2018年02月14日

書評:『ジョン・レノンは、なぜ神を信じなかったのか ロックとキリスト教』

 島田裕巳・著『ジョン・レノンは、なぜ神を信じなかったのか ロックとキリスト教』(イースト新書)は宗教にからめてロックを語った本としては日本では画期的で、しかも、執筆者が音楽評論家ではなくて有名な宗教学者ということで、そこらのロック関連書籍とは違うものになるだろうと期待度の高い本でした。ロックの専門家ではない、大学で他の専門分野を研究している人の書いたロック本としては、『ビートルズは音楽を超える』(武藤浩史・著)が、英文学やイギリス社会史とからめて、音楽ファン(ロックに夢中で学校の勉強をサボり、成績が悪かった人ばっか。私もそうです)にはない視点からビートルズを語った名著だったので、こっちもと期待していました。



 『神を信じなかった』本を実際に手に取ると、さっそく「はじめに」の中で(日本でロックとキリスト教の関係が知られてこなかったのは)「音楽評論家たちが、まったくといっていいほど、ロックの背後にある、あるいは西欧の音楽全体の背後にあるキリスト教の信仰について関心を持たなければ、知識もなかったことがあげられる」(p.006)とあります。裏を返すと「宗教に興味も関心もある学者の私が書くことは、勉強が足りてないロック・バカとは違いますよ」と受け取ることが出来ます。実に頼もしい。まさに、そういう本を待ってたのです。
 第1〜2章のピーター・ポール&マリーの宗教色、ゴスペル大好きエルヴィスまではイケイケ状態の書きっぷりです。エルヴィスが実は信心深い純朴な人間で、ゴスペルが大好きだった件は、カジュアルなファンでも知ってることですが、米宗教史とからめたその位置づけは、関心と知識のある宗教学者ならではのものです。しかし、第3章からボブ・ディランのことを話し始めると、アレレ?という箇所が現れ始めます:

(p.115)(1965年ニューポートに関する説のひとつを紹介)〈It's All Over Now, Baby Blue〉をヤーローとデュエット

 デュエット説の存在は初耳です。私の勉強不足でしょうか? 何人かの知人にも質問してみましたが、デュエット説は知らないとのことでした。何かの本に載ってるのでしょうか?

(p.120)『ジョン・ウェズリー・ハーディング』のアルバム・ジャケットでも、ふたりのネイティヴ・アメリカンにはさまれたディランは

 ネイティヴ・アメリカンじゃなくてインド人。

   

(p.120〜121)(《Nashville Skyline》について、これを聞いた時の佐野元春の驚きと、「音楽雑誌は判断を迷っていた。私は声まで変えていたのだ。みんなが頭を抱えていた」というボブ本人の言葉を引用した直後に)聴衆は、社会に対してプロテストする歌よりも、安心して聴ける曲を求めていた。…社会からは支持されたのである。

 ボブの発言は「みんなから支持されなかった」という意味だと私は解釈してます。それと正反対の「社会から支持された」という論調は、この本で初めて読みました。私の勉強不足か?

(p.129)湯浅の著作では、ディランがこの時代にボーン・アゲインということばを使った覚えはないと、わざわざ証言したことを紹介している。

 〈In The Garden〉の歌詞はチェックしなかったのでしょうか?

(p.129)新生を経験するということは、なんらかの宗教体験をすることを意味する。では、ディランにはそうした体験はあったのだろうか?

 この問題提起の後、「公演中、ファンがステージに投げた十字架を拾った」「ホテルの一室でイエスと会った。イエスは肉体として現れた」等の宗教体験の話が全く紹介されていません。伝記本にはよく出てくる話なのに、どうして触れてないの?

(p.129)一九七八年に『レナルド・アンド・クララ』という映画を製作

 1978年は公開。制作は1975〜77年。

(p.135)ゴスペル期になるまで、キリスト教の信仰と関連するような曲をディランはほとんど作ってない。
(p.139)ゴスペル期になるまで…聖書に登場する語句や人物が出てくることもあまりない。
(p.147)ゴスペル期以前に、彼が自作の曲に神を登場させなかったことを…
(p.154)自分で作った曲には、宗教色が欠けている

 第3章でこの点をしつこく繰り返しているので、島田は自信を持ってそう判断してるのでしょうが、以下の歌詞はどうでしょう? 「神はアブラハムに、お前の息子を殺して私にささげなさいと言った」で始まる〈Highway 61 Revisited〉は? 〈Rainy Day Women #12&35〉の「石を投げる」はイエスが生きてた頃のユダヤの刑罰を連想しないか? 〈Desolation Row〉にはカインとアベルが登場。〈The Lonesome Death Of Hattie Carroll〉の「slain by a cane」はカインによるアベルの殺害も連想させる懸詞でしょうに。〈When The Ship Comes In〉には海が分かれる、ゴリアテ、ファラオという言葉が登場して旧約聖書臭ぷんぷん。〈George Jackson〉に「Lord」が登場。〈No Time To Think〉では「キスによって裏切られ」と歌っている。〈Sign On The Cross〉はもろ十字架。〈Idiot Wind〉には「十字架上の孤独な兵士」。〈Joey〉には「天国にいる神が…」。〈I Shall Be Free No.10〉には「天国のストリート」。私が自分の粗末な脳味噌でちょっと思い出しただけで、これだけ出てきます。歌詞本を調べたら、もっと出てくるでしょう。これでも「ほとんど作ってない」のでしょうか? こうした曲が何曲あれば「少し」もしくは「まあまあ」作ってることになるのでしょうか? 数十ページ先で、ジョン・レノンの〈God〉の「I'm John」に『ヨハネの福音書』を連想するほどキリスト教関連の言葉に敏感な人なら、以上の歌詞にもビビビッとくるはずなんですが…。もしかして、島田は歌詞集をチェックせずして歌詞について論じてるのか?

   

(p.147)『ノックト・アウト・ローデッド』は、マハトマ・ガンジーやマーティン・ルーサー・キング牧師、そしてイエス・キリストが理不尽に殺されたことを神に対して訴える内容になっている。

 アルバム全体がこういうテーマなのではなく、その中の1曲〈They Killed Him〉がこういう内容。島田はこの曲がクリス・クリストファーソンの曲とは気づいてなさそうです。

(p.150)彼が作り演奏した音楽を追っていくかぎり、信仰上の葛藤があったようには見えない。

 1979〜80年前半のツアーでゴスペル曲しか歌わなかったのは、過去の曲と信仰上の葛藤があったからです。ボブもそう語ってます。島田は「演奏した音楽」を本当に追ったのでしょうか?

(p.152)コンサートがはけてから、バックコーラスのメンバーと夜を徹してゴスペルを歌った。そうした面はディランには欠けていた。

 映画『Renaldo And Clara』には、コンサートではない場所で〈People Get Ready〉を歌ってる様子が収録されています(別のシーンのバックとして、音だけ)。この曲はジャンルとしてはソウル/R&Bとされていますが、十分ゴスペル風の曲じゃないですか。なので、「欠けていた」という断定的な表現には違和感を覚えます。


 
 普通、この手の本には巻末に参考文献の長いリストが載っているものなのですが(それを見ると著者の研究のレベルもわかります)、この本にはありません。でも、さすが学者です。本文中にしっかり書いてありました。ボブとキリスト教に関して扱っている第3章で引用元として触れられているのは、次のものでした:

湯浅学『ボブ・ディラン----ロックの精霊』
佐野元春『ハートランドからの手紙』
マイケル・J・ギルモア『Gospel According To Bob Dylan』
ハワード・スーンズ『Down The Highway』

   

 これだけです。湯浅、ギルモア、スーンズの本はボブのキャリア全般を鳥瞰した内容のものであり、ボブと宗教についても書いてなくはありません。しかし、ボブと宗教というテーマなら、それを本格的に論じた最新の研究をチェックしない理由がわかりません。昨年中に《Trouble No More》にあわせて出版された『Trouble In Mind』(クリントン・ヘイリン著)や、一足先に出た『Bob Dylan: A Spiritual Life』(スコット・マーシャル著)を島田が読んだ様子はありません。時間的に可能なのにです。ボブはずっとイエスを信じていたと主張する『Dylan Redeemed: From Highway 61 to Saved』(スティーヴン・H・ウェブ著)も、何だかんだ言ってボブはずっとユダヤのルーツを捨ててないと主張する『Bob Dylan: Prophet Mystic Poet』(セス・ロゴヴォイ著)も読んだ様子はありません。どうして?

   

 途中は以上のようにツッコミどころ満載なのですが(変な箇所はまだまだある)、島田が至った「〜ではないだろうか」という暫定的結論は、なかなかいいところを突いてるんです。まとめると、こうでしょうか:ディランはユダヤ教の通過儀礼を経験したものの、その信仰世界を深く探求することはなく、キリスト教徒もたくさんいるアメリカ社会の中でアメリカ人として生きてきた。短期間、キリスト教の信仰に没頭したが、その熱がさめた後も、ゆる〜く信仰を持ち続けているのではないだろうか。
 さらに、こんな良いことも述べてます。「無宗教を自覚するわれわれ日本人に近いのかもしれない。日本人は、通過儀礼は神道と仏教でやりながら、自分たちは信仰を持っているという自覚は持たない」「キリスト教のボーン・アゲインの信仰と、ユダヤ教の通過儀礼とでは次元が違うわけである。次元が違うということは、必ずしも両者が衝突しないということを意味する」「アメリカに住むユダヤ人全体に共通するもので、別格珍しいものではない」 これは気がつきませんでした。あっちになったこっちになった的な議論ばかりを聞き(いわば、ウェブvs.ロゴヴォイ)、宗教は日本人には理解出来ない話題だと半ば諦めていましたが、時々迷走してる文の最後になって面白い視点が提示され、ハッとました。
 とはいえ、宗教学者の関心と知識が生かされてる本とはあまり思いません。レーガン政権で一気に保守化が進み、キリスト教の一部宗派が政治に関心を持ち始め、政治家が票田としての宗教界に目を向けるようになったのと(子ブッシュ時代のネオコンにつながる)、ボブのゴスペル期は時が一致しています。ジョン・レノン&ヨーコ・オノはゴスペル・ボブが気に入らなかったのに、その直後に作ったアルバム《Double Fantasy》の〈Starting Over〉や〈Hard Times Are Over〉はバリバリのゴスペル・サウンドです。フランク・ザッパも《You Are What You Is》の〈Heavenly Bank Account〉でバリバリのゴスペル・サウンドに乗せて宗教ブームを皮肉っています。これが全部、同じ時期に起こってるんです。時代的な何かがあるはずです。島田は年齢と学歴からすると、宗教に対する関心と知識を持ちながらリアルタイムでこの頃の世界を見ているはずで、現に『芸能人と新宗教』『反知性主義と新宗教』という著書もあるので、何か言うべきことを持ち合わせてはいないのでしょうか? 現代アメリカにおけるさまざまな宗教運動・団体(例のヴィニヤードなんとかやジューズ・フォー・ジーザスなど)の活動や主張を、日本人にわかりやすく説明してくれればいいのに。ボブはどういう思想を持った人たちに混じって、どういう勉強をしたのでしょう? 聖書の勉強というのは、先生がどういうことを教え、生徒は何をするのでしょう? コンテンポラリー・クリスチャン・ミュージック(CCM)という音楽ジャンルにおいて、ボブはどういう位置づけなのでしょうか? ボブはCCMからどういう影響を受け、どういう影響を与えたのでしょう? わからないことだらけです。知りたいことだらけです。「はじめに」で音楽評論家を元気良くディスってる割には、学者の本は取り上げず(ウェブ、マーシャルは宗教学者です)、音楽評論家やミュージシャンの書いた本しか参考にしてないし、中身はそれをはるかに下回るレベルというていたらく。こういう本のことを、買って後悔の駄本と言います。きっと、昨今のビートルズ人気とボブ・ディランのノーベル文学賞受賞にあやかって、それで何か書かないか?というオファーが来てから、それまで特に関心も知識も持ってなかったボブと宗教に関して、評判の良い本を数冊読んで(たぶん斜め読み)適当なことを書いちゃったのでしょう。そんな雰囲気がパない、つめの甘い本でした。(なのに、この記事にアマゾンのリンクを貼っておく私は相当な偽善者です)

   

 以上、第3章までのツッコミ&感想です。第4章からビートルズの話になるのですが、こちらもツッコミどころ満載。気が向いたら、何か書きます。
 ロックと宗教というと、『ロックミュージックのオカルト的背景』という本もそろそろ出るようです(宗教とはちょっとズレてるか)。
http://www.shikokuanthroposophiekreis.com/2017/12/blog-post_18.html
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2018年02月04日

ボブ・ディランはインドに行ったことがない?

 約1年前の今頃、例のノーベル文学賞騒動の際に、インド発のこんなニュースが流れましたが、そんな話はでっち上げだとするサイトを発見しました。こちらのほうも、ちょっと盛ってる感のあるサイトに掲載されている記事なのですが、重要な部分だけ抄訳しておきます。文の途中ではこんなふうに(訳者のツッコミ)を入れておきました。


babu.jpeg


BABU KISHAN INSTITUTE OF MUSIC & PERFORMING ARTS - EKTARA FOUNDATION

Babu promo page

(このページには、ジョージ・ハリスンやチャーリー・ワッツ、キース・リチャーズ、ザ・バンドのメンバー、アリ・アクバル・カーン、ザキール・フセインとうつってる写真もあります)

 ボブ・ディランに「西洋のバウル」という名前を与えたのがバブー・キシャンである。インドでボブ・ディランのレコードをリリースしたのもバブーだ。バブー・キシャンなくしては、インドにおいて、ボブ・ディランが何者なのか、彼の音楽がどのようなものなのかを知る者はいないだろう。CBSインディア(後にソニーに買収される)の社長はバブー・キシャンに訊いた。「なぜ常にボブ・ディランを宣伝・販売しているのか?」と。
 バブーの回答はこうだ。「ボブ・ディランからは常に感銘を受けている。個人的に知り合いで、友人にもなった」
 バブーはボブ・ディランをインドに招聘しようとしたが、当時はスポンサーが見つからず、誰にも興味を持ってもらえなかった。バブー・キシャンはボブの詩と音楽に影響を受け、ロック・ジャーナリズムの父、アル・アロノヴィッツを通じてたびたび連絡を取っていた。アロノヴィッツは、ボブ・ディランが新人だった頃にアレン・ギンズバーグやビートルズに紹介した人物だ。

インドの「バブー・キシャン」がインド及びアジアの諸地域で宣伝販売した「ボブ・ディラン」のアルバム
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バブー・キシャン(クリシュネンドゥ・ダス)の名刺
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 ベンガル地方の人はたいてい、この町はボブ・ディランと縁があるように話すが、実際にはない。プルナ・ダス・バウルの長男、バブー・キシャン(ボリウッド・ネーム)ことクリシュネンドゥ・ダス(本名)のみが、ボブ・ディランと個人的なつきあいがある。彼の父親と叔父ラクシュマン・ダス・バウルは1967年に初めてボブ・ディランと会ったが、関係は長くは続かなかった。バブー・キシャンだけが交友関係が続き、ボブ・ディランと会うたびに、「ラクシュマン・ダス・バウルは元気か?」と訊かれた。
 ボブ・ディランとベンガルとの繋がりは、バブーの父親と故ラクシュマン・ダス・バウル、そして、バブー・キシャンがボブと知り合いだということのみである。ベンガル地方のさまざまな新聞でボブ・ディランに関する記事を書いたのは、バブー・キシャンことクリシュネンドゥ・ダスが第1号であり、その後ももっぱら彼しかいない。ボブ・ディランがインドに来たことはないが、記事を通してボブ・ディランをベンガルやインドに紹介したのはバブーである。しかし、我々の目に映る現状はというと、ボブ・ディランと縁もゆかりもない他のアーティストやバウル、詩人が話をでっち上げている様子である。
 バブーは1980年代にディランのアメリカ・イースト・ウェスト・ツアーに同行し、父親と母親を伴って少なくとも10回はステージに立っている(正確には何年何月のツアーの、どこの都市でやった公演だよ?)。ツアーに参加し、ディランと友人関係を保っていたのはバブー・キシャンだけだ。父親とディランを18年振りに再び結びつけ、ウッドストックでガース・ハドソンとアルバムをレコーディングする手筈を整えたのもバブーなのだ。
 最近になって、バブーはジェイコブ・ディラン(ボブの息子)と話す機会があったのだが、ジェイコブは、ボブはインドには行ったことがないと語った。我々はこの件に関してボブにも確認を取った。

ボブが首に巻いてるラマバリ(スカーフ)はラクシュマン・ダスがプレゼントしたもの
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アメリカの詩人、アレン・ギンズバーグと、インドの詩人、バブー・キシャン
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 バブー・キシャンは長年の盟友、アレン・ギンズバーグとの交友に関する本を執筆中である(早く完成させてね)。バブーはアレン・ギンズバーグとの長期に渡る交友関係を築いたただひとりのバウルである。
 もちろん、この交友関係の端緒はギンズバーグがバブー・キシャンの祖父、「ナバニ・ダス・キェパ・バウル」と出会ったことだ。ギンズバーグは1962年にインドを旅行した際にナバニと会い、亡くなるまでずっと私的な繋がりを保った。アレン・ギンズバーグのウェブページには「その他」のカテゴリーにバブー・キシャンのページへのリンクがある。バブーとアレンは詩人同士で、神秘思想も共有している友人だった。

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 このサイトがフェイスブックのディラン・ファン・サークルで紹介されると、次のコメントが付きました。現地をよく知る人の貴重な発言だと思います:
 当時、私はカルカッタで暮らしており、ディランが来たという噂を例の結婚式の数日後に聞いたことを覚えています。このニュースはすぐに広まり、間もなく、本当のこととして見なされるようになりましたが、私はこれは事実ではなく、都市伝説だと思います。というのも、ベンガル式の結婚式は、少人数のみでプライベートに行なうものではなく、100人以上のゲストを招いて行なう盛大なイベントだからです。もし事実であるのなら、結婚式から今日までの長い時間の間に、ディランが出席しているのを実際に見た人の証言がもっとたくさん出てきていることでしょう。
 サリー・グロスマンこそ、実際にカルカッタに来てバウルたちと会った人物であり、今日に至るまでずっと、ここを訪れ続けています。2年前に行なわれたジョン・マクラフリンのコンサートで、私は彼女と会いました。


当ブログ掲載のボブ・ディランとインドに関する記事:
《John Wesley Harding》のジャケットに登場しているインド人の話(1)
http://heartofmine.seesaa.net/article/385773614.html

《John Wesley Harding》のジャケットに登場しているインド人の話(2)
http://heartofmine.seesaa.net/article/386451627.html

これもベースメント・テープスだ
http://heartofmine.seesaa.net/article/407462332.html

ボブ・ディランはインドに行ったことがあった!
http://heartofmine.seesaa.net/article/442946487.html


   






おまけを読む
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2018年01月22日

ディラン・イン・グラスゴー1966:ナイフを持った暴漢と機材盗難

 《Trouble No More》がリリースされたせいで《THE 1966 LIVE RECORDING》のことはしばらく忘れてましたが、約1カ月前にグラスゴーのローカル情報のサイトにこんな記事が掲載されました。マンチェスター・フリートレード・ホール公演の本『ジューダス!ロック史上最も有名な野次』の補足として読んでください。


ボブ・ディラン・イン・グラスゴー
ナイフを持った暴漢と機材盗難

文:ロン・マッケイ


 ジョージ・スクエアにあるミレニアム・ホテルのオーナー連中にビジネス・センスがあるなら、数日後には、ノーベル文学賞の受賞者、ロバート・アレン・ズィママンがかつてここに宿泊したことを記念する真鍮のパネルを壁に打ち付けることだろう。もし過去の宿帳が見つかったら、そこには彼がボブ・ディランというペンネームで記したサインがあり、宿泊し、ザ・ホークスとジャム・セッションをした部屋も特定されることだろう。ホテルとしては、そこで消費された大量のドラッグについては、大々的に取り沙汰したくはないだろうが…。
 ディランが初めてスコットランドにやって来たのは50年以上も前のことだ。ショウの後半では、アコースティック・ギターのかわりにフェンダー・ストラトキャスターを肩にかけて、ザ・ホークスをバックにエレクトリックな新曲を爆音で演奏し、毎回野次られていたことで有名な、あのツアーの時の、1966年5月18日にグラスゴーに到着したのだ。
 その前の晩のマンチェスター・フリー・トレード・ホールでは、「ジューダス!」と叫んだ何者かに「お前の言うことなんか信じない!…嘘つきめ」とやり返した後、バンドに音量アップを命じて、怒濤のように〈Like A Rolling Stone〉を演奏している。
 ボブ一行がホテル----当時はブリティッシュ・レイルが所有していたノース・ブリティッシュ----にチェックインした時は、その晩にオデオン・シネマで行なう予定のギグを楽しみにはしてなかったであろう。既にボブはフォークの寵児から目の敵へと変化しており、野次がツアーの見所となっていたからだ。グラスゴーの青年社会主義同盟は出来るだけたくさんのメンバーを集めて、コンサートに行ってブーイングをさせたのだが、彼らの声はポジティヴな反応に圧倒され、埋もれてしまった。
 途中退場も野次もあったが(おそらく青年社会主義同盟が組織的に行なったものであろう)、「ディランを出せ」という野次に対して、ボブは「ディランは体調が優れず、バックステージで休んでいます。彼の代わりに私がここに来ました」と返答した。翌晩、エディンバラのABCでは、反エレクトリック派の連中はバンドの演奏を聞こえなくしようとハーモニカを持参したが、無駄に終わった。
 ノース・ブリティッシュ・ホテルの寝室でディランがロビー・ロバートソンと未発表曲〈What Kind Of Friend Is This?〉を演奏するシーンがYouTubeにアップされているが、この部屋は後に、グラスゴーの負の象徴となる出来事の現場になってしまった。食べ物を持ってドアのところにやって来たウェイターが、突然ディランに向かって「フォーク・ミュージックの裏切り者!」と叫び始めたのだ。



 ディランのドライバー兼ボディーガードのトム・キーロックは、すかさず、この男を部屋から追い出したが、彼はこの時の状況をこう回想する:「そいつはオレにナイフを向けてきた。証拠の傷が今でもあるよ。蹴りを入れてやったけどな」 バンドのツアーバスも被害を被り、レコーディングやハイファイの機材が盗まれた。

bob-dylan-keylock.jpg

[左の人物がトム・キーロックらしい]


 しかし、翌日、エディンバラを離れる時のディランは上機嫌だった。ディランの監督のもと、自称ディラノロジストのDA・ペネベイカーが撮影したツアーのドキュメンタリー映画『Eat The Document』には、ボブがジョージ・スクエアで、バグパイプの音が鳴る中、警察犬の訓練士を眺めている様子が映っている(3:20くらいから)。バグパイプを演奏している者の姿は画面に登場していないが、恐らく警察のパイプバンドであろう。(4:37にパイプバンドが登場)



 そして、ボブが町を離れるために車に乗り込もうとすると、サイン帳(前世紀のセルフィーか)を振り回している少年少女に取り囲まれる。ボブが彼らに前晩のギグに来ていたのかどうか、ブーイングをしたのかどうか訊くと、彼らは元気にそれを否定する。「オレはブーイングをした連中全員の名前を知りたいんだ」 ボブはこんな冗談を言うと、車で走り去った。



 ツアーはディランが最高にクリエイティヴだった18カ月間の真っ最中に行なわれた。この間にディランは《Bringing It All Back Home》《Highway 61 Revisited》《Blonde on Blonde》をリリースしており、ノーベル委員会に評価されたのもこの頃の作品に違いない。
 5月27日にロンドンで行なわれたツアー最終公演の2カ月後、ディランはオートバイ事故を起こし、その後、8年間はツアー活動から身を引いていたが、この期間にもたくさんの曲を書き、ザ・バンドの面々が暮らしていた家、ビッグ・ピンクで彼らと一緒にそれを録音した。
 以来、ディランは何度もグラスゴーを再訪しており、いわゆるネヴァー・エンディング・ツアーではたいていSECCでプレイしているが、1966年のショウは既に伝説と化している。
 マーティン・スコセッシ監督のドキュメンタリー映画『No Direction Home』(2005年)で、ディランは熱心に語っている:「あのツアーでオレに同行してくれた連中は…オレたちは皆で一緒にライオンの口の中に頭を突っ込んでたようなものだった。オレと一緒に頑張ってくれたあいつらには本当に敬服した。スタッフとして働いてくれただけでも、勇敢な騎士だ。オレの後ろに立っててくれただけでもね」
 グラスゴー公演とエディンバラ公演は、シドニーから始まりロンドンで終わったツアーの現存する全音源を収録したCD36枚組ボックスセット《Bob Dylan: The 1966 Live Recording》に収録されている。グラスゴー公演はDisc 21に、翌晩のエディンバラ公演はDisc 22、23で聞くことが出来る。
 ライナーノーツによると、この音の記録は「無限のヴィジョンを持ったディランの進化をステージ上の現象として捉えている」とのことだが、1966年にグラスゴーのホテルの部屋でギターをつま弾く姿はノーベル文学賞受賞の決め手にはなってないだろう。


The original article “Bob Dylan's wild night of knife fights and robberies in Glasgow” by Ron McKay
http://www.glasgowlive.co.uk/news/history/bob-dylans-wild-night-glasgow-12022386


   
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