2017年04月09日

ストックホルムで北欧盤をハンティング

ノーベル文学賞

 春休みにボブ・ディランのストックホルム公演(4月1、2日)を見に行ってきました。毎年1発目のコンサートはいろんな点で注目されるわけですが、今年に限っては、直前にニュー・アルバム《Triplicate》がリリースされ、参加ミュージシャンのクレジットにスチュ・キンボールの名がなかったことから、コンサート常連の間では選曲とバンドの人事の点で普段より注目度がアップ。しかも、ノーベル賞騒ぎのおかげで、ファン以外からも大きな興味を持たれていました。
 会場となったウォーターフロントはラディソン・ブルー・ホテルに併設されており、ノーベル・アカデミーの担当者が4月1日の午後2時頃に会場に来て、ホテルの3階の部屋で「出前」の授与式が行なわれたそうです。アカデミーの面々は、コンサートの際には前から4列目か5列目の席(スチュの前あたり。私のすぐ左のブロック)にいたのを目撃されています。
 4月1日夕方の時点では、会場の様子を取材、あわよくばメダルをもらった直後のボブの姿を写そうとするテレビカメラやパパラッチがいましたが、私の知る限り成功はしていません。美人パパラッチはボブ・バスから目を離しませんでしたが、テレビカメラのほうは会場前でいろんな観客に話を聞いて回っており、私もインタビューされてしまいました。名前と年齢、出身国の後、来た理由を訊かれたので「ノーベル賞がらみの大騒動の後なので、今回のツアーはストックホルムで見るのが一番面白いだろうと思いました」と答え(単なる野次馬)、ロック界では他に誰がノーベル文学賞に値するかという質問には「キング・クリムゾンの歌詞を書いたピート・シンフィールド」と答えましたが(ロバート・ハンターって答えたほうがよかったか…パティー・スミスとは絶対に答えたくはなかった)、このやりとりがスウェーデンのテレビで放送されたかどうかは不明です(ネットかどこかで見つけたら是非教えてください)。

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(ボブ・バスから目を離さない美人パパラッチ)


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(インタビューを受けるイスラエルから来たファン。
後ろに見える黒いバスがボブのツアーバス)


 で、コンサートのほうは既にビデオ、オーディオ、写真、評がたくさん出回っているので、私が書くまでもないでしょう。それよりも、ストックホルムに着いて初めて知ってビックリしたのが、ニューヨークやロンドンでは壊滅状態のレコード屋が健在だということです。全部をのぞくことは出来ませんでしたし、購入したレコードも4枚のみでしたが(なのでタイトルにはちょっと偽りあり)、私の1,000倍くらい真剣にレコードの収集をしている諸兄姉にストックホルムにもっと興味を持ってもらえるよう、私が見聞きしたことを、忘れないうちに小さな記事としてしたためることにしました。


スウェーデン雑感

 そもそも、スウェーデンてあまり人気ないのでしょうか? 日本からの直行便は基本的にないし、『地球の歩き方』では『北欧編』として近所のノルウェー、デンマーク、フィンランドと一緒にまとめられている状態で、その他のガイドブックもあまり存在しません。どっちの方向を見てもステキな風景&建物だらけで、おとぎの世界みたいなラヴリーな国なのに…。物価が高いのは確かにネックですけどね(セブンイレブンでサンドイッチとジュースを買うだけで1,000円くらい。地下鉄の初乗りは500円くらい。ひえ〜〜〜〜)。ガイドブック自体が数少ない上に、マニアックなレコード屋を紹介している記事など、なおさらありません。
 ホテルから1軒目のレコード屋に到着するまでの道すがら、案内人であるペールさん(昨年のボブの日本公演で知り合った)にスウェーデン全般のことを訊いてみました。前日の夜に到着して、中央駅からホテルに向かうタクシーの中で、いきなり運ちゃんから言われたのが「東京にはホアはたくさんいるのかい? 売春婦のことだよ。最近、ストックホルムには主にルーマニアから大量の売春婦が流入してるんだ。この通りには結構多いんだぜ」ってことでした。まずは治安の面に関して質問したら、こんな回答でした:

 いわゆる昔のニューヨークのような危なさはないし、特に危険な地域もないけど、ルーマニアから来た孤児は一応注意したほうがいいかなあ。親はいないの。子供だけで来て、ストリートでたむろしたり寝たりしてるんだ。子供だから政府も追い返すことが出来なくて…。


 スウェーデンが一時はやめてた徴兵制を再開する予定とのニュースも最近、入ってきました。世界中で鷹派的な考えが蔓延してきていますが、北欧のおとぎの世界、スウェーデンよ、お前もか、というのが私(平和ボケの典型)の感想です:

 ロシアが脅威なんだよ。ゴットランド島を狙ってるんだ。ここを押さえればバルト海を軍艦が自由に行き来出来るからね。日本にとってもロシアは脅威なの? ある意味すごいよな。西の端っこじゃスウェーデンの脅威で、東の端っこじゃ日本の脅威になってるんだから。どれだけデカい国なんだよ。オレも19歳の時に兵役に参加して、北のほうの町で訓練を受けたんだ。(ニコニコしながら屈託なく話す)なかなか楽しい経験だったなあ。


 ガイドブックによるとスウェーデンの人は、みんな、英語が得意なんだとか。ペールさんもしかり。私の泊まったバックパッカー用安ホテルの従業員も英語で普通にOK:

 教育制度のおかげでもあるかもしれないけど、英米の映画が吹き替えられず、英語のまま、スウェーデン語の字幕付きで上映されることのほうが多いからっていうのもあると思うよ。映画を見てるうちに英語を覚えちゃう。それに、いろんな取扱説明書とかは、英語のものしかない場合も多く、必要に迫られてってこともあるかもしれない。


 さて、次の質問がメインだったりします。年金世代のスケベ爺さんから是非調査してきてくれとリクエストされたことです。かつての日本では、スウェーデンはフリーセックスの国であるという伝説が語られていました(60歳以上のジジババ世代だと特に)。フリーセックスが何を意味するのかはいまいち不明なのですが、映画『パッチギ』にも、オダギリジョー扮するちょっと進んだ青年がフリーセックスにあこがれてスウェーデンに向かって旅立つシーンがありました。フリーセックスは本当なのでしょうか、それとも、黄金の国ジパング的な伝説なのでしょうか?:

 一部は正しく、一部は間違ってる。当然、その頃なのでヒッピー・ムーヴメントの影響もあるでしょう。でも、その前に、スウェーデンはカトリックじゃなくてプロテスタントの国で、しかも、伝統的に、みんなそんなに信仰熱心じゃないんだよ。毎週日曜日に教会に通ってる人なんてあまりいないし。だから、男女のつき合いに宗教的な縛りはない。セックスは結婚してから、なんていうものない。婚前交渉OK。つきあったり結婚したりするのに、まずは相手のご両親に挨拶して承諾を得てから、なんていう手順も必要なく、つきあうかどうか、結婚するかどうかは女の子本人が自分の意志で決めることが出来るんだ。ここでは男も女も平等だ。そういう点が、他の文化の人からは、かなりフリーに見えたのかもね。

 
 なるほど! そうこうしているうちに1軒目のレコード屋に到着しました。ボブ・ディランのオッカケや家族旅行で地球のあちこちに行ってるペールさんは世界のレコード屋事情についてこう語ります:

 あれほど面白いレコード屋がたくさんあったロンドンやニューヨークは今や壊滅状態だけど、東京とストックホルムはまだ健在なんだよ。



   




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2016年10月20日

『Never Say No To A Rock Star』の著者グレン・バーガー・インタビュー

 当ブログでは既にいくつかの記事でお馴染みのグレン・バーガーが、ニューヨークのA&Rスタジオで働いていた頃の回想をまとめた本『Never Say No To A Rock Star』を出しました。ボブ・ディランの《Blood On The Tracks》セッション、ローリング・ストーンズのブリュッセル公演のミキシング、ポール・サイモンやフランク・シナトラのセッションの話を核に、スタジオでの喜怒哀楽、悲喜こもごもを綴った本書は、有名ミュージシャンの裏話の紹介にとどまらず、現在の職業である精神科医の見地から「人の心を動かす芸術を作るとはどういうことなのか」を深く、鋭く洞察したものです。



 当サイトではグレンのインタビューを複数回に渡って掲載予定ですが、今回、まずは、TheVinylPressによる包括的な話題のインタビューを紹介します。そして、近々、私がグレンに電話をかけて、話題を主にボブ・ディランの《Blood On The Tracks》とローリング・ストーンズのヨーロッパ'73に絞ったインタビューを行ないたいと思っています。今から1週間後くらいにニューヨークに国際電話をかけて、積年の質問をぶつけてみる予定ですが、こういうことも訊いてくれというリクエストがありましたら、まだ間に合いますので、コメント欄に記入していただくか、直接メッセージをください。

   






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2016年05月29日

リアル『ヴァイナル』

《血の轍》ニューヨーク・セッション秘話
ヨーロッパ'73ミキシング秘話
ピーター・ポール&ジェイムズ・ブラウン
は当ブログで紹介した最もエキサイティングな記事だと私は思ってますが、これを書いたグレン・バーガー博士(バーガーのほうが正しい読み方のようです)は今年7月に回想録『Never Say No To A Rock Star』を出します。超楽しみ。今年発売されるロック本の中で面白さは恐らくナンバー1でしょう。



 その前に、要約版のような内容の文をハフポストに投稿しているので、今回はそれを紹介します。1970年代前半のロック・ビジネスを扱ったテレビドラマ『ヴァイナル』がアメリカで放送され、それに触発されて書いたようです。日本でも7月にBS10スターチャンネルで放送されることになりました。





リアル『ヴァイナル』
文:グレン・バーガーPhD.


 マーティン・スコセッシ&ミック・ジャガー制作によるHBOの新シリーズ『ヴァイナル』は、1970年代のニューヨークの伝説的な音楽シーンを今に蘇らせた。現代文化史のこの栄光の瞬間を、私はラッキーなことに、最前列の席で目撃している。1973年から1980年まで、私はニューヨークにある世界で最も偉大なレコーディング・スタジオ、A&Rスタジオでレコーディング・エンジニアを務めていたのだ。プロデューサーのテレンス・ウィンターが述べているように、狂気の時代、狂気のビジネスだった。17歳の時に研修生として勤務した初日に、ジェイムズ・ブラウンのセッションを見学し、ノンストップでドカドカ鳴るキックドラムとスネアのせいで、私は耳から血を吹き出しそうになった。それから、ポール・サイモンが第2位に輝いたヒット・シングル〈Loves Me Like A Rock〉用に、ゴスペルの名グループ、ディキシー・ハミングバードのコーラスをオーバーダブする様子も目撃した。あの頃の放蕩三昧の話は本当だ。私はスタジオに入って1時間もしないうちに、誰かからコカインをすすめられた。
 A&Rはミッドタウンに2つのスタジオを持っていた。週給80ドルで雇われた時の最初の仕事は、人から「のろま」と罵倒されることだった。つまり、機材を手押し車に乗せて一方のスタジオから他方のスタジオへ運ぶことだった。ニューヨーク市は財政が破綻している状態で、ストリート中に犬の糞が転がり、空はいつも腐ったような灰色がかった緑をしていて、いつ化け物が物影から飛び出し、私の頭蓋骨目がけて斧を振り下ろしてきてもおかしくはなかった。横にずれたり、渡ったり、避けたりするコツを熟知し、常に用心を怠ることなくストリートを通過しなければならなかった。私は「邪魔だ、ガキ!」等の罵声を浴びながら実地でいろんな技を身につけた。
 そうしたイニシエーションを無事通過した私は、グラミーのライフライム・アチーヴメント賞に輝いた世界的なプロデューサー/エンジニアであるフィル・ラモーンにアシスタントとして拾ってもらえるという、信じられない幸運に恵まれた。彼がA&Rスタジオのオーナーだったのだ。
 ミック・ジャガーの話をしよう。フィルと私は、ボブ・ディランの《Blood On The Tracks》をレコーディングしていたのと同じ週に、若くてイケメンの頃のミック・ジャガーと数日間を過ごして、《Bedspring Symphony》として有名な'73年ブリュッセル公演のミキシングを行なったのだ。この2人のロック・アイコンが一緒にいるのを見るのは超自然的だった。ミックは最高に魅力的な男で、彼からジンジャーと呼ばれ、長い巻き毛をクシャクシャされた時には、私は卒倒しそうになった。一方、ディランは「パシリ」を存在として認めてすらくれなかった。
 『ヴァイナル』はグラム・シーンのトップ・バンド、ニューヨーク・ドールズの再現から始まる。私は彼らのセカンド・アルバム《Too Much, Too Soon》の作業に1日付き合い、とても楽しい思いをした。彼らは予定開始時刻より何時間も前に、取り巻きたちと一緒にスタジオに到着し、早速パーティーを始めた。ベース・プレイヤーのキラー・ケインは高さ6フィート(180cm)のツインのマーシャル・スタックを持っていて、ベースでバーンて音を出した時には、その衝撃で私の足はゴムバンドを弾{はじ}いたように震えた。ジョニー・サンダースが腕を回して勢い良くギターを弾こうとしているのを見た私は、咄嗟に使ってないヘッドホンを装着した。それでも音は超でかく、この時、耳は修復不可能なダメージを被ったに違いない。
 『ヴァイナル』は当時人気のあったジャンル、パンクとディスコに焦点を当てているが、あの頃のニューヨークではもっとたくさんのことが起こっていた。シンガー・ソングライターもブームであり、A&Rスタジオでは、そのジャンルのアルバムを数多く制作した。私はグラミーの年間最優秀アルバムに輝いたポール・サイモンの《Still Crazy After All These Years》の作業を担当した。才気にあふれたポールは、元パートナーであるガーファンクルの悪口を臆することなく語った。この上なく味わいのある美声を持ったジュディー・コリンズの《Judith》も担当した。このアルバムにはヒット曲〈Send In The Clowns〉が入っている。私が担当した最初のアルバムは、フィービー・スノウという風変わりなシンガーの《Poetry Man》だったが、これはサプライズ・ヒットとなった。彼女は自分のキャリアを犠牲にして、脳に大きな損傷を受けた娘さんの介護に尽力した。それから、歌手としてのベット・ミドラーだ。彼女は愉快で頭が切れ、キスが上手だった。3つ目の点については個人的経験から知っている。
 それから、ファンクも流行していた。1970年代のニューヨークのスタジオ・ミュージシャンほど、体格が良くて屈強なプレイヤーはいない。彼らにどんな演奏が出来るのかを知りたければ、スティーリー・ダンのアルバム《Royal Scam》を聞くといい。このアルバムも私がお手伝いを担当した。この作品中の火を吹くようなトラックは、ウォルター・ベッカーとドナルド・フェイゲンのお茶目なウィット、鋭角的なリズム、高度なハーモニーが、譜面を渡されて演奏するファンキーなミュージシャンのグルーヴと結び付いて生じたものだ。彼らのレコードは最優秀エンジニアリングを含む、複数の部門でグラミー賞を獲得したが、それなりの理由があってのことだ。
 当時、スタジオは1日24時間、1週間に7日間予約されていたが、アルバムを作っていない時には、映画のサウンドトラックのレコーディングを行なっていた。私の最も鼻高々な業績は天才ボブ・フォッシーの映画『オール・ザット・ジャズ』のサウンドトラックを制作したことだ。フォッシー本人に基づく主人公は、アル中になり、ヤク中になり、自分を大切にせず遂には死んでしまうという1970年代の感性の典型だった。
 あの頃は狂気の時代だった。スタジオというささやかな遊び場においても、数多くの狂人が存在した。私の師匠で、ビリー・ジョエルの全てのヒット・レコードをプロデュースしたフィル・ラモーンも、極端な例かもしれない。ある時、私がフィルに質問したら、「オレは神だ。神に質問するな」と言われたことがある。
 しかし、狂気とセックス、ドラッグ、そしてエゴの塊のスーパースターを除いたら、スタジオ・シーンは皆が本気で仕事に取り組んで、史上最高の名盤を作り出す場だった。レコーディングの仕事に関与している者は全員、自分の仕事を超真剣に意識していた。A&Rスタジオのスタッフは、上は一流のシニア・ミキサーから、下はテープをコピーする小僧に至るまで、ラモーンによって完璧主義を叩き込まれていた。こうした裏方の人間も私のヒーローだ。間抜けな連中を祝う文化においては、彼らの善意、気前の良さ、無私の心は極めて貴重だった。
 1970年代のニューヨークの音楽シーンで働いていた者の間には、言葉では言い表せない絆がある。あの頃は、私達の人生で最もスリルに満ち、最も忘れられない時代だった。私達は偉大さと一緒に生きており、運が良い時には、自分でその偉大さに触れることが出来た。私達は最高だった。私達は歴史を作った。

"Real Vinyl: In The Studio With Dylan, Jagger, Sinatra and More" by Glenn Berger PhD.
http://www.huffingtonpost.com/glenn-berger-phd/real-vinyl-in-the-studio-_1_b_9312272.html
Reprinted by permission


   
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