2018年12月03日

瀕死状態のバングラデッシュ・ロック

 毎年4月に池袋西口公園にたくさんの在日バングラデッシュ人が集まって「ボイシャキメラ」という新年を祝う祭りを行なうようになって久しいですが(ウェストゲートパークがダッカの雑踏と化す)、平均的音楽ファンの間ではバングラデッシュというと「バングラデッシュのコンサート」と「バウル」で認識がストップしてしまっているのではないでしょうか。そういう自分に対して、それじゃいけないよなという自戒を込めて、この記事を紹介します。



瀕死状態のバングラデッシュ・ロック
文:ムバシャール・ハサン


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「バングラデッシュでロック・ミュージシャンとして生きていくのは超大変だよ」----サミール・ハフィズ(ヘヴィーメタル・バンド、ウォーフェイズのギタリスト)

 イスラム教徒が多数を占めるバングラデッシュにロックンロール文化の種が蒔かれたのは、1971年にこの国が誕生した時だ。パキスタンからの独立戦争後のことだった。
 20世紀の大部分の間、この地域は南アジアの昔ながらの農業社会であり、ここで流れている音楽といえば、タブラやハーモニウム、エクタラという1弦ギター等の楽器をフィーチャーしたベンガル地方のフォーク音楽だった。
 その後、自由を求めた激しい闘争が起こった。筆者がバングラデッシュ史を研究してわかったのは、この政治的な反乱のおかげで、音楽的な反乱もこの地に根をおろしたということだった。

ロックが社会の変化に拍車をかけた

 独立後、少数のバングラデッシュ人ミュージシャンが芸術的刺激を求めて西洋に目を向け、ジミ・ヘンドリクス、ジョージ・ハリスン、ザ・ドアーズを聞き始めたのだが、その筆頭が、かつては自由を求めて戦った戦士で、その後、ミュージシャンに転身したアザム・カーンだった。
 カーンのバンド、ウッチャロンはバングラデッシュの音楽の中にドラム、ギター、キーボードを導入して演奏した。バングラデッシュの音楽ファンにとっては前代未聞の音だった。長髪にベルボトム・ジーンズという格好でスタジアムでコンサートを行ない、しばしば社会的・政治的メッセージのこもった強力な歌詞を歌うカーンは、ポップ文化を代表する人気アーティストになった。
 カーンは1970年代の有名な曲〈Bangladesh〉の中で、誕生したばかりの若き国家の、貧困と飢餓に苦しむ厳しい現状を描いている。「線路の近くのスラムで生まれた少年が亡くなり、絶望した母親は泣いてばかり」という内容の歌詞と、メランコリックなギターが印象的なこの曲で、カーンは時折「オー・バングラデッシュ!」と叫びながら、建国初期のバングラデッシュの自暴自棄状態を歌っている。
 カーンは2011年に亡くなったが、国の伝統に批判的な目を向けるよう、若い世代のバングラデッシュ人を感化した人物だった。


1970年代にバングラデッシュにロックをもたらした故アザム・カーンの2005年の演奏


 1960年代のアメリカにおいて、人種や宗教、性に関する文化的価値観を変えるのにロック音楽が一役を担ったように、アザム・カーン全盛期のバングラデッシュのロックンロールは、人々に今までとは異なるライフスタイルが可能であることを示した。
 1980年代にカーンのコンサートを見たことのある人物が、筆者のインタビューに答えてこう語った。「カーンは保守的な文化に対する反逆者でした」 この人は伝統的なベンガル・スタイルの服装をやめてジーンズを穿くようになった。「アザム・カーンがジーンズを穿いてるのを見たからです」
 カーンの影響は芸術にとどまらなかった。
 同じ人物はこうも語った。「カーンはバングラデッシュの文化の既成概念を破り、自由という進歩的価値観を広めました。保守的な価値観からの自由です」
 別のファンも言う。「私たちは政治意識に目覚めていきました」

バングラデッシュ・ロックは文化のメインストリームに

 独立して間もない頃のバングラデッシュでは、政治意識を持つことは破壊活動とイコールと見なされた。
 1980年代〜1990年代を通じて、政府は軍事政権、非リベラルな民主主義政権、独裁政権と揺れ動いた。そして、地方の発展にともなって経済成長も促されたが、1990年代前半の時点でもまだ、バングラデッシュ国民の41パーセントが極貧生活を送っていた。
 バングラデッシュは政教分離の国家として作られたが、サウジアラビアとイラン、エジプトで暮らすイスラム教徒数の合計よりも多くのムスリム人口を抱えており、1988年にはイスラム教を国教と定めた。
 この決定が2016年に最高裁でも支持されると、バングラデッシュは社会的にも宗教的にも保守化が進んでしまった。
 ロック文化は、政府に対する批判が奨励され、信仰熱心であるのは格好良くないとされる、ある種、オルタナティヴな世界だった。
 1990年代に、ガンズ&ローゼズ、ピンク・フロイド、エアロスミスがバングラデッシュで人気が出てくると、ロックストラータ(メタルのパイオニア)やウォーフェイズ(ハードロック)、ラヴ・ランズ・ブラインド(ポップス)をはじめ、英語の名前を持ったバンドが多数登場し、長髪にTシャツ、チェーンのネックレスという出で立ちのファンでいっぱいのスタジアムで演奏した。

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バングラデッシュのバンド、ロックストラータ(1985年)
Mahbub19702002/Wikipedia, CC BY-SA


 音楽の演奏が歴史的に静かでおとなしく、統制の取れていた国では、これは革命的な現象だった。
 ロック・コンサートは大音量だった。ファンはタバコを吸い、ヘッドバンギングし、喧嘩もした。この国のアーティストも、アメリカやイギリスのアーティストほど激しくはなかったが、酒やマリファナ、他のドラッグを用いた。

ロック・デモクラシー

 バングラデッシュの経済が1990年代後半に世界に門戸を開き、衣類の輸出が増え、ハリウッド映画や高級車が入ってくるようになると、格差も急速に拡大した。特に、急速に発展を遂げていた都市部では、新たに富が蓄積される一方で、貧困は依然として残っていた。
 バングラデッシュのロック・ミュージシャンたちは、こうした不均衡を厳しく批判するようになった。
 メタル・バンド、ウォーフェイズは、1998年のヒット曲〈Dhushor Manchitro〉(「消えた地図」の意)で、「毎日、ストリートに死体が転がる横を、横柄なブルーのメルセデスが通り過ぎていく」「民主主義が不正にウィンクしている」という「絶望の時代」を歌っている。
 1997年のトラック〈Gonotontro〉(「民主主義」の意)では、シンガーのマクスード・オダカはバングラデッシュの民主主義を「憲法で認められたごろつき主義」と呼んでいる。ロック・アーティストたちは勢いを増す宗教的保守主義にも異を唱えた。
 反戦歌〈Parwardigar〉のビデオは、マクスード・オダカの過激派に反対するメッセージから始まり、テロ攻撃や平和集会の映像をバックに「盲目的狂信者や原理主義者たちにオレたちの未来を奪うことは出来ない」と主張している。



バングラデッシュ・ロックの衰退

 以来、社会問題、経済問題の大部分は悪化するばかりである。
 2008年に政権に就いたシェイク・ハシナ首相は経済発展を押し進めており、現在、バングラデッシュは製造業の中心地となり、経済は急速に発展している。経済面では良いニュースがあるが、ハシナ政権は国内においては反対意見を弾圧している。
 昨年、政府を遠慮なく批判した2人の人物----写真家のシャヒドゥル・アラムと社会学者のマイドゥル・イスラーム教授----が「反政府的プロパガンダと誤情報の宣伝」の廉で投獄されているのだ。ちなみに、この罪では最高14年の懲役が課せられることになっている。
 国際人権NGOのヒューマン・ライツ・ウォッチはハシナ政権に反政府活動家に対する恣意的な逮捕をやめるよう求めている。バングラデッシュの刑務所には「破壊活動」の罪で投獄されている人が数千人いるとも報じられている。
 宗教的過激主義もバングラデッシュで勢力を増してきている。2013年以来、非宗教的なブロガーやアーティスト、宗教的マイノリティー、自由思想家が暴力的攻撃を受ける事件が相次いでいることは、国民の自由と発言の許容度が狭まってきている証拠である。

音楽が死んだ時代

 かつて、バングラデッシュ国民はロックを抗議の音楽として用いた。しかし、現状では、ロック文化は消えつつある。理由の1つは、隣国インドから入ってくるボリウッド音楽にお株を奪われたことだろう。ボリウッド音楽の人生と愛を賛美する色鮮やかなパワー・アンセムがバングラデッシュのラジオを席巻し、その海賊版もインターネット上で無料で手に入る。一方、反抗の音楽としては、ロックは新たに誕生したアンダーグランドなヒップホップ・シーンに、すっかり取って代わられてしまっている。
 国内の法律も、かつてバングラデッシュの活気に満ちたロックシーンを牽引していたアーティストの利益を保護するようにはなっていない。業界関係者が言うには、バングラデッシュの音楽のうち、合法的に購入されたものは全体の10%ほどであり、音楽の海賊行為によって年間1億8000万USドルの損失があると見積もられている。
 「知的財産権や印税といった概念は、オレたちの文化にしっかりとは浸透してない」とウォーフェイズのギタリスト、サミール・ハーフィズは筆者に語った。「バングラデッシュでロック・ミュージシャンとして生きてくのは超大変だよ」
 西洋のものは全て拒否し、伝統的な生活スタイルを是とする宗教的原理主義も、バングラデッシュのロック・シーンに打撃を与えている。筆者がインタビューしたイスラム教徒の若者の中には、ロックンロールを罪と見なす者もいた。
 かつてはバングラデッシュの変革に貢献したというのに、今や、ロック・ミュージックに残されている余地は殆どない。


The original article "Rock'n'roll is dying in Bangladesh" by Mubashar Hasan
http://theconversation.com/rock-n-roll-is-dying-in-bangladesh-106967?utm_source=facebook&utm_medium=facebookbutton&fbclid=IwAR3GUD9dVOmjRXRWUjoXzpv6zDsVh_iMhniGWzRIqQyindolx8ckJnnJrTo
Reprinted by permission

   
posted by Saved at 10:55| Comment(0) | Bagladesh | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする