2017年04月11日

『ジューダス! ロック史上最も有名な野次』発売

 ロックンロール叢書の電子書籍第1弾『ポール・マッカートニー死亡説大全』を出版して以来、5年も経過してしまいましたが、第2弾の本『ジューダス! ロック史上最も有名な野次』をやっと出すことが出来ました。今回は1966年5月17日にイギリス、マンチェスターで行なわれたボブ・ディランのコンサートに関する本です。生粋のマンチェスターっ子で、実際にこのショウを見たCP・リーが、自らの思い出だけでなく、関係者やコンサートを見た他の人々の証言も集めて紹介しながら、ボブが「ジューダス!」と野次られたことについて社会文化史的考察を行なっています。
 価格は2017年4月における英語版の販売価格と同じ、775円となっております(Kindle Unlimitedで読み放題です)。



CPのウェブページです:
http://cplee.co.uk/

 マンチェスターで生まれ育ち、実際にコンサートを見て、1971年にはブートレッグを手に入れていたCP・リーとは雲泥の差がありますが、私もボブ・ディラン・ファンの端くれとして、違う経緯をたどってフリー・トレード・ホール公演の音源に接してきました。私が知っていて、CPが書き漏らしていることも少しあるので、まずはそれから(私の信仰告白も含めて)つきあってください。
 私がボブ・ディランのファンになったのは、ビートルズのレコードを買い始めた少し後くらいなので、中学2年生の頃です。初来日公演の半年「後」くらいだったので、近所のレコード屋には帯に「来日記念盤」と記されたアルバムが並んでいました。香月利一・著『ビートルズ辞典』を読んで、海賊盤という怪しいものが存在することを知ったのも同じ頃です。ビートルズの日本公演のレコードが存在すると知ったが最後、どうしても欲しくなったので(好奇心>尊法精神)、この本を持って近所の楽器店兼レコード屋に行ったところ、お店のオジサンから「うちはちゃんとしたレコード店なので、こういうものは扱ってません」と叱られてしまいました。しかし、音楽雑誌の後ろの方のページに海賊盤を扱っていると思しき怪しいレコード屋の広告があることに気づき、実際にそこに行くまでそんなに時間はかかりませんでした。当時は、郊外で暮らす貧乏人のガキにとって、都内に行くのは年に数回の特別なイベントで、学校が休みのシーズンに九段会館で行なわれていたビートルズの映画コンサートに行って、その帰りに西新宿7丁目に寄るというのが、残りの中学時代と高校時代の買い物ルートになりました。
 1970〜80年代にはボブ・ディランに関する本や雑誌は日本には殆どありませんでした。あっても、評伝か、歌詞を文学的に解釈する本だけで(こういうふうに受容してきたので、ノーベル文学賞にも違和感は覚えませんでした)、親切なレコード・ガイドなど1冊もありません。しかし、そのうち、1966年のイギリス公演ではロック・バンドと一緒に演奏して客から野次られたことや、その様子が収録されている海賊盤があるということを、どこかで読んで知りました。1970年代後半はロックが歴史というパラダイムで認識され始めた頃で、アメリカの評論家が選んだロックの名盤トップ200をまとめた本『これが最高!(Critic's Choice Top 200 Albums)』が出たのですが(現在よくある歴史的名盤特集の第1号だと思います)、それにこのコンサートが収録されている海賊盤《In 1966 There Was》が載ってるじゃありませんか。海賊盤なのに《Sgt. Pepper's》や《Blonde On Blonde》《Exile On Main St.》《Born To Run》等と同じリストに含まれているのです。海賊盤でエントリーしているのは、これ1枚でした。私の好奇心は大いに刺激されてしまい、次に新宿に行く時にはこれを買おうと心に決めたことは言うまでもありません(こうしてすぐに本道からそれてしまうのは、私の人生における悪い癖です)。
 そうして、地元の中学を卒業する直前に(ポール・マッカートニーが大麻不法所持で逮捕されて国外退去処分になった直後)、西新宿7丁目にあったKINNIEという伝説的ブートレッグ・ショップ(現在、この場所には演歌と落語の専門店が入っています)で3980円で買ったのが、PHOENIXというメーカーが製造した《Tough Songs》というアルバムです。名盤本に掲載されていたタイトルのものはなく、裏ジャケットに記されている曲目を見て、これかなあ?と思って購入し、帰宅して聞いてみたら大当たりでした。「ジューダス!」「お前なんか信じない。嘘つきめ」という野次と返答(この野次と返答、次に聞こえるオフマイクの発言「バカでかい音でプレイしろ」の解釈にも長い歴史があります)も生々しく収録されていましたから。このレコードはボブ・ファンの必修教材で、この頃は誰もが(もちろんCPは例外です)ロンドンのロイヤル・アルバート・ホール公演だと信じていました。

  

 この定説が覆される大きなきっかけは、未発表トラック入り高額ボックスセットの先駆的リリース《Biograph》(1985年)のブックレットに、「実際にはマンチェスター公演だが、観客とディランとの驚くべきやりとりは数日後のアルバート・ホール公演のもの」と書いてあったことです。どういう経緯でこのような中途半端な情報がオフィシャル筋から出たのかは今でもなお謎ですが、その後間もなくして、「やりとり」と切れ目なく繋がっている〈Ballad Of A Thin Man〉と〈Like A Rolling Stone〉の2曲もマンチェスターではないか(だって他の曲と同じ音質だもん)という説が有力になりました。しかし、この段階でも「説」の域を出ず、真相は依然として不明。1989年に伝説的ブートレッガーThe Swingin' Pigが発売した同音源のアルバム《Royal Albert Hall 1966》では、依然として、エレクトリック・セットの全曲がアルバート・ホール公演というクレジットのままでした。一方、マンチェスター公演のアコースティック・セットも1980年代半ばに流出し、1986年に初めてブートレッグがリリースされましたが、こちらはマンチェスター以外の説は出てこなかったと思います。

   

 ということで、音源全体がマンチェスター公演であると「確定」したのは、1998年にブートレッグ・シリーズの第4集として《Live 1966 "Royal Albert Hall"》がリリースされた際なのですが、この公演のリリースは一度1994年くらいに予定され、キャンセルになるという経緯がありました。そんなゴタゴタの直後の1995年にリリースされたブートレッグCD《Guitars Kissing & The Contemporary Fix》(クレジットはマンチェスター)は、イギリスで一部マスコミに対して配布された試聴用サンプルカセットを音源としたようだという噂を私は聞きました。サンプルカセットはコピーされ、この海賊盤が出る前年にはボブ・ファンの間で広く出回っていました。
 さて、やっと本書『ジューダス! ロック史上最も有名な野次』の話に入りますが、CP・リーがオリジナル版『Like The Night』を出版したのが1998年。正規盤《Live 1966 "Royal Albert Hall"》のリリースとほぼ同時です。歴史的コンサートがやっと正規に発売されたということで大きな話題になり、その直後のタイミングで「オレがその野次の主だ」という人物が現れました。出版を数ヶ月待てばよかったのに!と当時感じたことを覚えています。この件を盛り込んだ増補改訂版『Like The Night 2』が出たのは2004年のことですが、昨年11月にCPが自費出版した電子書籍バージョンは基本的にはこれを電子データ化したものです。
 マンチェスター公演に関しては、さらに運命のひとひねりがありました。2005年に公開されたマーティン・スコセッシ監督の映画『ノー・ディレクション・ホーム』に、ボブがマンチェスター公演で〈Like A Rolling Stone〉を演奏する映像が収録されたのです。「ジューダス!」と叫ぶ人物の顔までは映っていませんが、その叫びが発せられた直後のボブの様子はしっかり映っています。これまでにさまざまな本や雑誌で書かれ続けてきた(私も前世紀に書いた記憶があります)「ボブは野次に腹を立てて反撃。バンドに音量アップを指示」という伝説は否定されました。怒っていません。ニコニコ。余裕綽々です。「ジューダス!」の後の、ボブの「お前なんか信じない」「お前は嘘つき」はバンドの誰かとジョークを飛ばし合っているような感じです。野次への反撃ではなさそうです。しかも、その後の「どデカい音でやろうぜ(Play fuckin' loud)」では、ボブの口の動きと音が微妙に合っていません。「loud」の「lou」のところまでは一致してそうですが、最後に「d」を発音するとしたら、あんな口の形にはなりません。「イー」と言ってそうです。
 この発言の主に関しては今でもなお諸説紛々としており、ドラマーのミッキー・ジョーンズは前世紀から一貫して「ボブではない」と断言しています。あの時、ボブからあんな言葉が出たという記憶はないし、そもそもボブはあんなしゃべり方をしないというのがその根拠です。が、昨年秋にロビー・ロバートソンが発表した自伝『Testimony』ではボブの発言だと書いてありました。あの時、ボブと面と向かっていたロビーがこう証言しているので説得力がありそうですが、彼がはっきりボブだと言ったのは、私の記憶では今回が初めてで、今まではずっと「オレではない」という答え方でした。ということで、さまざまな人の証言や映像(これが決定的!)から判断して、私は今のところは「ボブではない誰か」説を支持しています。



 という経緯があっての今回の電子書籍『ジューダス!〜ロック史上最も有名な野次』の発売に至ったのですが、その準備中に著者のCPと面白いQ&Aをしたので、ここでインタビュー形式で紹介したいと思います。

1819年に民衆のデモを当局が武力で鎮圧して死傷者が多数出るという事件が起こった場所にフリー・トレード・ホールが建てられたとのことですが、どうしてフリー・トレード(自由貿易)という名前がついたのですか?

 産業革命で力をつけた新興中産階級が行なっていた運動は参政権を求めるものでしたが、政府が国内の地主(貴族)を保護するために穀物法を作り、輸入穀物に高い関税をかけて値段を人為的に高くコントロールしていたことに反対もしていました。それで抗議デモでは「穀物法撤廃! 自由貿易(フリート・レード)賛成!」といったスローガンを掲げていたのです。そこから、この名前がつきました。

「Play fuckin' loud」は誰の発言だと思いますか?

 いろんな説があることはわかっていますが、この件についてはあまり意見を言わないことにしています。ああいうふうに「号令」を発せられるのは座長のボブしかいなかったのではないかと、私は思います。

チケットの値段は一番高い席で「20/-」とのことですが、「20シリング」という読み方でいいんですか? ということは1ポンドだったんですか?

 正解です。昔の貨幣制度では1ポンド=20シリング、1シリング=12ペンスでした。

比較のために教えてもらいたいのですが、当時はレコードはいくらだったんですか?

 LPは平均1ポンド12シリング6ペンス、シングル盤は6シリング8ペンスでした。ちなみに、私が1966年の夏休みにやったアルバイトは週給9ポンドでした。

昔の£1は今ではいくらの価値があるかを計算してくれるサイト:
https://www.measuringworth.com/ppoweruk/


ボブの他にイギリスの「伝統主義者」から激しい反発を受けたフォーク・シンガーはいるんですか?

 答えはシンプルにノーです。ディランほど劇的に方向転換をしたアーティストはいませんでした。

ドノヴァンはどうだったんですか?

 ドノヴァンはもともとポップ・アーティストで、まとっている雰囲気もディランとは全然違いました。それに、ツアーはしていませんでしたし。〈Sunshine Superman〉が出た頃には、ディランが音楽を変えた後で、ファンはそれを尊重するようになっていました。まさに時代は変わるです。しかも、急速に。あのエレクトリック・ツアーから半年も経たないうちに全てがすっかり変わり、1967年になると、あんなことなかったかのようでした。少なくともメインストリームではそうです。
 でも、ロンドンのエンプレス・オブ・ロシア・フォーク・クラブでは、1980年代になってもまだ、エレキギターを使っていいかどうかでもめていたのを覚えています。

   
 
クリントン・ヘイリンは『Bootleg!』のまえがきで、マンチェスターにあったエロ本/ブートレッグ店、オービット・ブックスの話をしています。あなたが《Live At The Albert Hall》を買ったのもここですか?

 オン・ジ・エイス・デイっていう店です。オービットが出来たのは数年後でした。

* * *


 ロックンロール叢書は暇だけはたくさんある私が個人的にやってる資金ゼロの企画です。メインストリームなファンの眼中には入れてもらえない超くっだらね〜ことにエネルギーをかけてこだわってるマニアックな本を紹介したいと思い、第1弾は「荒唐無稽な死亡説」、第2弾である今回は「野次」の本を出しました。第3弾はあれかなあ…と数年前から考えているものがあるので、次回もお楽しみに。今度は5年も待たせないつもりです。

   

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2017年01月14日

放送大学公開講演会『ボブ・ディラン〜音楽に文学を重ねた男』

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 2017年のセンター試験第1日目の1月14日に、茗荷谷にある放送大学の東京文京学習センターで行われた公開講演会『ボブ・ディラン〜音楽に文学を重ねた男』が行なわれたので、タイトルに誘われて行きました。旧年中に行なわれたボブ関係のイベントというと、みんなでビールで乾杯したり、日本酒が振る舞われたりと、ノーベル文学賞が酔っぱらいによって酒の肴に矮小化されちゃった感がパないものばかりでしたが、『文学を重ねた』講演会はアルコール度数ゼロで、飲めない奴にも敷居の低いイベントでした。主催の放送大学としては、新年度の生徒募集のプロモーションの一環であって、講演後には大学スタッフによる進学相談も行なわれていたようです。
 講演の内容はというと、まずはパティー・スミスがノーベル賞授賞式で〈A Hard Rain's A-Gonna Fall〉を歌うビデオを流して、「この場に一番ふさわしくない人です。これに違和感を抱かない人はいないでしょう。でも、違和感なんか感じてる暇なんてないほど世界は早く動いてるんだぞ」というツカミで佐藤良明先生が始めたのは「いつも」のロック史概観・ボブ度ちょっと高めバージョン。開始早々、佐藤先生からは、中身はタイトルと違います宣言が出て、結局、お話全体を100とすると文学の話は2くらいの量でした。
 予定時間90分のうち、「ビートルズは(世界史で習うイギリス、アメリカ、アフリカの)三角貿易の逆回し」等の面白い話が進み、1965年のニューポート・フォークフェスティヴァルに到達したのは開始80分後。その後、最後の5分くらいで見せられたのがこのグラフです。

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 ピケティーの『21世紀の資本』が話に出てくるとは完全に予想外でした。私のような頭の悪いロック・ファンはこんな本、読みませんから(正確に言うと、読んでも理解出来ない)。「アメリカの上位1割による資産の占有率」をロック史と重ね合わせると、資産占有率が低かかった時代とロックの黄金期は重なるというのです。しかも、ボブの30周年記念コンサート頃から、占有率は急上昇しています。ボブやビートルズ、ローリング・ストーンズといったロック・レジェンドたちが、レジェンドであることから逃れられなくなった時期とも一致しています。
 普段、だらだらレコードを聞いているだけの不勉強な私にとっては、これは久しぶりの「あっ!」でした(決して「ヘウレーカ」でないところが、私の脳味噌の限界です)。今までのはイントロダクション、ここからが本題って雰囲気になってきたものの、残念ながらここで時間切れ。続きは今後の著書や講義でってことで講演会はお開きになりました。
 ということで、帰りの電車の中ではこんなことを考えました:

・そういえば、1970〜80年代にビートルズ、ボブ、ストーンズは学校で全く人気がなかった。ファンは私ひとりだけ。郊外のレベルの低い公立校だったので、そうだったのかもしれないが…。

・こういう状況では人間不信にならないほうが不思議。現在、手のひらを返したように彼らをレジェント扱いするファンがウジャウジャいるのも(しかも同年代)人間不信の原因。

・ボブ30周年記念コンサートはチケット代が初めて100ドルを超えたロック・コンサートのひとつだった。

・ストーンズ初来日10,000円も衝撃だった。

・今やチケット代は100ドルでも安いほう。2015年にはグレイトフル・デッドでさえ100ドルを超えたので、個人的に超ビックリ。

・現在、資産を独占している人は、1960〜70年代に少年時代〜青春時代を送ったロック世代に属している。

・資産を独占するレベルではないものの、ロックファンはいつの間に高いチケット代を喜んで払い、高いボックスセット(箱物行政という)をハァハァしながら買えるほど金持ちになったのだろう?

・ノーベル財団の人が受賞者発表時に言ってた「アメリカの民衆音楽の伝統に新しい詩的表現を…」という言葉からすると、一昨年にNHKが放送したラジオ番組『カルチャーラジオ 文学の世界 ボブ・ディランの世界を読む』がまさにこれに沿ったもの。NHK、先見の明があったなあ。


   

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2016年11月20日

階下で練習するボブ・ディラン

 今回紹介する記事は下の地図の界隈で起こった出来事に関するものです。ボブはマクドゥーガル・ストリート94番地のタウンハウス(6番街の1本東がマクドゥーガル。94番地はマーメイド・オイスター・バーの向かい側あたり。AJ・ウェバマンはここのゴミ箱を漁った)を持っていた他、ヒューストン・ストリート124番地を借りて練習スタジオにしていました。2014年に149枚ものアセテート盤が見つかったのは後者からです。

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 1975年6〜7月のボブの動向は以下の通りですが、特に6月末から7月上旬にかけて撮影された写真で、ボブの着ている服が同じなのが気になります。真夏のニューヨークでシャツを何日も替えないのは良いアイデアではありません。同じものをいくつも持ってたのかもしれませんが…。

1975年6月26日 ジ・アザー・エンドでパティー・スミスのライブを見る

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6月27日 ホテルでサンタナと会った後に一緒にローリング・ストーンズのMSG公演に行き、楽屋でミック・ジャガーと会談

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6月30日 路上で見かけたスカーレット・リヴェラをナンパ。夜はボトムラインでマディー・ウォーターズのライヴに飛び入り

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7月2日 ジ・アザー・エンドでランブリン・ジャック・エリオットのライヴを見る

7月3日 ジ・アザー・エンドでランブリン・ジャック・エリオットのライヴに飛び入り



7月4日 ジ・アザー・エンドでボブ・ニューワースのライヴに飛び入り

7月5日 ジ・アザー・エンドでボブ・ニューワースのライヴに飛び入り

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7月中〜下旬 イースト・ハンプトンでジャック・レヴィーと曲作り
http://heartofmine.seesaa.net/article/367640792.html

7月28日 《Desire》レコーディング開始


  







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