブで撮影された『The 1980 Floor Show』の写真を収めた本だ。長年『Tight But Loose』の読者で友人でもあるメルヴィン・ビリンガムが、その撮影に居合わせていて、彼の思い出話がその本の中でフィーチャーされている。



 このボウイ本が発売される際に、彼がIconic Imagesの編集者、キャリー・カニアと話をしたところ、ツェッペリンの写真集も出す計画もあるって明かされたんだ。で、メルヴィンはキャリーにオレに声をかけることを勧め、昨年秋に、オレはこの計画に関して初めてキャリーと言葉を交わした。Iconic Imagesは基本的に、3人の写真家、テリー・オニール、マイケル・ブレナン、バロン・ウォルマンの作品の権利を持ってたんだ。
 2017年10月頃、キャリーはオレに本という形にまとめたい一連の写真を見せてくれた。オレの印象に残ったのは、全ての写真がバンドの後半の時期のものだっってことだ。大人数のオーディエンス、大きなステージ・セット、大きな照明、レーザー光線、そしてドラゴン・スーツの頃だ。キャリーはジミ・ヘンドリクスの本、ローリング・ストーンズの本も見せてくれたんだけど、この出版社は自分たちが何をやってるのかしっかりわかっていた。

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写真を見た時の最初の反応は?

 まず、Iconic Imagesが持ってた写真にとても感動した。一目見て、この素晴らしい写真を通してレッド・ツェッペリン後期の物語を語ることが出来るなって思ったよ。音楽ファンの間で見たいという需要が高まり、バンド側でも劇的な演出でショウを見せようという意識が高まったタイムリーな時期をとらえている。運動靴にデニムって時代はとっくに過ぎ去っていた。
 1975年から、ロック・コンサートの演出が特に派手になったのと同時に、彼らが触れるもの全てが大スケールになった。黒の背景幕が付いている80×40フィートの大きさのステージを特注で作って、アンコールでステージに戻って来る時には、300個のフラッシュライトが同時に光って、大きく「Led Zeppelin」という文字を浮きあがらせていた。レーザー光線をショウで使用するのもレッド・ツェッペリンが先駆けだ。ペイジが〈Dazed And Confused〉でバイオリンの弓を剣みたいに振り回す際に、空中を貫く効果を出していた。ジョン・ボーナムのドラムキットが高い台に載せられたのも、この年が初めてだった。
 衣装も派手になった。ロバート・プラントは胸を見せつけるようなヒラヒラの上着を着てて、ジミー・ペイジは手の込んだ刺繍のしてある派手なドラゴン・スーツを着てた。
 実際、このやり過ぎの時代のツェッペリンが最も写真映えしていた頃だった。しかも、幸運なことに、世界中の才能ある写真家がそれをしっかり撮影してくれていた。キャリーから、編集者としてプロジェクトに参加して本を完成に導いてくれって言われて、オレはそれに同意した。
 『Five Glorious Nights:Led Zeppelin at Earls Court 1975』という本をまとめた時と似たような方法で、与えられたコンタクト・シートを見ながら、順番や配列のようなものを決める作業に取りかかった。それぞれの写真家の作品を見比べて、写真を分析し、出来る限り演奏曲目の順番に並べて、短い説明文を付けてみることにした。時折、ロバート・プラントがステージから喋った言葉も交えながら。

デザインの段階にも関与してたんですか?

 写真集の体裁はこうであるべきだとはっきりと意見を言わせてもらったよ。スケッチ帳に写真の順番のレイアウトを作ったくらいさ。スクラッブ・ブックのフォーマットに、持ってる写真を文字通りカット&ペーストしたんだよ。『Five Glorious Nights』のレイアウトをやった時も、この方法を使ったんだ。原始的なんだけど効果のあるやり方を使って、デザイナーのスティーヴン・リードに、本はこういう体裁がいいっていう指針をはっきりと示すことが出来たよ。感心なことに、スティーヴンはその指示通りにやってくれた。

本のタイトルは誰が思いついたんですか?

 キャリーが既に『Led Zeppelin Live』っていうタイトルを考えてたんで、本が扱ってる時代がはっきりとわかるように「1975-1977」って加えようってオレが提案した。後期ツェッペリンを紹介する本を目指すというのは、最初の段階からはっきりしてることだった。
 2018年1月上旬にキャリーとデザイナーのスティーヴン・リードと会って、以上のことを伝えた。数時間話し合って作業のベンチマークとなるものが出来上がり、次の数週間で、オレが仮のデザインを考えて、適切なキャプションとギグに関するコメントと序文を書いたんだ。

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デザインの段階はスムーズに進行しましたか?

 とてもね。キャリーとスティーヴンはとても仕事をしやすい人で、一緒にこの本を作るのはとても楽しかった。真の問題は、オレが現在取り組んでる本のプロジェクトのスケジュールにどう合わせるかだった。マイク・トレマグリオと共著で『Evenings With Led Zeppelin: The Complete Concert Chronicle』にも取り組んでる最中だったんで、2つのプロジェクトのスケジュール調整は大変だったけど、どうにか乗り切ったよ。

締め切りには間に合ったんですね。

 もちろん。それも、キャリーとスティーヴンとオレが同じヴィジョンを共有してたからこそ、スムーズに出来たことさ。どうすればいい本になるか、皆、わかってたからね。マイク・トレマグリオが相談役、校正係として手を貸してくれたということも付け加えておかなきゃいけない。熱心に細かいところまで気を配ってくれたおかげで、キャプションやコメントを書くのに、大いに助けとなったよ。

写真に関してもっと詳しいことを話していただけますか。まずは、テリー・オニールの写真群から始めましょうか。

 テリー・オニールがツェッペリンの写真を抱えてることは、しばらく前から知ってたよ。アールズ・コート公演の写真や、Iconic Images/ACC Editionsから出たテリーの写真をね。テリーは1960年代のファッションやヘアスタイル、有名人を撮影していることで名をあげた人だけど、ビートルズやローリング・ストーンズ、トム・ジョーンズ、デヴィッド・ボウイ、エルトン・ジョンといったロックやポップの超大物とも仕事をやってるんだ。
 テリーが撮影したアールズ・コート公演の写真群は、キャリアが真のピークを迎えているバンドの姿をとらえている。照明やレーザー光線、ステージ衣装は、1970年のロック時代を雄弁に表してる最も代表的なイメージだ。ツェッペリンの写真の中で、これ以上に皆に見られているものはあまりないと思う。
 Iconic Images社が持ってたのは、テリーが撮影したアールズ・コート公演の白黒写真に加えて、途中で中止になっちゃった1977年6月3日のタンパ・スタジアム公演、その後の6月7日に行なわれたマディソン・スクエア・ガーデン公演の写真だ。
 ビックリする写真もあった。見たことのないやつだ。アールズ・コート公演のものなんだけど、ロバート・プラントの衣装から1975年5月23日(金)のコンサートだとわかった。1975年のアメリカ・ツアーではよく好んで着ていた、赤いサクランボの模様の入った上着を、この晩だけ着てたんだ。アールズ・コートの他の4公演では、これとは明確に区別の出来る黒いブラウスを着ていた。テリー・オニールがアールズ・コートで撮影した写真群の中には、ステージに出る直前に、アールズ・コートのバックステージ・エリアで撮影した一連のグループ写真もあった。その中の1枚が、後に、スワン・ソングのオフィスが宣伝用に配布した10×8(インチ)大の写真に使われた。このショットのコンタクト・シートはp.12〜13に載っている。オフステージでバンド全員でポーズを取ってる写真は、後期ツェッペリンではとても珍しいので、今回、それを紹介することが出来てとても嬉しいよ。アコースティック・セットをクローズアップで撮影した素晴らしい写真、ジョン・ボーナムが〈Moby Dick〉を演奏しているシーン、巨大な「Led Zeppelin」のネオン・サインに後ろから照らされてアンコールに応えているところの写真もある。

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 この時期のロバート・プラントはマジでロックの巨神のように見え、テリーはこのイメージを収めた素晴らしい写真を多数残している。ルーファス・ストーン社のために『Five Glorious Nights』をまとめた際には、テリー・オニールの写真は入手出来てなかったんで、今回、もっと多くの人にテリーの写真を紹介することが出来て、本当に喜ばしく思う。

テリー・オニールの撮影した1977年の写真は以前も見ることの出来たものですか?

 これも殆ど未発表だ。1977年6月のデイリー・ミラー紙に2回にわけて掲載された「バンド・オブ・ブラザーズ」という特集でいくつか発表されただけだ。面白いことに、テリーはタンパでもオフステージでグループ・ショットを撮ってるんだよ。タンパ・スタジアム公演は2つの理由で重要だ。まず、この大会場に戻って来たのは1973年以来久しぶりだったという点。1973年の時は1つのグループが集めた観客数としては最多の56,000人を記録して『ギネスブック』に載ったんだ。そして、1977年6月3日にはさらに多くの70,000人が集まり、輝かしい凱旋公演になるはずだった。でも、残念なことに天候のせいでそうはならなかった。ギグの前にその地域では滝のように雨が降り、レッド・ツェッペリンがステージに登場した頃には黒い雲がまた出てきてしまった。雨の中、これ以上は危険ということで、たった15分演奏しただけでステージを離れなきゃならなかった。ギグは結局中止となり、地元の新聞はガッカリする客の様子を報じてる。
 テリーはそのまっただ中にいたんだ。客席の群衆を写した壮観な写真と、15分という超短いセットの間に撮影したクローズ・アップの写真がある。それから意味深長なバックステージ・ショットだ。このギグの後だから、衣装が濡れてるように見える。

1977年のマディソン・スクエア・ガーデン公演の写真も載っていますが。どの晩のものですか?
 
 残念な結果に終わったタンパ公演なんて、もう、ずっと過去のものになってしまってた。テリーが撮影したショウは1977年6月7日のものだ。ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンでの6回公演の第1夜だ。レッド・ツェッペリンはこの会場では必ず名演を残してるよね。丁度その頃、イギリスではエリザベス女王の即位25周年記念を国民の祝日にして祝ってたんで、ロバート・プラントはショウの間に1度ならずこのことに触れている。
 今回の本には、ジミー・ペイジがオープニング曲〈The Song Remains The Same〉を演奏しているシーン、ジョン・ポール・ジョーンズが〈Ten Years Gone〉で珍しいトリプル・ネック・ギターを持ってるシーン、ステージ前方に4人全員が集まって〈The Battle Of Evermore〉を演奏している(ジョン・ポール・ジョーンズはヴォーカルも担当)シーンといった素晴らしい写真もある。

次はマイケル・ブレナンのコレクションについてうかがいたいです。

 マイケルもテリーと同様、正しい時に正しい場所にいた。イギリスの複数の日刊紙に写真を提供して名をなした写真家だ。マイケルは1973年にアメリカに移住して、音楽やスポーツの関係の写真を撮る仕事を始めた。有名なものには、1977年に撮影したモハメド・アリの写真がある。

ザ・スターシップ上で撮影した素晴らしい写真がありますね。

 そう。1975年のアメリカ・ツアーでは、マイケルはザ・スターシップという名のレンタル・ジェット機(ボーイング720B)でバンドと一緒にツアーしたんだ。そういうふうに移動するのがいかに豪華なスタイルだったかよくわかる、最高の写真をものにした。
 1月31日のデトロイトのオリンピア・スタジアム公演では、マイケルはバンドに極めて近いところにいた。波乱含みなのがいかにもツェッペリンのスタイルなんだけど、ツアー前半にはいくつかトラブルがあったんだ。ジミー・ペイジが指を怪我したり、ロバート・プラントがインフルエンザでダウンしたりとね。メンバーは困難に勇敢に立ち向かってた。マイケルの写真は、一部はステージ上で撮影されていて、1975年のアメリカ・ツアーの派手なプレゼンテーションの一環の豪華な衣装を全て、見事にとらえてる。

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 そのコンサートではステージのごく近いところに観客がいて、ステージの縁のところまで来たジミー・ペイジにファンがジャック・ダニエルズを差し入れする素敵な写真もある。マイケルはバックステージでメンバーを接写した写真もものにしている。『時計仕掛けのオレンジ』のコスプレをしているジョン・ボーナムが、ショウの前に物憂げな表情をしている写真もある。マネージャーのピーター・グラントが写ってるものも2枚ほどある。

最後はバロン・ウォルマンです。

 バロン・ウォルマンの写真は昔からずっと親しんでるよ。バロンは元ローリング・ストーン誌の写真家で、彼の写真はいろんな本の中で注目を集めてきた。バロンとは、2011年にロンドンのFOPP(レコード&書籍の店)で彼が写真集『Every Picture Tells a Story:The Rolling Stone Years』のサイン会をやった際に、会ったことがある。2016年にプラウド・ギャラリー・カムデンでウッドストック写真展をやった時にも見に行ったよ。

 


 Iconic Imagesはバロンがオークランド・アラメダ・カウンティー・コロシアムで撮影したツェッペリンのカラー写真の権利を持ってたんだ。バロンは7月23日と24日の両方を撮影してた。使いたいと思ったカラー写真の大部分は7月23日のショウだ。ロバートが「Nurses Do it Better」(看護婦のほうがアレがお上手)Tシャツを着てるから、明確に区別が出来る。
 カリフォルニア州オークランドにあるオークランド・アラメダ・カウンティー・コロシアムというオープンエアの会場で、2日間、それぞれ55,000人のファンの前で演奏したんだ。午後に行なわれた公演で、ストーンヘンジみたいに作られた奇妙なステージセットだった。日の光に照らされたバンドを写したバロンの写真は大スタジアムのセットをユニークなアングルから見せてくれる。
 残念なことに、オークランド公演は23日にバックステージで起こった暴力沙汰のせいでケチがついてしまったけど、この時期の様子がカラーで鮮明に写ってる写真は素晴らしい。ステージの袖にはジミーのギターがズラリと並んでる。ドラゴン・スーツも戻ってきた。プラントはどんなポーズを取っていてもロックの神様みたいだ。バックステージで何が起こってようとも、メンバー全員、とても起源が良く楽しそうだ。今回の写真集全体で最も印象的な写真の1つが、アコースティック・セットでジミー・ペイジがマンドリンを弾いていて、その隣でジョン・ボーナムがタンバリンを叩いてるものだ。オークランド公演の写真は、ジョンがアメリカで最後に行なったレッド・ツェッペリンのコンサートで撮影されたものだって思うと、心が痛むよね。

既にたくさんのレッド・ツェッペリン写真集が出ていますが、今回の本をツェッペリン・ファンが棚が軋むほど抱えてるコレクションに加えるべき理由は何だと思いますか?

 ツェッペリンの後期に焦点を当てている点だ。後期のツェッペリンのツアーの大スケールに焦点があたってる。大きなステージでたくさんのオーディエンスの前で演奏してたこの頃は、最も華やかで写真映えしてた時期だ。『Five Glorious Nights』と同様、そうしたコンテクストの中で写真を紹介し、そうした瞬間にバンドの中で起こってたことをいくらかでもわかってもらえるように努めた。『Led Zeppelin Live: 1975-1977』は、レッド・ツェッペリンが世界でトップのライヴ・アトラクションであると真に言えた時期の、威厳と壮観さをとらえている写真集だ。
 それを写真で証明する本を作るプロセスに関与することが出来たのは、とても名誉なことだよ。


The original article "Dave Lewis on his new photo book 'Led Zeppelin Live: 1975-1977'"
http://ledzepnews.com/2018/09/10/dave-lewis-on-his-new-photo-book-led-zeppelin-live-1975-1977/
Reprinted by permission


   

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2018年07月16日

秘境Bron-Yr-Aur(スノウドニアの小屋)に行ったぞ

 今年の夏休みはイギリスに行って、ロックの聖地を3箇所訪問してきました。その中の1つが、1970年にレッド・ツェッペリンのメンバーがこもって作曲合宿を行ない、〈Stairway To Heaven〉〈Over The Hills And Far Away〉〈Friends〉〈That's The Way〉等を書いたというウェールズの山間部の小屋「Bron-Yr-Aur」です。リバプールとマンチェスターに行く用事があったので、グーグルでウェールズの情報も調べているうちに、たまたま「Bron-Yr-Aur」に関する情報に行き当たりました。「スノウドニアの小屋」という通称の通り、ここは確かにスノウドニア国立公園の南端にあるようですが、近所に鉄道の駅があるじゃないですか。そこからは歩いて30分ほどのようです(自動車の運転が出来ない私には、これがとても重要)。しかも、頼みもしないのに、画面には鉄道のチケット予約サイトのリンクまで登場してます。試しに見てみると、最寄り駅のマハンスレス(Machynlleth)まで、リヴァプールから鉄道を乗り継いで約3時間。希望の日にちや時間を入力すると、便利な接続を提案してくれて、支払いはカードでOK。運賃は片道£24(約3600円)でした。ということで、切符は日本にいる時に予約し、リヴァプール到着後、ライム・ストリート駅にある機械で番号を入力して発券しました。こんな簡単でいいのか! テクノロジーの威力、パねえ。でも、ここから先は人間が実際に動かなければなりません。

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 「Bron-Yr-Aur」の読み方ですが、ここここのサイトによると「ブロンナライヤ(シュ)」と発音するようです(最後にほんの少し「シュ」という音が残る)。リヴァプール・セントラル駅を朝8:30に出発して、チェスター、シュルーズベリーで乗り換え(チェスターより先は、鉄道の駅周辺以外は、基本的に延々と森と草原が続きます)、マハンスレスに到着したのは11:40頃。町のメインストリートにあるThe Quarry Cafeという菜食主義のレストランで腹ごしらえをした後、山の方に向かいました。

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 チェスター駅(電光掲示板の表示が変なのはシャッタースピードのせいです)

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 マハンスレス駅に到着(グーグルマップではカタカナで「マッキンレー」と表示されますが、現地での発音は「マハンスレス」)

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 駅からBron-Yr-Aurのほうを望むと

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 マハンスレスのメインストリートを見守る時計台

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 橋へ向かう道(A487)からBron-Yr-Aurのほうを望むと

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 橋に到着。スノウドニア国立公園の表示があります

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 橋の上からBron-Yr-Aurのほうを望むと

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 橋を渡ったところにある建物

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 川沿いの道路(A493)からさっきの橋を見ると

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 この標識のあるところで右の山道に入ります。

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 しばらく登ると、ゲートが閉まってます。え〜っ、せっかくここまで来たのに〜。しかし、こんな表示があるので、しっかり閉めさえすれば通っていいのだろうと判断。

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 ゲートを過ぎた直後のこの直線の坂が、非体育会系で体がなまりまくりの私には超きつい(この時点で超汗だく、頭クラクラ、息ハァハァ)

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 森の中を進むと、分かれ道のところにこんな道標が(これがなかった頃は、左の道を進んでしまい、小屋にたどり着けない人がいたのではないでしょうか)。

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 前の箱の中にはカワイイ絵の描いてある石がいくつか置いてあり、瓶の中に好きな金額を入れれば、記念にひとつもらっていいみたいでした。

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 途中、羊に出くわしながら(写真を撮り終わるまでじっとこっちを見てる)、木陰の道を5分くらい進むと

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 やっとBron-Yr-Aurにたどり着きました。駅からの所要時間はグーグルマップの言う通り約30分(正確!)。この時点で超疲れ果てており、しみじみ感慨にふける余裕はなし(日頃から体を鍛えておくことの重要性を痛感----感じただけで、帰国後はいつものだらけた生活に戻り、特に何もやってません)。

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 この小屋は18世紀に建てられ、ロバート・プラントの家族が所有していた頃は電気も水道も通ってなかったらしいですが、今は風力と太陽光で電気は確保しているようです。

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 現在ここは私宅で、話によると、住んでる人は巡礼者に寛容で、ゲート内の敷地をウロウロさせてくれるようなのですが、残念ながら私は家主に発見してもらえず。息が整い、汗が引くまで、しばらくゲート前の木陰にたたずんで、体力が少し回復した後に来た道を引き返しました。頭がクラクラ、息がハァハァしてた往路では気づかなかったのですが、帰り際にさっきの木陰の道から見えた光景がまさに「Over The Hills And Far Away」。頭の中でこの曲のイントロが流れてきたことは言うまでもありません。

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 来た時と同じ時間をかけて(下りは、登る時とは別の、普段使わない筋肉を使うんですね)麓の町に戻り、列車の時間まではRoyal Houseというお菓子とチーズ、紅茶のお店でアフタヌーン・ティーを楽しみながら休憩。疲れた時はおいしいスイーツに限ります。ラズベリーののったプディングと紅茶で£2。1時間半も居座っちゃったので、これにプラスしてチップを50%置いてきました。
 16:00過ぎの列車に乗って帰路につきましたが、帰りは満員で、座れない人もいるほど。しかも、マハンスレス〜シュルーズベリーは冷房が故障していて車内が蒸し暑く、遅れも生じ(シュルーズベリー駅ではチェスター行きの列車がちょっと待っててくれました)、最終的にリヴァプールにたどりついたのは20:00近く。ちょうど12時間の遠足でした。


 Bron-Yr-Aurについて、ネットには以下のような情報もあります。

現在、Bron-Yr-Aurに住んでる家族に関する記事:
http://www.dailymail.co.uk/news/article-2631326/Family-live-Welsh-mountain-Led-Zeppelin-fans-Stairway-Heaven-written-house.html

ギターを持参して(あの急な坂を余計な荷物を持って登ったのか! すげえ体力!)、小屋の近くで〈Bron-Yr-Aur〉を弾いた強者もいるようです。私もこれ、やりたかったなあ。



  



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2018年02月20日

レッド・ツェッペリン《Eddie》の日の別音源発見とその公表(録音者インタビュー)

 ライヴ音源をリリース予定というジミー・ペイジ直々の発表や、ブートレッグに収録された9/29の〈Immigrant Song〉のサンプルを聞いて霞んじゃったニュースですが(しかも、私が気づくの遅すぎだし)、とにかく気づいたのでここで紹介します。オフィシャル筋や裏の筋もやるべきことをやってるようですが、草の根ではこんなことが起こっていました。ボブ・ディランの1978〜79年のマイク・ミラード音源の発掘・流通で大活躍したのもJEMSグループでしたね。



レッド・ツェッペリン《Eddie》の日の別音源発見とその公表(録音者インタビュー)

聞き手:ledzepnews


 9月18日、「gbauer10」というフォロワーの数もわずかな殆ど無名のYouTubeチャンネルに、動画(正確にはスチル写真+音)がアップロードされた。レッド・ツェッペリンの1977年6月21日、ロサンゼルス公演の音源が新たに公開されたのである。有名なマイク・ミラード音源《Listen to This Eddie》と同じショウを収録したものだ。この動画をアップロードしたゲイリー・バウワーにとっては、自分が40年前に録音したものがこれほどたくさんの注目を集めるとは思いもよらなかったのだが、彼のYouTube動画は音楽系フォーラムやメーリング・リストで、レッド・ツェッペリンの伝説的コンサートの2番目の音源として広まった。現在、バウワー音源はJEMSリマスタリング・グループの支援でリマスターされ、YouTubeに再アップされている。

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 LedZepNewsではバウワーにコンタクトを取り、この音源についてバウワーにメールで話を聞いた。以下がそのインタビューの完全版だが、まずは《Listen To This Erik》と題されたリマスター・バージョンを聞いてみよう:

2017年11月4日にアップされたリマスター・バージョン


2017年9月18日にアップされたオリジナル・バージョン


まず、1977年のこのコンサートについてどんなことを覚えていますか?

 音を記録しといたおかげで、このショウの思い出は今でもとてもヴィヴィッドに残ってるよ。〈The Song Remains The Same〉が始まる直前、ボンゾがウォーミングアップをしてるとドラム・キットがライト・アップされたことから、プラントが〈Ten Years Gone〉てアナウンスする直前に、ちょっと向こうを向いたとかいう些細なことまでね。一番好きな思い出は、ペイジがボンゾのほうを向いて〈Stairway To Heaven〉のソロを弾き始め、その後、振り返って、ソロを弾きながらステージの前の方に出てきたことかなあ。今でもなお、お気に入りの箇所を聞くと、体全体が震えるよ。特に、〈The Song Remains The Same〉の最初のコードとかね。いつもさ。JHBが〈Rock And Roll〉を始めたら観客がクレイジーになったのも、大好きな思い出だ。午前1時になっていたよ。
 YouTubeにアップするために曲と曲を分割したんだけど、〈White Summer/Black Mountainside〉と〈Kashmir〉の間はカットすることが出来なかった。〈Kashmir〉を始める時、ペイジが椅子を蹴飛ばして、プラントがドラム・キットの後ろから飛び出して来たのを覚えてるよ。オレにとっては、あそこにブレイクはあっちゃいけない。そんなことしたら思い出が台無しになってしまう。オレが持ってる《Listen To This Eddie》には、そこにブレイクがあるから、聞くことが出来なかった。違うコンサートを録音したもののような気がしちゃうんだよな。
 皆が《Listen To This Eddie》を好きだってことは知ってるし、オレもそっちに収録されてる音楽は大好きだ。特にオレが録音し損ねた部分はね。でも、オレにとっては----オレだけかもしれないけど、それでもいいさ----オレのテープのほうが、あの晩、オレが聞いたショウに近いんだよ。あくまでオレの体験だから、こっちのテープのほうがオレにとっては特別なのさ。

レッド・ツェッペリンのコンサートを見たのは、この時が初めてだったんですか?

 そう。ロック・コンサートに通うようになったのが1976年のことだった。オレは26日のショウも見にいったんだ。オレの奥さんも、レッド・ツェペリンがこの先もう1度ツアーをやるとしたら(全くあり得そうにないけど)、金が目的じゃないだろうって、言ってるよ。オレがこんな話をするのは、ツェッペリンだけさ。

ショウにはどんなことを期待してたんですか?

 長時間のうるさいコンサートだと予想してたんだけど、それどころじゃなかった。当時、レッド・ツェッペリンのようなバンドは他の惑星から来た神みたいな存在だった。映画『The Song Remains The Same』は何度も見ていたし、『Rolling Stone』『Creem』等の音楽雑誌も熱心に読んでいた。MTVとかはなかったんで、レッド・ツェッペリンを生で見るのは殆ど超現実的なイベントだったんだ。

あなたはこの音源に《Listen To This Erik》というタイトルをつけましたが、これにはどんな裏話があるんですか?

 昔からの友人{ダチ}のエリックにちなんでつけたんだ。こいつはショウの前に各種ドラッグやタイ産のハッパ等を大量にやり過ぎちゃって、記憶にあるのは自分がショウを超楽しんだってことだけで(皆からもそう言われてた)、細かいことは何も覚えてないんだ。このタイトルは誰が見ても《Listen To This Eddie》のパクリだけど、エリックは友人{ダチ}だから、タイトルなんてどうでもよかったんだ。エリックは自分がこのショウと関係づけてもらえたことで喜んでるよ。

エリックのその後は?

 エリックとは何年も話してなかったんだけど(互いに320kmも離れたところで暮らしてるし)、このテープのおかげで再び連絡を取り合う仲に戻れたんだ。当時17歳だったエリックは、その後、大学で工学を修めて、何とロケット・サイエンティストになったんだぜ。文字通りね。本当さ。長い年月をかけてサターン5型の研究開発をしてる。エリックは今、新たな「名声」を得て超興奮してるよ。

これが初めて録音したコンサートだったんですか?

 2回目だね。1976年10月にはイーグルスを録音した。だから、リリースの2カ月前には〈Hotel California〉のテープを持ってたんだぜ。6月21日のショウの後、カンサスのロング・ビーチ公演の時に、レコーダーをこっそり持ち込もうとして捕まっちゃったんだ。この3公演で使ったテープ・レコーダーは、友人のお袋さんからの借り物だったんで、没収されちゃうのが怖くて、その後は録音はしなかった。そのことは超後悔してるよ。

どうしてショウを録音しようと思ったんですか?

 正直、覚えてないよ。ツェッペリンは一番好きなバンドだったから、きっと、そういう理由だったと思うよ。

コンサート会場にテープ・デッキを持ち込むのは大変だったんじゃないですか?

 そんなに大変じゃなかったね。とても小さなレコーダーだったんで、ズボンの中に隠したよ。あの頃は警備は今よりずっと緩かったし。

ショウの途中で電池に問題が生じたんですよね?

 そう。長丁場のコンサートだったから、〈Achilles Last Stand〉の途中で切れてきちゃったんだ。JEMSはピッチを修正するのに素晴らしい仕事をしてくれた。何らかの周期でもあってスピードが乱れてるわけじゃないから、修正のプロセスは超大変だったと思う。スピードが正しい状態で〈Stairway To Heaven〉を聞いた時には、マジで涙が出てきたよ。40年聞き続けてたのは、スピードがアップしたバージョンだったからね。

40年の間、テープはどうなっていたのですか?

 最初の数ヶ月はオリジナル・テープを何度も聞いてたんだけど、別のカセットにダビングした後は、JEMSがリマスターしてくれるまでは、マスター・テープは全く聞かなかったんだ。友人用にコピーをいくつか作ってあげたんだけど、まだ持っててくれるのかなあ。

定期的に聞いていたんですか? それとも、どこかにしまっちゃってたんですか?

 数え切れないくらい何度もテープを聞いたよ。コンピューターの中に移して、友人にCDRに焼いてあげたりもした。今回こうしてアップするまでは、この音源を聞いたことがあるのは12〜15人くらいだったんじゃないかな。オレがこのショウを何度聞いたかは計算できないよ。敢えて言うなら、オレ以上にこの音源を聞いた人間はいないね。
 ツェッペリン・ファンの多くは日頃からたくさんのショウを聞いてると思うけど、オレはツェッペリンを聞いてる時間の95%はこのショウだった。まわりの連中の感想コメントも全部、覚えちまったよ。「この晩はホットだな」とか「オレもこのショウを見たぜ。覚えてる」とかね。

テープを発掘して、それをリマスターしてもらった理由は?

 今年[2017年]があのコンサートの40周年だってことに気づいたんで、友人{ダチ}に向けてYouTubeに何かアップしておけば、連中が聞きたくなったら聞けるかなあって思ったんだ。でも、iTunesに入れてあるのが、オレが持ってる唯一のデジタル・コピーだったんだよ。それに、〈Moby Dick〉は6月21日のものをシアトル公演のものに取り替えてたことを忘れたまま、YouTubeにアップしちゃってたんだよ。カットが杜撰な箇所も多々あった。超シロウトな仕事だったね。
 でも、Zephead 315って名前で知られてるツェッペリン・ファンがこの動画に気づいて、レッド・ツェペリン・フォーラムでスレッドを立てて、多くの人がこの別音源について、ああじゃないかこうじゃないかって話し合い始めたんだ。完全収録されているこっちの〈Ten Years Gone〉、6/21じゃないか?とも。
 実のところ、オレはこの〈Ten Years Gone〉は聞いたことがないんだが、その時点で、オレの音源を持ってる人間は数が限られてたことを考えると、オレが録音したものでないことは確かだ。自分のYouTubeチャンネルに書き込まれたコメントを見て、そことLZフォーラムの両方で、出来る限り質問に答えた。ショウをきちんとデジタル変換すべきだよ、皆から促されたよ。

リマスタリングを手伝ってくれる人をどのように選んだんですか?

 テープのデジタル変換を手伝ってあげるよっていう申し出はたくさんの人からあったんだけど、見ず知らずの人に大切なマスター・テープは送れないよ。でも、幸運なことに、ベイエリアに住んでる友人{ダチ}がテーピング・コミュニティーでは顔の広い奴だったんで、こいつがオレのことをJEMSに話してくれたんだ。こうしてコネが出来たんで、オレはためらうことなくマスター・テープを送った。数年前だったら、こうした繋がりは出来なかっただろうなあ。音源を公開することの出来たタイミングもぴったりだったと思う。
 自分のレコーディングを聞いて狂喜してるよ。誰かの手にまかせて、こんなに良くなるとは想像もつかなかったからね。この音源の流布に関しても専門知識を持ったJEMSにおんぶにだっこだった。出来るだけたくさんの人にこのショウを無料でゲットしてもらいたかったからさ。
 オレの希望は、皆が無料でこの音源を入手出来るってことだ。だから、ネットでダウンロードしてくれよ。ダウンロードの時に分割し易いように、曲ごとにカットしてあるバージョンもアップしておいた。アービー・ホフマンも『この本を盗め』みたいな本を出してただろ。オレも、この音源を盗めって言いたい。金払って買うな。

どんな点が難しかったんですか?

 このテープにはたくさんの難点があった。40年前のもの古いテープで、しかも120分テープだ[テープが薄くて、耐久性に欠ける。保存には向いてない]。テープの1つは何度かトラブルが生じた後、枠をはずして、パッドを取り替えたんだよ。レコーディング全体を通して、1/4秒〜1/2秒の音のドロップアウトがたくさんあった。ショウの間、オレがレコーダーを動かしちゃったために生じたものだ。 幸運なことに、JEMSは前後の音から欠落を埋める機材を持っていた。素晴らしいテクノロジーだ。
 ちょっと前に触れたスピードの問題もあった。ピッチ問題を解決してくれたJEMSのメンバーは、〈Stairway To Heaven〉は2度と聞きたくないって言ってたよ! ちゃんと聞ける状態になったのは、彼の献身的努力のおかげだよ。

あなたはこのテープがツェッペリン・ファンにこんなに興味を持たれると思っていましたか? それとも、予想外でビックリですか?

 反応に超ビックリしてるよ。この音源については、2013年にレッド・ツェッペリン・フォーラムに投稿したことがあるんだ。6月21日のコンサートに関する書き込みを見て、それに回答する形でね。オレはこのショウを見たよ、自分で録音したテープも持ってるよって。まわりの反応を見たかったっていうのもある。だから、この時には何の反応もなかったので、大きな需要はないと思ってたんだ。なにげない1つの書き込みが、突然、堰{せき}を開いてしまうなんて野暮な言い方もあるけど、でも、それが本当に起こっちゃったんだよ。たくさんの人がオレのレコーディングを楽しんで聞いてくれていることに、オレは正直、ワクワクしてるよ。

このインタビューの後、バウワーは内容を補足するためにこんなコメントをメールで寄せてくれた

 1つはっきりさせておきたいんだけど、オレは自分のYouTubeチャンネルから金銭的利益を得るつもりはないんだ。今後もそうだ。オレ自身、ネットでたくさんのものをダウンロードしてるんで、何かお返しが出来ればと思っている。
 他の動画もチェックしてもらえたら嬉しいね。パール・ジャム(伝説の〈Corduroy〉を聞いてくれ)やスプリングスティーン、U2、テンプル・オブ・ザ・ドッグ(〈Achilles Last Stand〉をやってる)、ニール・ヤング等のなかなかいいレコーディングもあるんだ。全部、前から5列目以内で録音したものだ。


The original article "How the second source of Led Zeppelin's June 21, 1977 show was released and remastered" by ledzepnews
http://ledzepnews.com/2017/11/13/led-zeppelin-june-21-1977-los-angeles-show-listen-to-this-erik-gary-bauer-interview/
Reprinted by permission



   
posted by Saved at 11:01| Comment(0) | Led Zeppelin | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする