2017年09月26日

リタ・クーリッジ、クリス・クリストファーソンとの共演アルバムと自叙伝を語る

 前回のバーンスタイン・チルドレンのインタビューに続き、今回もマイク・ラゴーニャさんからネタを提供していただきました。ありがとうございます。
 リタ・クーリッジの自伝については、このインタビューで初めて知りましたが、出たのは昨年のようですね。早速、安価なペーパーバック版を注文し、届くのを楽しみにしている今日この頃です。





リタ・クーリッジ、クリス・クリストファーソンとの共演アルバムと自叙伝を語る
聞き手:マイク・ラゴーニャ


リタ、まず自伝『Delta Lady』の出版おめでとうございます。この本はあの時代をパーフェクトに捉えています。アルバムもリイシューされましたね。昔の旦那さん、クリス・クリストファーソンとレコーディングした《Full Moon》、それから《Beautiful Evening Live In Japan》です。《Full Moon》は1970年代の名盤の1つとして高く評価されています。

 クリスと私が一緒に作ったレコードが多くの人の家にあるってことは、それには素敵な何かがあるんでしょう。私たちは一緒に3枚のアルバムを作り、これらの作品は今でも世界中で聞かれていると思います。それが今回CD化されたのは、素晴らしいことですね。

セッションに関して何か思い出はありますか? クリス・クリストファーソンとのレコーディングはどんな感じだったのですか? どういう経緯で共演アルバムが実現したのですか?

 クリスはモニュメント・レコードと契約してて、私はA&Mと契約してて、ツアーで一緒に歌い始めた時、私たちのファンのためにレコードを作る必要があるって思ったの。一緒にツアーを行なって、私がオープニングを担当して、その後、クリスが自分のショウをやるって感じだったので、オーディエンスは「私たちのファン」になっていました。レコーディングを始めた時には、A&Mとモニュメント・レコードが話し合って、交互にレコードを出しましょうってことにしたの。《Full Moon》はA&Mから出たレコードです。A&Mから出たアルバムは、いつも、ロサンゼルスのサンセット・サウンドでレコーディングしていました。ちなみに、今、仕上げの作業中のアルバムもサンセット・サウンドでレコーディングしたの。

どうでしたか?

 そこに戻れて嬉しかったわ。

モニュメントから出たアルバムはどこでレコーディングしていたのですか?

 モニュメント・レコード用のアルバムをレコーディングする時には、ナッシュヴィルに行ったの。クリス&リタのアルバムを作ってる時はナッシュヴィルとLAを往復しながら暮らしてたようなものね。

クリスとスタジオでレコーディングしている時はどんな雰囲気だったのですか? 初めて一緒に作るアルバムということで、たくさんの期待感があって、どんなアルバムになるのか、あれこれ思い描いていたに違いありません。

 私たちは夫婦になってまだ日が浅かったし、スタジオでどういうふうに作業をするかも模索の段階だったの。カリフォルニアでは、ミュージシャンの多くはカリフォルニアの人だったし、ナッシュヴィルに行ったら、ナッシュヴィルのミュージシャンがいたわ。いつものバンドのメンバーも何人か起用したけど、スタジオ・ミュージシャンも起用しました。LAのスタジオは、私にとっては勝手知ったるの状態でした。レコード・プロデューサーで、クリス&リタのレコードもプロデュースしてくれたデヴィッド・アンダールは素敵な人物で、スタジオ内を平和に保つのが超得意だったわ。実際、調停役{ピースメイカー}が必要な時もあったのよ(笑)。

本当に? 例えばどんな場合ですか?

 クリスと私は入るヴォーカル・ブースが別々だったの。クリスはギターも弾いて、私はもっぱら歌だったから。レコーディングの際には、必ずしも一緒のヴォーカル・ブースに入ってたわけじゃないの。ある時、クリスが何かについて私に腹を立てて、私に対して酷い呼び方をしたの。私は何も言い返さなかったんだけど、デヴィッドはリヴァーブのつまみを回して、5分くらいそれが反響するようにしてたわ。



《Full Moon》の中でお気に入りの曲は何ですか?

 〈Hard To Be Friends〉が好きです。いちばん気に入ってる曲の1つです。〈Loving Arms〉も…。〈From The Bottle To The Bottom〉ではグラミーを取りました。

〈I Never Had It So Good〉も優れたトラックで、たくさんの人がレコーディングしましたが、一番人気があるのはクリス&リタ・バージョンだと思います。〈Loving Arms〉はアルバムのハイライトですね。

 私たちのヒットの1つだわ。今でも私のコンサートで歌ってます。私とクリスの重要ナンバーだと思うからです。今でも皆が聞きたがる曲だわね。

〈It's All Over (All Over Again)〉〈I'm Down (But I Keep Falling)〉はふたりで一緒に書いたものですよね。クリスとの作曲の作業はどんな感じだったのですか?

 クリスは映画の仕事で家にいないことが多かったし、私は娘と一緒に家にいたので、一緒に曲を書くのは滅多になかったわ。でも、そう出来た時はいつも、素晴らしい体験でした。クリスは自分のことをソングライターとして私より優秀だと思ってたので、私はいいアイデアを思いついた時でも、少し萎縮してました。クリスが仕事から帰って来た時に、私がコードを弾きながら思いついたアイデアをプレイすると、たいていは同意してくれたわ。でも、私たちの作曲スタイルは違ってるの。クリスはカントリー系のライターで、私はそうじゃないけど、楽しい時を過ごしたわ。クリスはとてもスイートでした。



このプロセスの間に、互いからたくさんのことを学んだんじゃないですか?

 そうね。クリスからはたくさんのことを学んだわ。既にあらゆることを知ってる人だったから。

素敵です。クリス&リタは私たちの文化を代表する夫婦としても注目されていましたね。おふたりはポール&リンダやジェイムズ&カーリーのように、ロックの王族でした。一緒にアルバムを作っていた時も、そう感じていましたか? 当時は「クリス&リタ」はどのようなコンセプトだったのですか?

 当時は、クリス&リタは私及び私のレコーディング・キャリアとは離れた存在だって、少し意識してました。空港で、ビートルズ・ファンみたいに叫びながら駆け寄って来た女の子たちに突き飛ばされた時は、さすがにうろたえたわ。彼女たちに取り巻かれる前に、私はクリスが背負ってる赤ちゃんを奪取しました。彼女たちには、私たち家族のプライバシーを侵害しているなんて考えは、これっぽっちもなかったわ。私たちが家族なんだという考えすらなかったの。私は本当に恐怖を感じました。でも、演奏となると、全く別の話です。たくさんの女の子が叫びながらクリスに向かって駆け寄るのは、彼の映画俳優としての仕事のおかげでしょう。そういうシーンがあったので。映画の中で、登場人物が人生の難しい状況を克服する様子を感情移入しながら見てしまったら、その人のところに行って、人生相談をすることが出来そうだと思ってしまうでしょう。私は音楽でそう感じるわ。そんなに熱烈なものではないけど。



クリス&リタに続いて、今度はリタの話をしましょう。あなたが多産なレコーディング・キャリアを通して、数多くのアルバムをリリースしていることは、我々は皆、知っていますが、リタ・クーリッジのステージを体験するのは全然別の体験です。レコーディングの時と比較して、ステージ上では、あなたのどんな部分を披露しているのですか?

 私は生で演奏するのが大好きなの。もう50年もそうしてるわ。家にいるのが長過ぎて、ツアーに出ず、バンドやファンとのそういう関係を築いてない状態だと、ある意味、仕事でしくじったかのように感じるのよ。生演奏には大切な要素があるわ。今まさにそこでやってるってことです。映画に対するブロードウェイっていう感じかしら。コンサートは1回1回が違うの。曲は同じかもしれません。曲順も同じかもしれません。でも、表現の仕方や受け方が毎回違うのよ。違う観客、違う会場だからです。皆、自分の人生のそれぞれ異なる場所にいるの。バンドもそう。私は常に素晴らしいミュージシャンに恵まれてきたわ。キーボード・プレイヤーとは、20年間、演奏活動を共にしています。私が制作中のアルバムの仕上げをしてくれたわ。優秀なミュージシャンとして信頼出来るだけでなく、家族のような関係になってくれる人々に囲まれてることが重要なの。仲間としてしかるべき人間だったら、そうなるのよ。私は素晴らしいバンドを持っていて、皆で音楽を演奏していると、とても楽しい時を過ごせます。確かに、ツアーのための荷造りは嫌いだわ。既に、移動するのが苦痛の歳になってるの。でも、ステージに立って、同じ瞬間を共有し、音楽を演奏し、客席の人が一緒に歌ってくれると、私の心は高まるわ。素晴らしいわよね。

● そんな瞬間になった時には、1969年に戻ったような感じがするのでしょうか?

 そうね。あの感覚は決して変わりません。自分の歌の技術についてもっとよく知っていて、演奏についてももっとよくわかるようになったので、どちらかというと、今のほうがうまいでしょう。まだまだ勉強中だと思ってますけどね。だって、テクノロジーや世の中のほうがどんどん変わるでしょ。客席を見たら、皆がスマホを掲げていて、私が帰宅する前に動画がYouTubeにアップされてるなんて、20年前には考えられなかったわ。



● (笑)スマホを掲げている人たちは《Anytime…Anywhere》を知ってるのでしょうか? 今では、そういう人は1つか2つ前の世代なのでしょうか?

 オーディエンスの中にはあらゆる種類の人がいると思うの。人口統計的には、両親や祖父母からああいう音楽を聞かされて、あの時代の、あのジャンルの音楽が好きになった子や孫の世代も来てます。ああいう音楽を聞いて育ち、彼らの親の世代もああいう音楽を聞いて大きくなったの。そういうのが今もなお残ってるのね。終演後にCDや本にサインしたり、皆とお話をしている時に、小さな子供やティーンエイジャーの人がたくさん来てくれるので、とてもありがたく思うわ。ショウの後、好きな人に会いに行って、握手をして、「今晩あなたに、また人生を変えられましたよ」って伝えられることがどんなに大切か、私はよくわかってます。ファンに接することの出来る機会は私にとっても大切です。だから、あらゆる年齢層の人と会うことにしてるの。私と同年代かもっと上で、「あなたのファースト・アルバムを持っていますよ。おっと、歳がバレちゃうなあ」なんて言う人がいるのよ。「ねえ、本人を前にしてそんなこと言わないでよ!」って答えます。笑っちゃうでしょ。

● (笑)大ヒット曲〈Higher And Higher〉や映画『007』のテーマ曲〈All Time High〉は皆で大合唱ですよね?

 もちろん。一緒に歌ってって言うと、皆、そうしてくれます。〈Fever〉〈The Way You Do The Things You Do〉〈How Sweet It Is〉は皆も一緒に歌いたい曲だってわかってるわ。ワクワクします。皆、ショウに参加するのが好きなのよ。ケブ・モーは私が大好きなレコーディング・アーティスト/パフォーマーなんですが、彼はいつも観客を引っ張り込むの。ショウを見に行った時に、観客としてショウに参加して、とても楽しかったわ。

ステージもしくはスタジオで、リタ・クーリッジにはこんな面もありますってファンに知ってもらいたいくて、意識して前面に出そうとしていることってありますか?

 そういうのは意識して出来ることじゃないと思うの。もし起こっているとしたら、今回のニュー・アルバムの制作中に何かが進化してるのかもしれません。新曲を書きながら、常に勉強中の私は、ソングライティングや解釈の点で変化を感じたわ。レコード・プロデューサーのロス・ホガースは、私を限界まで、本当の限界まで追い込んでくれるの。それがいいんでしょう。

ニュー・アルバムについて話しましょう。もうタイトルは決まってるんですか?

 私にはアイデアはあるのですが、その件でレコード会社からはまだ返事がないの。なので、今はノー・コメントのほうがいいでしょう。

どこのレーベルから出るのでしょう?

 ロサンゼルスにあるブルー・エランというインディペンデントのレーベルなんですが、素晴らしいレコード会社よ。A&Mと契約した時と同じく、アット・ホームな感じがするの。いろんな部署には人間がいます。アート部とマーケティング部があって、ビヴァリーヒルズにあるビルの2フロアか3フロアに入ってるレコード会社なんですが、若い人が本当に熱心に働いてるわ。私の知る限り、そういうのって、しばらく前からありません。昔のようなかたちのレコード会社は、いまはもう存在しません。アーティストがレコード会社の社長や社員と人間関係を築くのは難しくなったわ。でも、ブルー・エランにミーティングに行くと、知ってる人が25人いるの。私のために、今回のレコードのために働いてくれてるスタッフがいるんです。素晴らしい。過去に時間旅行したような感じよ。

昔は、そういうエネルギーがアーティストを一人前に育てていたんですよね。

 それから、スタッフの献身もね。私はこことアルバムを3枚出す契約をしたの。今の多くのレコード会社のように、単に「1枚出しましょう。そしたら、さようなら」ではなくて、「今のあなたのベストを引き出します。そして、次はもっと前進しましょう」という方針です。私はこうしたスタッフと未来を共有してるの。今回のレコードには、1970年代以降に出したどのレコードよりもワクワクしています。とてもいい気分。25歳のような気分なのよ!

曲は誰かと共作しているのですか? ひとりで書いているのですか? 全体的に、レコーディングのプロセスはどんな感じで進んでいるのですか?

 ベーシック・トラックは6月はじめに録り終えたわ。夏はずっと、私のヴォーカル・トラックの仕上げをやってたの。とてもうんざりしながら、と言っておきましょう(笑)。プロデューサーが全てに超完璧を求める人なのよ。「私はこのレコードを、あなたが作ったものの中で一番の傑作にしたいんです。なので、あなたの実力に満たないものは一切、このレコードには入れません」なんて言うの。私は「承知しました」と言うしかありません。ケブ・モー、ジル・コルッチと2曲書いて、スタン・リンチとも1曲書いたわ。ナッシュヴィルのソングライターが書いた曲もいくつかあるの。素晴らしい曲が集まったわ。カバーはありません。全部新しいマテリアルです。

今回のアルバムには誰が参加しているのですか? ケブ・モーにも参加してもらったのですか?

 ケブとは一緒にデモを作ったの。私たちはその曲をナッシュヴィルに持って行く予定よ。ケブは一緒に書いた2曲でギターを弾いてくれる予定です。ヴォーカルでも参加してくれないかなと思ってるの。ケブは仕事を共にするのに最適の人物です。なので、夢が叶ったわけよね。昨年の夏に、ザ・ブラザーズ・ランドレスというグループが目に留まったの。ふたりの兄弟とリズム・セクションからなるカナダのグループで、2015年にはジュノー賞の年間最優秀新人賞を獲得してます。素晴らしいグループよ。ギターはジョーイ・ランドレスっていう人なんですが、彼ほど歌がうまい人には長年出会ってません。レコード会社の承諾を得て、10日前にカナダからジョーイを呼び寄せて、今回のアルバム用にスライド・ギターとヴォーカルで参加してもらったの。天にも昇る気分です。アメリカでは殆どの人がザ・ブラザーズ・ランドレスを知らないと思いますが、カナダではとても成功していて、ジョーイはソロでミニ・アルバムも出してるのよ。とてもエキサイティングです。オースティン出身のデヴィッド・グリソムは、今回のアルバムではギター担当なんですが、彼の曲も1つ取り上げたの。ソロ作も持ってる人よ。ボブ・グラウブがベース、ライアン・マクラウドはドラム、ジョン・タルマスはキーボードを担当してます。サンセット・サウンドでレコーディングしている時、そこを通りかかった人が言ってたわ。「ワオ! A級のバンドを抱えてるんですね」って。

予期せぬ人を突然引っ張り込んだりはしなかったのですか?

 いいえ。方向性をしっかり把握してたので、少人数のチームで固めてたわ。皆の頭の中には数分後に演奏すべき音楽があったの。ある日、皆で昼食をとっていたら、フローレンス&ザ・マシーンのフローレンスがバスケットボールに興じていたのよ(笑)。でも、私には、そこに行って「あなたの歌、大好きです」なんて言う勇気はなかったわ。ただ口をポカンと開けて眺めていただけ。

会って目の前にいると、シャイな女子高生みたいな気分になってしまう人なんて、まだ存在するんですか?

 ええ。ジョーイ・ランドレスが来た時には、私はそんな気分になったわ。だって、ジョーイと会って仕事をするのに、こっちには、レコードを作ってるからっていう理由しかないのよ。これまでに25枚のアルバムを作ったっていう実績を持ってるっていうのに、爆竹よりもホットな存在になるのは時間の問題のカナダの若者を招こうって考えただけで…。で、ジョーイがやって来て、私の曲を気に入ってくれて、楽しい時を過ごして…世界で一番いい人だったわ。ジョーイがスタジオにいた間ずっと、私は彼のファンでした。今でもファンよ。私をハッとさせる人は、今でも何人もいるわ。

回想録を読みましたが、驚きの冒険談がいくつも書いてあります。いろんな人と仕事をしましたね。リオン・ラッセル、ジョー・コッカー、デラニー&ボニー…それから、マッド・ドッグズ&イングリッシュメンにも参加しています。あなたのあの頃のキャリアで起こったワイルドな出来事を無事切り抜けるには、相当な勇気が必要だったはずです。違いますか?

 最初、私はメンフィスにいたの。そこには1年ちょっとしかいなかったんだけど、ロサンゼルスで何が起こってたかは知ってたわ。そこから生まれる音楽を聞くことは出来たので。私はメンフィスにいたら自分の成長はこのへんが頭打ちかなと感じてました。マーティン・ルーサー・キングは殺され、スタックス・レコードも殆ど休業状態。肌の色は関係なく、皆が集まって音楽を演奏することの出来る場所は閉鎖されてしまったの。デラニー&ボニーからのお誘いは私にとって大きな転機っだったわ。ボニーに言われたの。「カリフォルニアに来て、エレクトラから出る私たちのニュー・アルバムを参加してよ」って。同時に、リオン・ラッセルともつきあい始めました。リオンからカリフォルニアに来てよって言われた時、デラニー&ボニーからも誘われたのよ。リオンから「一緒に車で行こう。オレはひとりぼっちだから」って言われたの。メンフィスで青いサンダーバードを買ったんで、それに私を乗せて帰りたかったの。家財道具全部は持って行きませんでした。ずっと向こうにいることになるのかわからなかったので、スーツケース1個だけ持って行ったわ。向こうに着いて比較的すぐに、カリフォルニアこそ私がいたい場所だってわかったの。だって、カリフォルニアに行ったら、シングル(〈Turn Around And Love You〉)がナンバー1になったんですもの。「メンフィスの小さなレーベルでレコード作っても、こんなこと起こらないわ」って思ったわ。フェニックスとロサンゼルスと、アメリカの他のどこかの町だけのローカル・ヒットでしたが、これは小さな兆候だったの。着いた直後に、私はリオンとマーク・ベノとスタジオに入って、このシングルをレコーディングして、TV出演もしました。自分がいるべきところに遂にやって来たって感じだったわ。メンフィスにいた1年半は学習の場だったのね。ロサンゼルスに着いた時、私はいるべき場所にいるって思ったわ。



あなたが入ったグループの話をしましょう。少なくとも最初のうちは、「オー・マイ・ゴッド! 何が起こってるのかよくわからないんだけど、一緒に転がってみようかしら」という感じだったんじゃないですか?

 まさにそう! 開いてるドアには全部入ったわ。メンフィスにいた1年半には、たくさんのスタジオ・ワークをこなした他、コマーシャル・ソングを録音したり、歌手たちで集まって楽譜を読む練習をしたりしてたの。メンフィスは、ある意味、学校でした。カリフォルニアに行って、エレクトラから出たデラニー&ボニーの第1弾アルバムを作って、ツアーにも参加したけど、ここはマッド・ドッグス&イングリッシュメンというロックンロール大学に入学するための訓練の場でした。いくつもの学習の段階があって、私はどっちのドアに入るべきか、どっちのドアに近づくべきではないのか、一緒にいるのが自分のためなる人の集団と、超危険だからつるんじゃいけない人がわかるようになったの。私を傷つける存在ってわけではないんだけど、人生の良い選択肢ではないって意味でね。

あなたの回想録に書いてある大好きな話の1つが、あなたとグレアム・ナッシュとの関係です。彼はあなたと別れてジョニ・ミッチェルと暮らすようになってしまったそうですが、かなり辛かったんじゃないですか?

 私としては別に…。グレアムとは大親友だったわ。「これから1週間、ヘイト・アシュベリーに行くんだけど、君も行きたい? それとも、ここにいる?」って言われたんだけど、「ここにいるわ」って言ったの。私には私の友達づきあいがあったし。グレアムと私がカップルだったのは、私がマッド・ドッグズ&イングリッシュメンのツアーに出る頃までで、グレアムはヘイト・アシュベリーに引っ越して、向こうでもっと長い時間を過ごすようになり、いつの間にか別れてしまいました。でも、グレアムが私の気持ちを傷つけたことなんて1度もありません。

グレアムはあなたと暮らしている頃に、《Songs For Beginners》の曲を書いて、それをジョニ・ミッチェルに捧げてるんですよね。別の女性のために曲を書いてるなんて変だとは感じませんでしたか?

 グレアムはジョニ・ミッチェルについての曲を書いてたの。ジョニ・ミッチェルよ(笑)。地球で一番美しくて、完璧で、天使のように愛らしい女性だったでしょ。グレアムがジョニに関する曲を書きたくなったわけを、私は100%理解してたわ。



● (笑)それじゃ、あなたの立場が…。

 グレアムはいつもとてもやさしかったのよ。「君の気に障るかな?」なんて言うから、「全然! こんなに美しい音楽が出来るんですもの、超ワクワク」って答えたわ。いい曲だったでしょ。

わかってますよ。グレアムは本当にいい人ですから。グレアムは、長年に渡って、あなたやあなたと同時代の多くのミュージシャンと同様、音楽界に多大な貢献をしてきた人です。リタ、あなたも音楽界に足跡を残し、世界を変えたアーティストのひとりですね。

 リオン・ラッセルも忘れないでよ。リオンはミュージシャンズ・ミュージシャンです。彼ほどたくさんの音楽人の人生を変えたピアノ・プレイヤーはいないと思うわ。自分の人生が変えられてる時にもそう感じてたし、あれ以来、何十年もの間ずっと、そう感じているの。あんな経験、ありません。天才的なミュージシャンは他にもいます。たくさんいます。バンドやミュージシャンの森の中で自分の道をしっかり進み、人生が変わっちゃうくらい凄い人と出会うのは大変なことです。当時の音楽界は今ほど層は厚くなく、人数も今ほど多くはありませんでした。あの頃もレコード会社やラジオがあって、私たちは皆、同じものを聞いていました。ジミ・ヘンドリクス級、ボブ・ディラン級の強力な人がいました。後にも先にも、ああいう人たち出現しないでしょう。こうした人たちとステージに立ち、レコーディング・スタジオで一緒になり、今でも立派に通用するパワーを感じることが出来たなんて、パワフルな時代だったのね。その一員になれたことを、私は永遠にありがたく思います。それを端のほうからこっそり見ていたんじゃなくて、そのまっただ中にいて、歌を歌い、曲を書いていたんですからね。これはもの凄い体験で、今でもなお音楽を続けている唯一の理由がこれだと確信しているわ。音楽は私の天職よ。人生の目的なの。やめようとは全く思いません。

アーティストを目指してる人にはどんなアドバイスをしますか?

 人生で他に出来ることが何かあるなら、そっちを選択しましょうってことよ。「大学教授になろうかなあ。でなければ、シンガー・ソングライターになりたいなあ」っていう場合には、私は勉強の道を進むよう薦めるわ。たぶん、そっちのほうが確実だからよ。テレビから、インターネット、フェスティバル、それから誰かの家まで、思いつくありとあらゆる場所に、何百万ものシンガー・ソングライターがいるんです。わたしのように音楽しか出来ない人間も中にはいます。私が常に歌い続けたり、曲を書き続けたりしてきたのは、音楽に呼ばれたからなのよ。私が音楽を呼んだんじゃないの。年下の人から「私は何になれますかね?」と質問されたら、いつも、こう答えてるの。「自分の才能を大切にして、それを与えてくれた神様に感謝しましょう」って。小さな女の子のグループが私のところに来て、歌を歌ってくれて、それが上手な時にもこう言うわ。「とっても素敵です。ずっと続けてください。でも、他の勉強もしっかりね」って。

良いお母さんのようですね。

 (笑)私の娘はいろんなことをやってて、今でもバレーを教えながら、自分でも踊ってるの。過去15〜20年間ずっとそうしてるんですが、最近はブルーグラス・バンドもやってるのよ。ある日、郵便箱をのぞいたら、CDが入ってるようになればいいなあと思うわ。グループ名はイエローフェザーっていいます。クリスとの間に出来たあの娘{こ}は、家族と家で暮らして、自分の子供たちを育てながら、先生になって、バレーを教える生活を選んだように見えたの。ホメオパシー医もやってたわ。これまで、音楽を書いたり演奏したりもしてましたが、音楽が勝つなんて全くの予想外よ。しかも、今のところは音楽が勝ち続けている状態なの。

将来の予定はありますか?

 今まさに、人生の大きな転機を迎えようとしてるところよ。カリフォルニアの自宅を売って、フロリダ州北部に引っ越しをしようと思ってるの。

どんな理由からですか?

 ハイスクールの時にフロリダに住んでて、フロリダ州立大学を卒業してるの。だから、ノース・フロリダは私にとって、ずっと美しいところなの。1つキーワードがあるの。それは「水」です。フロリダには水があるの。

フロリダは時々水害に見舞われますね。心配ではないですか?

 そうね。でも、パンハンドル地域では洪水は起こりません。緩やかな起伏の美しい丘があって、樹齢数百年のオークの巨木からはサルオガセモドキが垂れて、道路の天蓋のようになっていて、シーフードも美味しいし、私が好きなものがたくさんあるのよ。引っ越しが楽しみです。

[テープ起こし:ガレン・ホーソーン]


The original article “Conversations With Delta Lady Rita Coolidge” by Mike Ragogna
http://www.huffingtonpost.com/entry/conversations-with-delta-lady-rita-coolidge-pocos_us_59a81ce4e4b02498834a8f26
Reprinted by permission
posted by Saved at 20:41| Comment(0) | Rita Coolidge | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする