2017年01月14日

放送大学公開講演会『ボブ・ディラン〜音楽に文学を重ねた男』

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 2017年のセンター試験第1日目の1月14日に、茗荷谷にある放送大学の東京文京学習センターで行われた公開講演会『ボブ・ディラン〜音楽に文学を重ねた男』が行なわれたので、タイトルに誘われて行きました。旧年中に行なわれたボブ関係のイベントというと、みんなでビールで乾杯したり、日本酒が振る舞われたりと、ノーベル文学賞が酔っぱらいによって酒の肴に矮小化されちゃった感がパないものばかりでしたが、『文学を重ねた』講演会はアルコール度数ゼロで、飲めない奴にも敷居の低いイベントでした。主催の放送大学としては、新年度の生徒募集のプロモーションの一環であって、講演後には大学スタッフによる進学相談も行なわれていたようです。
 講演の内容はというと、まずはパティー・スミスがノーベル賞授賞式で〈A Hard Rain's A-Gonna Fall〉を歌うビデオを流して、「この場に一番ふさわしくない人です。これに違和感を抱かない人はいないでしょう。でも、違和感なんか感じてる暇なんてないほど世界は早く動いてるんだぞ」というツカミで佐藤良明先生が始めたのは「いつも」のロック史概観・ボブ度ちょっと高めバージョン。開始早々、佐藤先生からは、中身はタイトルと違います宣言が出て、結局、お話全体を100とすると文学の話は2くらいの量でした。
 予定時間90分のうち、「ビートルズは(世界史で習うイギリス、アメリカ、アフリカの)三角貿易の逆回し」等の面白い話が進み、1965年のニューポート・フォークフェスティヴァルに到達したのは開始80分後。その後、最後の5分くらいで見せられたのがこのグラフです。

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 ピケティーの『21世紀の資本』が話に出てくるとは完全に予想外でした。私のような頭の悪いロック・ファンはこんな本、読みませんから(正確に言うと、読んでも理解出来ない)。「アメリカの上位1割による資産の占有率」をロック史と重ね合わせると、資産占有率が低かかった時代とロックの黄金期は重なるというのです。しかも、ボブの30周年記念コンサート頃から、占有率は急上昇しています。ボブやビートルズ、ローリング・ストーンズといったロック・レジェンドたちが、レジェンドであることから逃れられなくなった時期とも一致しています。
 普段、だらだらレコードを聞いているだけの不勉強な私にとっては、これは久しぶりの「あっ!」でした(決して「ヘウレーカ」でないところが、私の脳味噌の限界です)。今までのはイントロダクション、ここからが本題って雰囲気になってきたものの、残念ながらここで時間切れ。続きは今後の著書や講義でってことで講演会はお開きになりました。
 ということで、帰りの電車の中ではこんなことを考えました:

・そういえば、1970〜80年代にビートルズ、ボブ、ストーンズは学校で全く人気がなかった。ファンは私ひとりだけ。郊外のレベルの低い公立校だったので、そうだったのかもしれないが…。

・こういう状況では人間不信にならないほうが不思議。現在、手のひらを返したように彼らをレジェント扱いするファンがウジャウジャいるのも(しかも同年代)人間不信の原因。

・ボブ30周年記念コンサートはチケット代が初めて100ドルを超えたロック・コンサートのひとつだった。

・ストーンズ初来日10,000円も衝撃だった。

・今やチケット代は100ドルでも安いほう。2015年にはグレイトフル・デッドでさえ100ドルを超えたので、個人的に超ビックリ。

・現在、資産を独占している人は、1960〜70年代に少年時代〜青春時代を送ったロック世代に属している。

・資産を独占するレベルではないものの、ロックファンはいつの間に高いチケット代を喜んで払い、高いボックスセット(箱物行政という)をハァハァしながら買えるほど金持ちになったのだろう?

・ノーベル財団の人が受賞者発表時に言ってた「アメリカの民衆音楽の伝統に新しい詩的表現を…」という言葉からすると、一昨年にNHKが放送したラジオ番組『カルチャーラジオ 文学の世界 ボブ・ディランの世界を読む』がまさにこれに沿ったもの。NHK、先見の明があったなあ。


   

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2016年11月20日

階下で練習するボブ・ディラン

 今回紹介する記事は下の地図の界隈で起こった出来事に関するものです。ボブはマクドゥーガル・ストリート94番地のタウンハウス(6番街の1本東がマクドゥーガル。94番地はマーメイド・オイスター・バーの向かい側あたり。AJ・ウェバマンはここのゴミ箱を漁った)を持っていた他、ヒューストン・ストリート124番地を借りて練習スタジオにしていました。2014年に149枚ものアセテート盤が見つかったのは後者からです。

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 1975年6〜7月のボブの動向は以下の通りですが、特に6月末から7月上旬にかけて撮影された写真で、ボブの着ている服が同じなのが気になります。真夏のニューヨークでシャツを何日も替えないのは良いアイデアではありません。同じものをいくつも持ってたのかもしれませんが…。

1975年6月26日 ジ・アザー・エンドでパティー・スミスのライブを見る

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6月27日 ホテルでサンタナと会った後に一緒にローリング・ストーンズのMSG公演に行き、楽屋でミック・ジャガーと会談

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6月30日 路上で見かけたスカーレット・リヴェラをナンパ。夜はボトムラインでマディー・ウォーターズのライヴに飛び入り

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7月2日 ジ・アザー・エンドでランブリン・ジャック・エリオットのライヴを見る

7月3日 ジ・アザー・エンドでランブリン・ジャック・エリオットのライヴに飛び入り



7月4日 ジ・アザー・エンドでボブ・ニューワースのライヴに飛び入り

7月5日 ジ・アザー・エンドでボブ・ニューワースのライヴに飛び入り

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7月中〜下旬 イースト・ハンプトンでジャック・レヴィーと曲作り
http://heartofmine.seesaa.net/article/367640792.html

7月28日 《Desire》レコーディング開始


  







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2016年11月04日

ディランと変わりゆくアラブ世界の文学観

 ノーベル文学賞騒ぎはアラブ世界にも波及したようで、私がかろうじて読める英語で書かれている記事としてはこんなものがありました。ボブ・ディランにこの賞が授与されることに関する意見は想定の範囲内の内容のものばかり(しかも、くだらん)ですが、普段疎遠な(あくまでも私個人にとってです)エジプトの記事であることが珍しく感じられ、記事の後半部分においてアラブ世界の文学観の変遷と、そういうフィルターを通して中東の人が見ているボブ像が垣間見られる点が面白いと思います。いかがでしょう。
 ちなみに「a」の上に「-」のあるような文字は表示出来ないので、「a」と記しておきました。直しながら読んでいただければ幸いです。人名の読み方も適当ゆえ、正しい読み方をご存知の方は、大変お手数ですが、ご一方くださると幸いです。


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アル=ハヤト紙のサイト



ディランと変わりゆくアラブ世界の文学観
文:テレサ・ペペ


 「アメリカ歌謡の偉大な伝統の中で新しい詩的表現を創造した」として、ソングライターであるボブ・ディランにノーベル文学賞が授与されることが10月14日に発表されると、文学界では賛否両論が巻き起こった。スティーヴン・キングやジョイス・キャロル・オーツ、サルマン・ラシュディーといった有名作家のように、ディランの文学的功績を讃えて「吟遊詩人の伝統の素晴らしい継承者」と呼んだ者もいれば、この決定は見当違いと呼び、たとえどんなに優れたものであったとしても、歌の歌詞が文学のレベルに達することがあるのかどうか疑問を呈する者もいた。
 この論争はソーシャル・ネットワークや顔を合わせた議論、印刷メディアを通して、アラブ文学界も巻き込んだ。ロンドンで発行されているアル=ハヤト紙は「書籍マーケットを甘やかし、世界中の作家を怒らせるノーベル賞」という記事を載せ、翌日にも、「賞はボブ・ディランを正しくも不当にも評価している」と書いていた。エジプトの国営の文芸誌アクバル・アル=アダブは最新号に「この奇妙な日の朝」と題した4ページの折り込みを付けたが、エジプトの国有紙アル=アフラムは、ディランがこれまでに親シオニスト的な発言をしていることを取り上げて、「政治とシオニズムが審査に一役買ったのでは?」と問いた。
 アクバル・アル=アダブ誌には、ディランの受賞に関するエジプト人作家や学者の意見を取りまとめた「ボブ・ディランて何者? これは冗談?」という記事もあった。こうした記事は、アラブ文学界においては失望感が漂っていることを示していると思われる。
 コメントを求められた10人の作家のうち、喜んだ者はたった2名のようだ。文芸評論家のサイド・アル=カフラウィは受賞を「恐怖が世界に影響を及ぼしている」悪い兆候だと解釈しており、同じく、評論家のシャキル・アブド・アル=ハミドも「我々が生きているカオス状態の一部」と断言している。エジプト人作家のマイ・カリドも、人々が難解な本を読む暇を持たぬゆえ、箇条書きや歌を好むような時代の、文化の平易化(istishal)の兆候だとして、こう忠告する。「我々はこのようなトレンドには逆らい、言葉(jahd al-lugha)で努力することを怠るべきではない。これこそ、文学(adab)を他の種の文と区別しているものなのだから」と。詩人、翻訳家のモハメド・イド・イブラヒムはディランの受賞を、「質より売り上げ重視の自由主義経済の一環だと理解している。でも驚いた。アラブ・エジプト文学界も同じ基準に支配されているので」と語った。学者であるヘバ・シャルフはアンビバレントな気持ちであるようで、ディランの歌は民衆文学(adab shaabi)として分類すべきだとは言うものの、アカデミーがより民衆的な形態の文化に門戸を開きつつある兆候があることは支持している。
 アカデミーの決定に反対する他の意見としては、学者のシリン・アブ・アル=ナガや作家のアフマド・アル=シャフィが言うように、ディランは歌手(mughanni)もしくは作曲家(musiqar)として世界的に知られており、それゆえ、作家(adib)ではないというものもある。アル=シャフィの説明によると、「adib」とは小説(khayal)を書く人のことを言う。「この理由から、アカデミーは文学(adab)の破壊に手を貸している。昨年もジャーナリストのスヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチに賞をあげているので」とアル=シャフィは考えている。アファク出版社の代表、スーザン・バシールは「ノーベル文学芸術(al-adab wa-l-fann)賞と呼ぶべきです」と総括する。文学とは何かを判断し、正統的文学と認められるものの許容範囲を定義するという役割をスウェーデン・アカデミーは担っているが、この件に関するエジプトの作家たちの他の意見が、アラビア語のオンライン・ニュースペーパー、マダ・マスルに掲載されているが、アフダフ・スエイフのように好意的な意見を寄せた者もいる。
 しかし、否定的なコメントは次の2点に集約されているようだ:まず、印刷された小説、詩、短編からなる高等文化の格調ある形態としての文学(adab)は、絶滅の危機に瀕しており、スウェーデン・アカデミーがその死に手を貸している。第2に、上記に述べた寝の文学とは全く関係のない歌手/ミュージシャン、もしくはジャーナリストに作家(adib)が取って代わられつつある。
 なぜ歌の歌詞が詩として評価されるべきなのかを論じたり、ディランがノーベル文学賞受賞者の殿堂に入る資格があるのかどうかを判断したり、ディランが持っていると思しき親シオニスト的見解(イスラエル人ファンの一部は既にこれを誇りに思っている)を調査することは、私の意図ではない。私はディランの受賞をきっかけとして、もっと一般的な疑問----現代社会における文学の理解----について皆に考えてもらいたいのである。
 注目してもらいたいのは、文学(adab)や作家(adib)といった言葉は、単なる言葉ではなく、コンセプトとして理解されるべきだということだ。1つの意味しか持たない言葉(例えば、テーブルにはさまざまな形のものがあるかもしれないが、テーブルは常にテーブルである)とは異なり、コンセプトとは、意味的可能性に満ちている抽象的な概念で、ゆえに、曖昧なのである。こうした意味はさまざまな解釈が可能であり、ここ数日のディランのノーベル文学賞受賞が我々に示したように、解釈に関する議論の対象にされることがよくある。 さらには、これらの意味は、コンセプトが使用される政治的、社会的状況によって形成される。ゆえに、あるコンセプトに帰される意味の幅は、時間の経過とともに変化していく。しかも、これが直線的な経緯をたどらないこともある。20世紀の前半までは、文学(adab)と作家(adib)に関するアラブ的コンセプトは、イギリス人の持つ文学と作家の概念とは部分的に異なっていたが、こうしたコンセプトの登場は、1850年〜1920年の間にアラブ世界を変えた「アラブの覚醒」と呼ばれる近代化プロジェクトと時期的に一致しており、グローバル化とローカル文化の変化のまっただ中の今日においても、価値を見直されつつある。
 adabはもともとはスンナ(ムスリムの習慣や慣例)を意味する言葉だったが、後に、イスラム教が広まった後は、「頭を鍛え、教育する」という機能を果たす世俗的知識全体を表すために用いられた(F・ガブリエリ『Encyclopedia of Islam』2012年)。アッバース朝(イスラム歴では2世紀/西暦では8世紀)で宮廷文化が盛んになると、adabは宮廷に出入りする人間を教育し、楽しませる作品を示すようになった。その中には、伝記、歴史、旅行記といったジャンルだけでなく、行動や品行の手引書も含まれていた。
 20世紀前半になると、「adab」という言葉は、小説、短編、戯曲といった新しい形式も含むようになった。ゆえに、「学者、つまり博識で礼儀正しい人」(J・サダン『Encyclopedia of Arabic Literature』1998年)と同じ意味だったadibは、徐々に小説を書く人として理解されるようになっていった。このプロセスは、翻訳を通してヨーロッパの文学作品と出会い、印刷機が導入され、文学を扱う市場が出現し、現代的な世俗的教育が普及し、それとタイアップして、物語に貪欲な、読書をする市民が新たに出現したという一連の社会的、文化的変遷によって進んだ。アラビア語の文学やこの言葉で著述活動を行なう作家がたどった似たような変遷は、その源をたどると文学のイギリス的コンセプトに行き着くかもしれない。文学という言葉は、もとはあらゆる種類の書籍や著作活動を指していたが、18世紀末にヨーロッパ的ロマンティシズムの登場によってはじめて、「想像力豊かな創作文学」(R・ウィリアムズ『Keywords』)という境界を定められ始めた。スウェーデン・アカデミーのウェブサイトには、賞の授与基準は100年間のうちに変わってきた旨が記されているので、これらのコンセプトが変化する性質を持ってることに、この団体も気づいている。
 これらのコンセプトの変化は議論に対して免疫を持っているわけではない。例えば歌の歌詞等の、ある種の形式を文学の領域の中に入れるか否かに関する論争は、アラブ復興運動においても、18世紀のイギリスにおいても、例えば小説(riwayah)の文学性に関して似たような議論あったことを彷彿させる。
 アラブ世界において、小説は初めは若者の意識を逸らすものと見られていたが、後には、(フィクションではない)教訓を伝え、人を啓発する品行方正な役割を強調することによって、文学の一部として認められるようになった。短編小説と戯曲は、アラブの作家によって、社会問題を描くために使われた。小説に文学の地位を与えていいのかどうかという議論が生じた理由のひとつには、ヨーロッパの小説の翻案物が、当時のアラブの印刷物市場を侵略していたという事実がある。
 これは私が話したいもうひとつの点と関係がある。アラブ世界では、20世紀の初頭に「adab」という言葉の意味が「文学」として再構築されたことは、それが高等文化として認められ、それゆえに、通俗という頽廃した領域に属する大量の作品から除外されたことを意味している。そして、こうした作品がエジプトの基準でいうところの文学から除外された理由は、想像力を大量に駆使していること、半分歌うようなスタイルであること、日常語を使った表現をしていること(サマー・セリム『The Narrative Craft and Realism』2010年)だった。エジプトの詩人、ギルギス・シュクリーはアクバル・アル=アダブ誌のインタビューで、エジプトでディランのような人物の先例があったとしたら、それはバイラム・アル=トゥニシ(1893〜1961年)だと語っている。バイラムもまた日常語を使った民衆的なバラッドをたくさん作っているのだが、彼のような詩人(zajal)が、体制からは文学とは認められなかったのは、そういう理由からだった。
 ここ数十年においては、高級な文学と民衆文学を分けるのは、アラブ世界においても、世界全体の文化的フィールドの残りの地域においても、多くの者にとっては意味はないようだ。アラブ世界の若い読者層の興味の幅が、国際的ベストセラーや古典的名著から、グラフィック小説、イスラム教の本、そして、しばしばインターネットで無料でダウンロードすることの出来る風刺小説に至るまで広がっていることを知るには、毎年行なわれているカイロ・ブック・フェアに行ったり、Goodreadsの評価を見てみるだけでいい。
 グラフィック小説のようなオーディオ/ヴィジュアル的要素と結びついたジャンルや、ブログ、デジタル小説は、他の地域と同様、アラブの文学界でも活気づいている。マダ・マスルに掲載されたナエル・エル=トウキーによるインタビューでアフダフ・スエイフが指摘している通り、エジプト革命は文学の定義にも及んでいる。今や、ブログやグラフィティー、革命スローガン、獄中からの手紙等の形態も文学なのだ----「文学はいたるところにある」
 ということなので、去る1月に「アラブ世界における非主流作品」を扱うウェブサイト、アル=キタバーに、ディランの歌詞がアラビア語に翻訳されて掲載されたのは、驚くことではない。ノーベル文学賞発表後、彼の歌のビデオや歌詞が、アマチュアによってアラビア語に翻訳され、ツイッターやフェイスブックで出回っている。これが意味するのは、文学は我々が思っている以上のスピードで変化し、社会的現実に対応しているということである。そして、アカデミーもそれを認めるようになったということである。
 結論として、私は皆さんに次のことに注目してもらいたい。ノーベル文学賞はアラビア語に翻訳すると「Nubil al-Adab」となり、ここで「adab」の複数形が使われているのは、国境線を越えて「さまざまな文学」に対してだけでなく、広い意味での「人文学」(大学の人文学部、Kulliyat al-adabのような意味での)にも与えられる賞だということなのだ。混乱と文化的、社会的大変化の時代においては、変化し、拡大した意味の「adab」において、ボブ・ディランにノーベル文学賞が授与されたのだと言える。ボブ・ディランは広い人文学的な知識を有する「adib」であって、アカデミーのメンバーの言うような「失礼で傲慢」な人物なのだとしても、言葉と音楽の両方を通して、人間の普遍的な感情と体験に声を与えてきた人なのだ。


"Dylan and the a-changing times of literature, in the Arab world and elsewhere" by Teresa Pepe
http://www.madamasr.com/en/2016/10/27/feature/culture/dylan-and-the-a-changing-times-of-literature-in-the-arab-world-and-elsewhere-2/


   
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