2017年07月24日

1966年マンチェスター公演チケット

 1966年5月17日、マンチェスター・フリー・トレード・ホール公演のチケットがeBayに出品され、£410(本日7/24のレートで約59,000円)で落札されました。当時の定価は最も高い席で£1。プラットフォームというのはステージ上の席です。

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 このコンサートに関する詳しいことは以下の本にて:

  
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2017年07月17日

ディラン&ザ・グレイトフル・デッドは30周年

 なんとか何十周年というのが大流行の今日この頃ですが、今年がそれにあたるというのに《Sgt. Pepper》50周年やコーネル大学公演40周年の影に隠れて全然目立ってないのが「ディラン&ザ・デッド30周年」です。前2者のような派手な「箱物行政」のリリースもなく、誰からも相手にされてない感がパないですが、嬉しいことに、ハワード・F・ワイナーというディランとデッドの両方が好きという殊勝な人物が『Dylan & The Grateful Dead: A Tale Of Twisted Fate』を出版しましたよ。そして、彼のお気に入りのショウ、ジャイアンツ・スタジアム公演が行なわれた7月12日に、今回ここで紹介する回想を自身のブログに掲載しました。
 私もこのコンサート、直に体験したかったなあ。

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[共演の翌年にリリースされたユージーン公演(私はこの公演が一番好き)の海賊盤LPと、21世紀になってからeBayで入手した同公演の未使用チケット----タイムマシンが欲しい]





ディラン&ザ・デッド、再生の場所としてのジャイアンツ・スタジアム
文:ハワード・J・ワイナー


 1987年7月12日(日)、ビルボード誌のシングル・チャートではボニー・タイラーの〈Total Eclipse Of The Heart〉がナンバー1、ニューヨーク・タイムズ紙のベストセラー・リストではスティーヴン・キングの『Misery』のトップだった。『Misery』に登場するよろよろ歩きの主人公のように、ディランは名声によって手足を不自由にされ、救済を求めていた。ジャイアンツ・スタジアムの10マイル東には、ボブ・ディランの神話と伝説が始まった場所であるマンハッタン島の荘厳なスカイラインがあるが、もしディラン本人がキャリア初期のヴィレッジ時代についてじっくり考えるなんてことをするとしたら、別の人生で起こった出来事のように感じることだろう。華氏95度(35℃)の猛暑だったあの日、ニュージャージー州イースト・ラザフォードでハイウェイや沼地、汗臭いヒッピーに囲まれながら、ディランはデッドからライフラインを受け取ったのだ。
 これはグレイトフル・デッドが1セット丸々ディランのバックを務めた6回のショウのうちの3回目だった。7月4日にフォックスボロで行なわれた1回目のショウは、ディランにとっては11カ月ぶりのコンサートだった。ディランのグダグダで錆びついたパフォーマンスをグレイトフル・デッドの調子の悪い日と合わせてみろ。結果は最悪だ。6日後にJFKスタジアムで行なわれたショウ2回目には大きな向上が見られた。その時、ガルシアとディランが同じステージに立っているという光景のパワーに私は心を奪われながら〈The Ballad Of Frankie Lee And Judas Priest〉の初演を聞いた。しかし、このショウのテープに私は感激したことはなく、ディラン/デッドのコラボレーションの素晴らしさを説明するのに、誰かに聞けと勧めたこともない。その2日後のジャイアンツ・スタジアム公演こそ、私がこれまでに見た最もスリリングな音楽イベントなのだ。この30年の間、数千回とテープを聞き、ビデオを見てきた後も、この気持ちは変わらない。
 ディランにもガルシアにも、躊躇やお試しという概念はない。ショウの前に協定を結んだかのようだ。2曲目の〈Stuck Inside Of Mobile With The Memphis Blues Again〉の開始時、ディランはずれた拍子で歌い始めてしてしまったが、調子を落とすことなく歌い続け、第3ヴァースになると、この語り部は初めてこのバンドに畏敬の念を抱いたかの如く、歌詞を弾丸のように発射する。グレイトフル・デッドはディランのスタイルでペースを作ったアレンジを提供し、ソロのスペースは2回分、手短に残しておいた。ディランとのジョイントが終了した後も、デッドは〈Stuck Inside Of Mobile〉をレパートリーに加えたが、ガルシアはいつもソロを2回取っている。しかし、この晩には、ディランが情熱的に「Oh MAMA! Can this really be the END?」と叫ぶのを耳にしたガルシアは、ソロをもう1度余計に弾いて、大胆なパフォーマンスの流れの方向性を定めた。



 ガルシアはペダル・スティールのほうに移動すると、ディラン/デッドでは1回だけしか演奏しなかった〈Tomorrow Is A Long Time〉が始まった。ディランがこんな曲聞いたことないかのように叫び声で歌う一方、デッドはラブリーなカントリー風味の演奏をしていた。しかし、ガルシアとウィア、ミッドランドと一緒にサビを歌い、ジェリーのペダル・スティール・ソロを聞いて、ディランはこのバラッドの本質的感情を発見し、最終ヴァースの叫びには愛がこもっていた。
 〈Highway 61〉ではディランは軽快に飛ばし、「Found a promoter who nearly fell off the floor, yeah-eah, I never did engage in this kind of thing before, yeah-eah」(床に転びそうになったプロモーターを発見。イェー。前に、こんなことに関わったことなんてないぜ。イェー)を笑い混じりに歌った。ディランは歌いながら、歌詞のアイロニーに思いがけず気がついたのだ。だって、本当に、こんなことは今までにやったことがなかったのだから。ディランは常に音楽面でのリーダー役を担ってきたが、ジャイアンツ・スタジアムでは、事実上のリーダーはガルシアだった。2006年にローリング・ストーン誌に掲載されたジョナサン・レゼムによるインタビューで、ディランはこう語っている。「デッドはオレの曲をたくさんやってたから、一緒にやった時はアレンジは全部いただいた。オレよりうまくやってたからね。オレの出来の悪いレコーディングの中にある、そこに埋もれてる歌が、ジェリー・ガルシアには聞こえていたのさ」 〈Highway 61 Revisited〉でガルシアは絶妙なスライド・ギターを弾いた。ガルシアのソロ活動は、ここしばらくはジェリー・ガルシア・バンドのみだった。デッドと同じくらい実験的な音楽をやってはいたが、こっちもずっと同じメンバーだった。ディランと演奏することは夢の実現であり、かつ、ジェリーとっては、いつもの快適ゾーンの外側に踏み出すチャンスにもなっていた。
 エキサイティングな〈Highway 61〉の後、ディランとデッドは〈It's All Over Now, Baby Blue〉を始めた。1986年には2回挑戦して悲惨な結果に終わっていた曲だ。ジャイアンツ・スタジアムでもまた、ディランのシャウトのタイミングはズレ気味だったが、自信を失わずに曲を進め、第2ヴァースになると、デッドのゆったりとしたアレンジに対して銃を速射するような歌い方をうまく合わせる術を見出した。ガルシアが「And it's all over now…」と歌っていると、ディランは最後の2単語以外を早口でまくし立てた後に、ガルシアが追いつくのを待ち、ふたりで揃って最後の言葉を叫んだ。「Baby Blue!」 自分のアプローチを変えることなく、ディランはこの芸当をやってのけた。そして、ガルシアはこの瞬間が気に入ったことを、2回目のソロとして表現した。グレイトフル・デッドの歴史において、〈Stuck Inside Of Mobile〉のソロが3回あったのはこのショウのみだったが、ソロが2度あった〈Baby Blue〉もこの時のみだった。
 ディラン&ザ・デッドが〈Ballad Of A Thin Man〉を開始すると、何かが起こり始めた。ディランが1960年代に書いた予見的な歌をこのコンビは3回連続で演奏したが、ディランが歌詞を正しく歌うのを聞きながら、ウィアとガルシアも自信に満ちた表情をしていた。ガルシアはディランの歌に呼応するようにリフを演奏した。ディランが「contacts among the lumberjacks」(木こり間の連絡)に関する強力なブリッジを歌った後に、ブレントがパワフルなコードを弾くと、ミュージシャン全員のタイミングはピッタリ。ディランはブレントの貢献に「オー・イェー!」と叫んで応える。ガルシアがエンディングで弾いた精神がとろけてしまうような見事なソロは、サイケデリックな混沌の雰囲気を作り出した。私たち全員、ミスター・ジョーンズ的な性質を少しは抱えているものなのだ。



 ディランがデッドの手を借りて初期の未発表の反戦歌〈John Brown〉を蘇らせた後、薄明かりが暗闇に変わると、ミュージシャンたちはタバコのライターの炎のゆらめきを背景に楽器をチューニングした。ジャイアンツ・スタジアムに掲げられた巨大なビデオ・スクリーンの1つが、ギターを持ったガルシアの姿を映し出したタイミングで〈Wicked Messenger〉が始まった。《John Wesley Harding》に入っているこの曲は、ディランがライヴでは披露したことのなかったナンバーだが、ガルシアのソロ・バンドの1つ、リジョン・オブ・メアリーは1975年に何度か〈Wicked Messenger〉をカバーしている。ディランはマイクの前に歩み出て吠えた。「There was a wicked messenger from Eli he did come!」(悪意を抱いた使者がいた。そいつはエリからやってきた) 腹の底から声を発する伝道師のようなヴォーカルは、この曲の聖書的な雰囲気にマッチしていた。ディランの丁寧な歌い方が何かを示しているとしたら、ガルシアのブルース・リフとバンドが出す雷鳴のようなサウンドに動かされてのことだろう。ディランが「The soles of my feet, I swear, they're burning」(オレの足の裏が燃えている)と歌うのをガルシアが聞くと、彼のすばしこい指は踊るソーセージにようにフレットボード上を小刻みに動いた。ディランはガルシアのギターに酔いしれながらステージ上をウロウロした。私はこれまでで最もホットなギター・ソロを聞いた時の観客の反応に心を打たれた。 「If you can't bring good news then don't bring any」(良いニュースを持って来れないのなら、何も持ってくるな)とディランが歌うと、デッドはブルース風メロディーラインをもう1度演奏して、この曲を締めた。ガルシアとウィアはドヤ顔で立っていた。ディランは何かに取り憑かれているようだった。ミッション完了。
 このパフォーマンスに関する歴史的な云々(ディランにとって〈Wicked Messenger〉はライヴ初演だった)や、ディランが人生半ばで経験していた創造力の沈滞について全く知らなかった私は、ただ癒しを感じていただけだった。これは、ガルシアとディランが一緒にステージに立ったらこんなことが起こるかもしれないと私が考えていた予想を超えていた。
 次に披露された私の大好きな2曲〈Queen Jane Approximately〉〈Chimes of Freedom〉は少々焦点の合ってない演奏だったが、〈Chimes〉ではディランは煌めくようなヴォーカル・ワークを披露した。



 フォックスボロ公演とJFK公演の後に、私の頭の中でずっと鳴っていた曲が、《Desire》に収録されている伝説のギャングについて歌った〈Joey〉だった。ディラン・マニアになってまだ日が浅かった私は、この曲が持つパワーを見過ごしていた。ディランの横で、ガルシアは確信を持ってコーラスを歌った。「ジョーイ、ジョーイ、ストリートの王、土の子供。奴らに自分を殺しに来させたのはなぜなのか?」 デッドが何度も強くコード進行を鳴り響かせているこの時の〈Joey〉は、アルバム・バージョンを打ち砕いてしまった。ディランはフットボール・フィールドの端に建てられたステージ上に立っていた。全米トラック運転手協会のボス、ジミー・ホファの遺体が埋まってるのはそのあたりだという噂がある。ディランはギャングのペルソナをかぶり、まるで本当に見てきたかのような話しっぷりで、ジョーイ・ガロのゆりかご(ブルックリンのレッド・フックで誕生)から墓場(ニューヨークのシーフード・レストランで撃たれる)までの物語を語る。ディランはギターをライフルのように持ち、前をまっすぐ見据えて、せせら笑いながら、ジャイアンツ・スタジアムを魔法にかけてしまった。5つのヴァース全てを完璧な順番で歌い、社交クラブにいる話し上手な男のホラ話のようなやり方で事実を届けた。ディランの演奏中、巨大スクリーンの映像が観客の心の中に入り込む。ディランはそれまで見捨てていた曲と本能的に再接続していた。
 1991年のポール・ゾロによるインタビューで、ディランは語っている。「オレにとっては、いい歌さ。素晴らしい歌だという魅力は決して失われない。そういうことって、毎晩歌いながら、ようやくわかることなんだ。この曲をオレに歌わせた奴を知ってるだろう。ガルシアさ。ガルシアがオレにこの曲をもう1度歌わせたんだ。史上最高の歌の1つだとも言っていた。こんな言葉が彼の口から出てきて、どっちに受け取っていいのかわからなかったよ(笑)。デッドの演奏でこの曲を歌わされたけど、オレにとっては、〈Joey〉には、毎日耳に出来るわけではないホメロス的なところがあるのさ」
 〈All Along The Watchtower〉でもガルシアの素晴らしいギターの腕前が披露された。私はこの曲が自分が体験した最もスリリングなコンサートの最後の曲だろうと思った。最後のジャムの炎のまだまだ熱い残骸が遂にタッチダウンとなった時、ディランは言った。「ありがとう、グレイトフル・デッド!」 ディランは1987年に36回のコンサートを行なったが、オーディエンスに向かって語りかけたのは2度しかない。この時と、9月5日のテルアヴィヴ公演で〈Highway 61〉の後に「シャローム」(「みなさんに平和を」という意の別れの言葉)を言った時だ。この晩のデッドのパフォーマンスに心の動かされていたディランは、コードをいくつかかき鳴らした。その直後、ボブの口から発せられた言葉は「Come gather 'round people, wherever you roam…」。ジェリーと仲間たちは不意をつかれたに違いない。しかし、彼らは残業も厭わない。ディランの発する不朽の言葉の間のスペースを、ガルシアは生き生きとしたラインで満たした。ジャイアンツ・スタジアムに集まった忠実なファンの中に立っていた私の頬を、驚喜の涙が伝っていた。今でおなお、この〈The Times They Are A-Changin'〉の感動的な演奏は、テープで聞くたびに胸がいっぱいになる。5時間に渡って、3回の長いセットをこなした後だというのに、グレイトフル・デッドはディランと一緒に再び登場して、ダブル・アンコールに応えた。ディランは〈Touch Of Grey〉にギターで参加し、ウィアとガルシア、そして、ふたりの間にいるディランが「we will get by-eye-eye, we will survive」のラインを歌った。これ以上幸福な瞬間はない。〈Knockin' on Heaven's Door〉は素晴らしいイベントのやさしいさよならの挨拶だった。ずいぶんゆっくりとしたバージョンだったが、彼らがまだ演奏しているのは驚きだった。私はまあまあ健康な24歳の男子だったが、じりじり暑い夏の日に、倒れる寸前だったのだから。
 ディラン&ザ・デッドは1週間の休みの後、西に移動してユージーン、オークランド、アナハイムで最後の3回のコンサートを行なった。何があったのかは私には定かではないが、ツアーの最初の勢いはなくなっていた。ユージーン公演はフォックスボロに毛が生えた程度の出来映えで、残りのショウも首尾一貫性に欠けていた。7月24日のオークランド公演がこの3回の中ではベストであり、〈I Want You〉と〈Knockin' On Heaven's Door〉は必聴だ。
 1989年には、このツアーで演奏された曲をまとめたレコードがリリースされた。批評家たちはこぞって《Dylan & The Dead》を酷評した。確かに残念なアルバムで、選曲はディランが担当したらしい。デッド側からも、主にジャイアンツ・スタジアム公演から選曲されたアルバム案がまとめられたが、ディランはこの提案を拒否。ガルシアがアルバムのミックスについて相談するためにマリブのディラン邸を訪れた際、ボブはラジカセでテープを聞いたらしい。リリースされたアルバムは無意識的な自己破壊行為であり、これによってグレイトフル・デッドも間接的にダメージを被った。ジャイアンツ・スタジアム公演を中心にアルバムを作らない限り、まともな作品にはならない。ディランの《Bootleg Series》の一環として、ジャイアンツ・スタジアム公演にスタジオ・セッションのアウトテイクが加えられてリリースされたら、《Dylan & the Dead》によって不正確に記録されてしまった歴史を修正し、この重要なコラボレーションを輝かしい光で照らすことが出来るだろう。

The original article "BORN AGAIN IN THE SWAMPS: DYLAN & THE DEAD 30 YEAR AGO, GIANTS STADIUM" by Howard Weiner
http://visionsofdylan.blogspot.jp/2017/07/normal-0-false-false-false-en-us-x-none.html
Reprinted by permission

   
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2017年06月18日

『Bob Dylan: A Spiritual Life』の著者、スコット・マーシャル・インタビュー

 今年後半にリリース予定らしい次の《The Bootleg Series》は1979〜81年の「ゴスペル期」に焦点を当てたものとなるそうですが、当ブログもタイトルが「Heart Of Mine」だけに、この話題を先取りしようと思います。『Bob Dylan: A Spiritual Life』の著者、スコット・マーシャルはボブのこの時期を専門的に追いかけている人物で、2004年には『Restless Pilgrim』という本を出しています。



『Bob Dylan: A Spiritual Life』の著者、スコット・マーシャル・インタビュー
聞き手:グレッグ・コロンボス


 ボブ・ディランの音楽は50年以上のキャリアに渡って、数百万もの人の琴線に触れ続けているが、このロック・アイコンの芸術の探求において殆ど知られてない面----イエス・キリストに対する深い信仰----を論じた新著が登場した。
 『Bob Dylan: A Spiritual Life』の著者、スコット・マーシャルは、ボブ・ディランの人生における「スピリチュアル」という殆ど論じられていない面に光を当てようと、長年に渡って研究し、数多くの人にインタビューを行なってきた。ボブ・ディランは1970年代後半にイエスと出会い、以来、今日までずっと熱心なキリスト教徒であるという説を、マーシャルは唱えている。
 マーシャルはWNDのグレッグ・コロンボスのインタビューに応じ、新著について語ってくれた:

今回のゲストは『Bob Dylan: A Spiritual Life』の著者、スコット・マーシャルさんです。この本はアメリカで最も偉大なロックの伝説的アーティストの宗教的信仰について最も包括的に述べたものとして、既に絶賛されています。スコットさん、こちらにいらしていただき、ありがとうございます。

 こちらこそ光栄です。お招きいただきありがとうございます。

このプロジェクトに取り組もうと思った理由は何ですか? どうして他の人ではなく、ボブ・ディランの信仰について興味を持っているのでしょう?

 私も他の数百万の人と同じく、ディランの声、歌詞、言葉の発し方の中にある極めてユニークな何かを聞いて、ディランの音楽が好きになりました。最初の頃は「ゴスペル3部作」と呼ばれているアルバムにはあまり興味がなかったのですが、私自身がイエス体験をする中で、ディランが発表した「ゴスペル・アルバム」に好奇心がわいてきたのです。本や雑誌、新聞記事等、手に入るものなら何でも読み始めました。それから、インターネットを通じて、ディランと関係のあったさまざまな人々にインタビューを行ない、ディランの芸術のこの重要な部分にますます興味をもつようになりました。

   

『A Spiritual Life』がタイトルですが、最近では「スピリチュアル」という言葉は、敬虔な信仰から、高次元の力を漠然と信じることや、単なるポジティブ思考に至るまで、あらゆることを意味します。ボブ・ディランにとって「スピリチュアル・ライフ」とは何を意味しているのでしょうか?

 それに完璧に答えることは私には出来ませんが、ディランは数十年間に渡って、宗教やスピリチュアルにおいて何が重要なのかをはっきりとしゃべっています。私が本や記事をたくさん読み、考え、調査し、いろんな人と議論したことに基づいて想像するに、それは、彼のユダヤ人としてのルーツは否定することは出来ないし、イエス・キリスト体験と同じくらい重要なものだということです。ディランのイエス体験は1979年頃のことですが、’79年よりずっと前から『新約聖書』に興味はあり、時々クリスチャンの人たち会うと、信仰やイエスについて質問していました。なので、ディランの場合、スピリチュアルというのはユダヤ=キリスト教的な枠組みのものでしょう。

ディランはイエスの何を信じているのでしょう?

 ディランか書いたこと、語ったことに基づく私の意見ですが、たった数年間ではなく、何十年も前からイエスを神、救世主{メシア}として語っています。一方、1980年のアルバム《Saved》には『旧約聖書』からの引用があります。エレミヤ書からだったと思います。ゴスペル・ツアー中も、ある曲の時に、過ぎ越しの祭について長い話をしています。シナゴーグに通った時もあれば、’79〜’80年に、マスコミに嗅ぎつけられるまでの少しの間でしたが、ヴィンヤード・チャーチと関わっていた時もありましたが、教会であれシナゴーグであれ、そこの居心地が良かったんだと思います。ディランが書いたこと、語ったことから判断すると、彼は『新約』『旧約』、両方の『聖書』から直接的な影響を受けているといえます。

その点についてもう少し詳しく話しましょうか。ディランは実際に、『新約聖書』の基本原理を信じていたのでしょうか? つまり、イエス・キリストの死こそ人間の原罪に対する対価(あがない)である、イエスをキリストと信じる者は救われるということです。

 '79〜'80年にはそう言ってました。キリスト信仰を放棄した、もしくは、ユダヤ教に戻ったと考えている人は、この話をそんなに念入りに追ってはいません。でも、それ以後も時々、ディランから信仰を肯定する発言が発せられているんです。2009年にはクリスマス・アルバム《Christmas In The Heart》を出しました。インタビュアーが〈O Little Town of Bethlehem〉を聞いて質問しました。ところで、このアルバムはいろんな歌がミックスされている状態です。サンタクロース関連の曲もあれば、純粋に宗教的な歌もありました。とにかくインタビュアーが〈O Little Town of Bethlehem〉について質問するんです。「私はあなたを困らせるつもりはないんですが、あなたの信仰は本物のようですね」って。すると、ディランは「そうですよ」と答えたんです。もっと最近の発言もあります。2014年には、常にスピリチュアルな歌に引きつけられると語り、〈Amazing Grace〉を引用しています。詳しく言うと「That saved a wretch like me(私のような酷い人間をお救いになった)」って歌詞をです。極めてはっきりしています。そう見て欲しいってことがわかります。つまり、自分は神の子(イエス・キリストを信じる者)であり、さまざまな努力奮闘や勝利を伴いながら、自分のやり方でそうあり続けているのだということがです。はっきりと見えますよ。よく見れば、モザイク状になって現れてきます。

   

このトピックに関して、ディランにはどんなレッテルも貼ることが出来ないというのがあなたの主張ですが、それはどうしてなんでしょう? ディラン本人は自分に何らかのレッテルを貼らないんですか?

 笑ってしまいます。ディランは若い頃からレッテルを貼られることに強く抵抗してきました。今、彼は76歳になりましたが、1980年代半ばのインタビューでも語っています。ユダヤ教徒もキリスト教徒も自分たちにレッテルを貼って、互いに違うものだと主張する傾向があるが、人間が自分をどう呼ぶかなんて、神にとってはどうでもいいんだ、って。ディランは自分が神の子であり、神によって作られた存在だということを否定しないでしょう。イエス・キリスト体験もです。ご興味のある諸兄姉のために、この件について私は著書の中で詳しく述べています。

ディランはこの件を、少なくとも我々が慣れてる状態と比べて、ミステリアスのままにしていますが、それはどうしてだと思いますか?

 元牧師で、ディランの友人で、アルバムの1つでもプレイしているラリー・マイヤーズが語っていました。ゴスペル・ツアーの時でさえ、少しホコリを立てるのが好きだったって。ある時には、時間と空間の神を信じていると発言し、誰かがそれについて質問すると、〈I Saw the Light〉といった曲を挙げる。これはハンク・ウィリアムズの曲で、歌詞の背後にはイエス・キリストがいます。'90年代の半ばか後半の発言です。キリストを信じていることをはっきりと表明している発言だらけなんです。ほのめかしているのがわかる人にとっては、もっとたくさんあります。超有名人になっちゃったので、正直、それにウンザリしているのでしょう。宗教に関して「どうして誰もビリー・ジョエルにはそういう質問をしないんだよ」とも言っています。人生のいろんな時期に、気分次第なんですが、ディランは意見を表明しています。質問されて、しかも、それについて話したいと思った時ですが。

ディランは結局、この本のためにインタビューに応じてくれなかったんですよね。本に対する意見等、何か反応はありましたか? どうして正式にインタビューを受けてくれないのでしょう?

 ディランがインタビューを受けてくれなかったと、言うことは出来ません。申し込んでないんですから。申し込んだところで、パプリシストを通して丁重に断られるだけだと思いますけどね。最近はたいてい受けません。大昔は、親しい伝記作家にはインタビューをOKしました。でも、ここ20年くらいは、アルバム・リリースと連動してインタビューを受けるだけです。2004年に自伝が出た時もインタビューを受けました。

今回の本の中では、ボブ・ディランがキリストを受け入れたことを世間に明かした時の、多くのユダヤ人の反応についても書いています。私も数人のユダヤ系の人と話したことがあるのですが、皆、概して、キリスト教には一目を置いています。しかし、元々ユダヤ教徒だった人間がイエスを救世主{メシア}として信じて、いわゆるメシアニック・ジューになったりすると、ユダヤ系コミュニティー内部の反応は、たいてい非常に激しいものになります。ディランはどんな体験をしたのでしょう?

 ディランしか語ることの出来ないことだと思いますが、あの頃、ディランが十字架を持っていた、つまり、熱心に信仰していたという証拠が公{おおやけ}の記録の中にたくさんあります。《Slow Train Coming》と《Saved》を共同プロデュースした故ジェリー・ウェクスラーがユダヤ系無神論者を自認してたというのは皮肉な話ですし、当時のパプリシストは----彼もユダヤ人です----ディランがイエスを信じていると言い出した結果生じた事態に困っていました。例えば、1979年11月にサンフランシスコ公演からゴスペル・ツアーを開始した時、ジューズ・フォー・ジーザス(メシアニック・ジューの団体)が外で布教活動をしていました。ミッチ・グレイザー(ジューズ・フォー・ジーザスのメンバーで、ゴスペル期のディランと親しかった)にインタビューしてわかったことなのですが、誰かがディランの代わりに彼らと接触したんです。教会からの支援を得られなくて落ち込んでたからです。支援を表明してくれたのは、ベイエリアの一部の教会のみでした。なので、どこかの時点で、ジューズ・フォー・ジーザスがウォーフィールド公演に関与しました。しかし、私の理解では----ミッチ・グレイザーもディランも理解してることは同じだったでしょうが----イエスが神で救世主{メシア}だと信じるユダヤ人の数はわずかで、5%くらいじゃないですか。これが正確な数字かどうかはわかりませんが。とにかく、ユダヤ人で、イエスは神で救世主{メシア}だと信じているのがどういうことなのか、そういう経験を持ってる人以外にはわからないんです。家族や友人にとっては、多くの場合、あなたに死なれたようなものです。ディランの家族がどういう態度だったのかはわかりませんが、ディランにとっては大変な時期だったことでしょう。でも、裏で何が起こってたかは、私にはわかりません。

ボブ・ディランの音楽に興味を抱いた経緯と、あなたの信仰が変化するに従って、それがどう変化したのかは、先ほど伺いました。ディランの信仰がファン全体にどんな影響を与えたと思いますか? 音楽業界や娯楽産業が信仰を公言している人に対して取る反応を考えると、ディランの評判はそんなに傷ついてないように思えます。

 今となってはそうでしょうが、《Slow Train Coming》や《Saved》の時期は----《Slow Train Coming》はよく売れましたが----アルバム評やコンサート評の点では、否定的な意見が少なからずありました。2枚目のアルバム《Saved》に関しては、コロムビアが全然喜んでいなかったという証拠があります。特にオリジナル・ジャケットのアートワークに関しては、難色を示していました。それを担当したアーティストもはっきりと証言しています。レーベルの一部の人たちはボブ・ディランに対して酷い態度だった、敬意などなかったと。キリスト教に改宗したことで、ディランはファン・ベースの重要な部分を失ったとも言われています。一部は数年後には戻ってきましたが、戻ってこない人もいました。でも、わかっているのは、'79年の《Slow Train Coming》から '97年にもヒット・レコード《Time Out Of Mind》まで、18年も経過しているということです。長い時間が経ってます。芸術面で常にやりたいことをやってきたせいで、ファンを失い、葛藤する時期もありました。ディランが概して、自分の私生活を大々的に公表しないのも当然です。でも、'79〜'80年の時期は例外でした。曲を通して、ステージ上で、インタビューで、自分に何が起こっているのかをたくさん表明しました。

読者にこの本から最も受け取って欲しいことは何ですか?

 ボブ・ディランを見る重要なやり方が、信仰というレンズを通して見るということです。数十年間に渡って歌詞やインタビューに信仰が反映されているのです。アーティストであるディランを理解しようとするのに、聖書の影響に気づかないとなると、理解は貧弱なものとなるでしょう。『Bob Dylan: A Spiritual Life』は、世界中の数百万の人に何十年にも渡って作品が高く評価されている人物を見るための、別の、重要なアングルを提供しています。

50年以上に渡って、しかも、現在進行形で、ですね。スコット、今日はどうもありがとうございました。これまでの研究が本になり、しかも評判が上々なのは喜ばしいことです。今日はお越しいただきありがとうございました。

 こちらこそ。私も感謝しています。

『Bob Dylan: A Spiritual Life』の著者、スコット・マーシャルさんでした。レイディオ・アメリカのグレッグ・コロムボスがWND.comのためにお届けしました。


Bob Dylan's belief in Jesus 'explicit,' says new book's author” by Joe Wilson/Greg Corombos
http://www.wnd.com/2017/06/bob-dylans-belief-in-jesus-explicit-says-new-books-author/
Reprinted by permission


   
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