Setlist: Allman Brothers Band Cow Palace San Francisco, CA 12/31/1973
Wasted Words, Done Somebody Wrong, One Way Out, Stormy Monday, Midnight Rider, Blue Sky, In Memory Of Elizabeth Reed, Statesboro Blues, Southbound, Come & Go Blues, Ramblin' Man, Trouble No More, Jessica, Les Brers In A Minor, Drums, Les Brers In A Minor, Whipping Post Jam*, Linda Lou/Mary Lou*, Hideaway/You Upset Me*, Bo Diddley*, 21 Mountain Jam*, Bo Diddley*, Save My Life*, Blues Jam*, You Don't Love Me*, Will The Circle Be Unbroken*, Mountain Jam*
* with Boz Scaggs, Jerry Garcia & Bill Kreutzman
1974年を迎えながら起こった笑える出来事
文:ブッチ・トラックス
1970年3月13、14日、オールマン・ブラザーズは初めてニューオリンズのザ・ウェアハウスでコンサートを行なった。この会場にはマジックがある。ここは元は埠頭の綿花の倉庫で、かつては輸出前の綿花をここで保管してたんだ。木で出来ていて、音響も最高。当時、オレたちがプレイしてたどの会場にも劣らない最高の雰囲気があった。1970年12月31日にザ・ウェアハウスで初めて大晦日コンサートをやって、同じようなイベントは1972年12月31日まで毎年続いた。この頃には、《Eat a Peach》がマルチプラチナムに届き、マディソン・スクエア・ガーデンやスペクトラムといった会場もソールド・アウトするような状態になってたんで、ザ・ウェアハウスのような2,000席の会場でプレイしたのは、オレたちが純粋に楽しみたくてやったことだった。あそこでやった大晦日コンサートは伝説になった。コンサートをやりながら新年を迎えるのが楽しくて、会場が閉鎖になるまで3年間は続けたんだ。
1973年も大晦日が近づいて来てたんだが、ザ・ウェアハウスはもうない。ということで、マネジメントとビル・グレアムは、サンフランシスコのカウ・パレスで1973年12月31日と1974年1月1日に2夜に渡ってコンサートを開催するというアイデアを出してきた。どちらのショウもすぐに売り切れたので、全米のラジオで生中継することも決定した。リスナー数は、フランクリン・ルーズベルト大統領の炉辺談話以来、最多となる見込みで、実際にそうなった。今でも、この記録は破られてないと思う。
とにかく、会場にいる2〜3万人とラジオを聞いてる数百万人に向かってプレイする準備をしてると、誰かがオレに教えてくれた。一緒にジャムるために、グレイトフル・デッドの連中が既に来てるぞと。デッドとはフィルモア・イーストで一緒にコンサートをやったことがあるんだが、それ以前、オレは1度しかトリップした経験がなかった。デッドにはオウズリー・スタンリーっていうローディーがいた。こいつは文明化された世界の大半のためにLSDを製造してる化学者で、あらゆる人間に一服盛ることがこいつの目標だった。フィルモアでのあの晩、オレたちのビールを冷やすための氷水の中に純度の高いアシッドがオウズリーによって仕込まれてて、ビールを飲んだら、缶についた氷水に含まれてるLSDを摂取し、完全にトリップすることになっちまった。あの晩、オレは1缶以上のビールを飲み、ショウが中盤に差し掛かる頃には、プレイ出来ない状態になっちまったのだ。
そいつがカウ・パレスで行なわれる大晦日コンサートに来てると聞くやいなや、オレは自分のワイン・ボトルを掴んで、封を切った後は手元に置き、他の物は絶対に飲まないようにした。フィルモアでの出来事を繰り返したくはなかったのだ。新年を迎えたのはファースト・セットの後だった。1974年元日を迎える様子のラジオ放送はこのサイトで聞いてくれ:
http://www.concertvault.com/the-allman-brothers-band/cow-palace-december-31-1973-set-2.html
そこまではいい調子だった。オレたちはセカンド・セットを開始した。しかし、その約1時間半後、ジェイモーとオレのドラム・デュエットが含まれることになってる〈Les Brers in A Minor〉の直前に、オレのドラムが宇宙空間を漂い始めたのだ。ドラムを叩いても、マシュマロを叩いてるような感じになっちまったんだ。オレは思った。「また、あいつにやられたぜ」って。振り返ると、ビル・クロイツマンが立っていた。イエス・キリストのように見えたね。後光もさしていた。オレは持ってたスティックを差し出して、ドラムを叩いてくれないかとお願いした。オレはもう音楽についていけなかった。ビルは引き受けてくれた。続いて、本来ならばオレが数百万人のオーディエンスの前で大活躍するはずだったところでも、ビルが演奏した。オレはステージの端に移動して、残りのショウを堪能した。その後の、ジェリー・ガルシアと、ずっとオレのドラムを叩いているビル・クロイツマンとのジャム・セッションも含めて。
数年後、オウズリーに会った時に聞かされた話なのだが、奴は水鉄砲にLSDをたっぷり仕込んだ後、フロア・タムの下に置いてあったオレのワインボトルに近づいて狙い、遂にそのいたずらをやり遂げたとのことだった。してやられたぜ。
The original article "A Funny Thing Happened On The Way To 1974!" by Butch Trucks
http://thebutchtrucks.blogspot.jp/2011/09/funny-thing-happened-on-wayto-1974.html