2017年12月29日

2017年度ボブリオバトル

 最近、ビブリオバトルという遊びがはやってるそうです。自分が面白いと感じた本を紹介し、誰がいちばん皆を読みたい気持ちにさせるかを競うゲームなんですが、それをボブ・ディラン関連書籍限定(ボブリオバトル)でやるとしたら、私が紹介したい今年の1冊は、《Trouble No More》に合わせて出版されたクリントン・ヘイリン著『Trouble In Mind』です。この本は、現在流通しているテープや当時のコンサート評、そして、オフィシャル筋が最近になって調査を許した膨大な資料を材料にして、ボブのゴスペル期の活動や世間受けを時系列に沿ってまとめた労作で、そのおかげで、スタジオ、ライヴ両面において、一気に見通しが良くなりました。ボブが曲間でしゃべった説教も丁寧に文字化してあります。

   

 1979〜80年前半のツアーはリアル・タイムで海賊盤がリリースされず、コンサートが行なわれなかった日本で暮らすファンにとっては、伝わってくるのは芳しくない評判のみで、音源は皆無。本当に暗黒時代でした。81年のツアーはかろうじていくつかのブートが出ましたが、もはやセットリストがゴスペル曲オンリーではなくなってる頃のショウを収録したものでした(だからこそリリースされたのだと思いますが…)。私自身の記憶といろんな文献・記録をもとに、当時の主なブートレッグ発売状況をまとめると、こうです:

79-10-20 サタデー・ナイト・ライヴ
  83《Fourth Time Around》
79-11-16 サンフランシスコ
  83《History》
80-01-22 コロラド
  86《Solid Rock》
  85《Little Boy Denver》
80-11-16 サンフランシスコ
  83《Live Adventures Of Bob Dylan And Jerry Garcia》
80-11-26 サンディエゴ
  85《Highway 80 Revisited》
80-11-30 SE
  83《History》
80-12-03 ポートランド
  83《History》
81-07-10 オスロ
  86《Live In Oslo》
81-07-14 バード・ゼーゲベルク
  81《Hanging In The Balance》

81-07-17 ローレライ
  83《Snow Over Interstate》

81-07-18 マンハイム
  82《Waiting At The Gates Of Eden》
  82《No Sin Inside The Gates Of Eden》

81-07-21 ウィーン
  83《Zimmerman's Joy》

81-11-12 ヒューストン
  86《Cookies Favorite》
  88《Standing Room Only》
79〜81年のレア曲のコンピレーション
  83《Nearer To The Fire》
  83《May Your Song Always Be Sung》
  84《With Wild Wolves All Around It》
  85《Don't Sing Twice》
 
 コンサートの翌「週」にはブートレッグが発売される現代(「当日」、終演30分後にオフィシャル・ブートを発売するバンドもあります!)とは違い、35年以上前は時間の流れがゆっくりだったことを考えると、翌「年」にレコードがリリースされていたら「リアル・タイム」のうちに入るでしょうか。すると、この基準を満たしたアルバムは《Hanging In The Balance》(高校生の時に買いました)と《Waiting At The Gates Of Eden》《No Sin Inside The Gates If Eden》のみ。「リアル・タイム」を「翌々」年まで広げたとしても、その範疇に入るアルバムはあまり増えません。79年のコンサートを(ほぼ)完全収録した史上初のアルバム《History》というのは20枚組ボックスセットで、1度だけ新宿のどこかのレコード屋で見かけましたが、値段から購入を断念したのを覚えています。気軽に買えるアイテムではなかったのです(持ち帰るのも保管も大変)。ゴスペル曲のみのショウの音源が容易に入手出来るようになるには、CDブート時代の到来を待たなければなりませんでした。実際のコンサートから10年以上が過ぎてからです。デジタル時代になると音源の発掘・流通が急速に進み、現在に至るのですが、数年前にはミラード・レコーディングの発見という劇的な出来事もありました。
 一方、スタジオ音源はというと、1990年代前半に、ボブのマネジメントが2名の研究者にテープを調査を許可し、その結果、多くのデータが明らかになりました。しかしそれでも、1981年の《Shot Of Love》のレコーディングは、スタジオを次々に変えながら作業をしていたので、ボブのキャリアの中で最も情報が錯綜していて、全貌が見えてこない時期というのがファンの間の共通認識でした。その最大の原因は、1990年代の調査ではごく限られた資料やテープにしかアクセスすることが出来ず、ボブがサンタモニカに所有していたランダウン・スタジオで行なっていた「リハーサル」と、アルバムの「正式な」レコーディングをごっちゃにしていたことでした(ボブ本人もごっちゃにしています)。が、それを別物として考えるに十分なデータが近年の調査で出てきたのです。霧が一気に晴れました。『Trouble In Mind』巻末の「The Gospel: A Chronology」(p.286〜298)には、正式なアルバムのレコーディングのデータだけでなく、大量のリハーサル・テープひとつひとつに関する大まかな内容も、こんな感じで掲載されてます。

Rundown.jpg


 ところで、インターネット上の「Gospel Bob: guitarist Fred Tackett on playing with Dylan, 1979-1981」という記事で、フレッド・タケットがリハーサル・セッションに関してこんな聞き逃せない発言をしています(『Trouble In Mind』にも引用されてます):
 ボブは面白いことやったんだ。《Saved》をレコーディングしている時には、その曲ばっかり演奏していた。ボブが曲を書くと、オレたちがそれを覚えて、レコーディングしたんだ。でも、後になって、再び昔の曲も演奏するようになった時、オレはボブから誰かの歌のテープを渡されるようになった。ある時はボブ・シーガーの〈Night Moves〉で、またある時はニール・ダイアモンドの〈Sweet Caroline〉だった。マペットの歌の〈Rainbow Connection〉の時もあった。ボブが「バンドにこの曲を教えてくれ」って言うんで、オレはコード表を書いて、メンバーが来た時に、皆に〈Night Moves〉〈Sweet Caroline〉等を教えた。すると、ボブがそれを歌って録音して、ボブ・シーガーやニール・ダイアモンドに送ったんだ(笑)。
"Gospel Bob: guitarist Fred Tackett on playing with Dylan, 1979-1981" by Tim Cumming

 まさに「Chronology」に書かれていることと一致しています。よく見ると〈Sweet Caroline〉や〈Rainbow Connection〉に混じって〈Willin'〉という曲名も見えます。『Trouble In Mind』には特に何も書かれていませんでしたが、これは誰もが連想する通り、リトル・フィートの曲です。1999年12月のフィートの来日公演の際に、私がフレッドに直接確認しました。このリストに載ってるということは、演奏がテープに記録されているということなので、いつか発表されることを希望します。
 さらに、ボブがリハーサルでこんな遊びをやっていた理由を、フレッドは同じインタビューで次のように洞察しています:
 ボブは何も言わなかったけど、オレはいつも思ってたよ。ボブはオレたちにアレンジを固定して欲しくないんだって。ボブはオレたちにバンドとしてリハーサルをさせたかった。ただし、自分の曲を料理し過ぎてダメにして欲しくはなかったんだ。だから、オレたちに他の人の曲を課題として与えたんだよ。その後、ステージに上がってボブの曲をプレイするわけなんだけど、少ししかリハーサルしてないから、アレンジが固まってもいないし、自分のパートにウンザリしてもいない。上手くいく秘訣はそれだと思ったよ。凄い作戦だ。こんなことをする人には会ったことない。バンドに稽古をつけるには良いやり方だ。皆が一緒にプレイし、しかも、曲が演奏し過ぎてヨレヨレの状態にはならない。(この箇所も『Trouble In Mind』に引用)
"Gospel Bob: guitarist Fred Tackett on playing with Dylan, 1979-1981" by Tim Cumming

 ところで、いつもなら年末になると、著作権延長用に何らかの音源がリリースされるのですが、今年はそういうリリースはなさそうです。順番からすると、次は《John Wesley Harding》のアウトテイクなんですけどね。
 現在判明しているボブの来年の予定としては、引き続き行なわれるツアー活動と、マーティン・スコセッシ監督が作ってるローリング・サンダー・レビューのドキュメンタリー映画の封切りがありますが、この他にも予期せぬサプライズがたくさんあるといいですね。


   

 
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2017年11月23日

ユニオン・カレッジ教授が尼僧に助けてもらってボブ・ディランを隠し撮り

 《Trouble No More》の発売を機に、些細なんだけど面白い事実の証言が世に出てきて、楽しい今日この頃です。

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ユニオン・カレッジ教授が尼僧に助けてもらってボブ・ディランを隠し撮り
文:マイケル・ホシャナデル(ザ・デイリー・ガゼット)


 ウェスト・ソーガティーズ生まれ(後にニューヨーク州ニスカユナ----オルバニーの近く----に転居)の写真家、ユニオン・カレッジ教授のマーティン・ベンジャミンは、ボブ・ディランとは昔から接点があった。
 ベンジャミンは、10代だった頃に、当時ウッドストックで暮らしていたディランが郵便局に入っていくのを目撃した。彼はスターを一目見ようと、回れ右をして郵便局の中に戻った。ディランが1980年4月にザ・パレスで2回公演を行なった時、ベンジャミンもそこにいた。ディランはショウの撮影を禁止していたが、ベンジャミンにはカーロッタ・デュアーテという友人がいた。ボストン出身の写真家でカトリック教会の尼僧をやっている彼女に、機材を持ち込みを手伝ってもらったのだ。彼はディランがギターを高く掲げ、天を指しているショットをものにした。(ディランは同年夏にリリースのアルバム《Saved》に収録されたキリスト教の歌を歌っており、多くの尼僧や牧師は無料で会場に入ることが出来た)
 初日の晩の後、ベンジャミンはフィルムを現像し、紙に焼いた。彼はバンドメンバー(その後、ディランが密かに結婚することになる女性シンガーも含む)がディランと同じフレームに入ってる写真を丁寧に撮影していた。2晩目のショウの後、ベンジャミンはプリントした写真を持って、ディランのバンドが宿泊していると聞いていたベスト・ウェスタン・ホテルに行った。彼はバーでバンドメンバーに、ディランと一緒に写っているステージ写真をプレゼントした。
 ベンジャミンが望んでいた通り、ひとりのバンドメンバーが彼を脇に連れていき、ディランがステイト・ストリートのウェリントン・ホテル(今はもうない)に泊まっていることをこっそり教えてくれた。彼が急いでウェリントンに行って、ロビーで張り込んでいると、午前3時頃、ディランとボディーガードがエレベーターから出てきてロビーに出てきた。ディランが通りかかった時、ベンジャミンはカメラを持ち上げて、写真を撮らせてくれとお願いした。頭が振り向いた。
 ディランは言った。「どうしてオレの写真が欲しいんだい?」
 ベンジャミンははっきり言った。「昨日と今日、2回ショウを見て、素晴らしかったからです」
 すると、ディランは立ち止まった。「気に入ってくれたのかい?」 ふたりはウェスト・ソーガティーズについて話し、ベンジャミンは天を指してるショットの大判プリントをディランにプレゼントした。この写真はソニーからリリースされた《Trouble No More / Bootleg Series #13》でも使われた。11月3日にリリースされたこのアルバムには1979年〜1981年のディランの音楽が収録されている。

The original article "The night a Union professor secretly photographed Bob Dylan" by Michael Hochanadel/For The Daily Gazette
https://dailygazette.com/article/2017/11/16/the-night-a-union-professor-secretly-photographed-bob-dylan-and-later-met-him


   
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2017年11月11日

ディラン・ファンの間ではお馴染みのユダヤ系論客2人が語るゴスペル・ディラン

こちらでは過去にこんな記事を取り上げているお二方の見解を紹介します。

セス・ロゴヴォイ
・ポール・マッカートニーの(秘)ユダヤ系人脈史
http://heartofmine.seesaa.net/article/426311411.html
・セス・ロゴヴォイ著『Bob Dylan: Prophet, Mystic, Poet』書評
http://heartofmine.seesaa.net/article/188176677.html

ハロルド・レピドゥス
・キャロライン・へスター 1992年ボブフェストを振り返る
http://heartofmine.seesaa.net/article/186841127.html
・ハーヴィー・マンデル グラミー2011を語る
http://heartofmine.seesaa.net/article/187202945.html
・1992年1〜2月頃のレコーディング活動に関する新データか?
http://heartofmine.seesaa.net/article/218955075.html
・ディラン、マイルス、ジミヘンと共演したミュージシャン、ハーヴィー・ブルックス・インタビュー
http://heartofmine.seesaa.net/article/383104123.html
・ロジャー・マッギン来日直前インタビュー
http://heartofmine.seesaa.net/article/420629716.html





ボブ・ディランはキリスト教時代の時がベストだったのか?
文:セス・ロゴヴォイ(『Bob Dylan: Prophet, Mystic, Poet』の著者)

 私は先日、バークシャーズ・サマー・キャンプの同窓会に出席した。私は1970年代にキッチンで働いていたのだが、旧友との再会の場では「ボブ・ディランがボーンアゲイン・クリスチャンになった時、キミがどんなにガッカリしてたか、よく覚えてるよ」と複数の人間から言われた。
 1978年の初夏の頃に、ディランがキリスト教に改宗したらしいと報じられた時、私は朝礼でステージの上に立って、もう金輪際ディランの曲は歌わないと宣言したのだ。キッチン・キャビンにいたルームメイトたちにも、ディランのアルバムをかけることを禁止した。私は確かにガッカリした。会うのが40年振りの人でさえ、その日のことを覚えているくらいにだ。
 1979年8月に、ディランの「ゴスペル3部作」の1枚目《Slow Train Coming》が出た時、私はどうしたらいいのかわからなかった。その頃までは、私はディランのアルバムは全部持っていて、新譜が出る時には列の1番目の並んでいた。9月のある時、私は譲歩した。ディランが作ったアルバムがどんなものなのか聞きたいという好奇心、及び、聞かなきゃという義務感から、遂に買ったのだ。初めてレコード盤をターンテーブルの上に置いた時、私は恐ろしさのあまり身震いした。まるで、禁を破ったら、その途端に雷に打たれるかのごとく。ジャケット・イラスト----汽車がこっちに来る、男がふるうツルハシが十字架に似ている----にすら私はビビった。しかし、曲が進むとディランはこう歌った。「悪魔かもしれないし、主かもしれない。でも、人は誰かに仕えなきゃいけない」って。いいじゃないか!
 素晴らしいレコードだった。最も優れた音質のアルバムだったかもしれない。ジェリー・ウェクスラーとバリー・ベケットという真のプロフェッショナルなR&Bメンがプロデュースしたアルバムだ。曲はファンキーかつロックしている。ソウルフルなホーンセクション、セクシーなキーボード、レゲエのビート…曲によってはブルージーなバックシンガーも入っている。ディランの歌にも熱がこもっている。曲の殆どは、新たに発見した信仰、聖書(パート1も含む)、メシヤ信仰、愛など、さまざまなものを歌っている。ある女性への愛ともとれるし、神への愛とも取れるが…。ジャケットの十字架と、アルバムの最後に置かれた曲〈When He Returns〉を除いて、イエス・キリストにストレートに言及している箇所は殆どない。
 翌年夏にリリースされた《Saved》は違っていた。このアルバムにはれっきとしたゴスペル曲が満載で、誰のことを歌っているのかははっきりとしていたが、それでもラヴソングもいくつかあった。その中の1つ、〈Covenant Woman〉には好奇心をそそるフレーズがあった:「オレはいつもお前のそばにいるよ。契約書も持ってるし」 まるで、自分もキリストと契約を結んでる人間なんだが、違う契約なんだと、語り手が女性に言っているかのようだ。ユダヤ教徒がキリスト教徒に言いそうなことだ。
 《Slow Train》がリリースされた後、ディランはツアーに出た。マスコミに注目されやすい大マーケットは避け、普通なら飛ばしてしまうような州の小さな会場で、好意的な耳にしか届かないであろう新曲ばかりを演奏した。ツアーは最初の都市、サンフランシスコでの連続公演からして、波乱含みだった。ディランは次のツアーからは態度を軟化して、徐々に、過去のアルバムに収録されていた昔の名曲を混ぜていき、ツアー終盤にはゴスペル期以前のマテリアルのほうにバランスは傾いていた。
 こうした賛否両論を巻き起こしたコンサートの記録は、今の今まで、オフィシャル筋からは殆ど発表されなかったが、今月、コロムビア・レコードはこれまでのほったらかしの方針をあらため、《Trouble No More:The Bootleg Series Vol.13 / 1979-1981》をリリースする。パッケージは数種類あるが、コンプリート・バージョンではCD8枚+DVD1枚に100トラックの未発表ライヴ/スタジオ・レコーディング(そのうち、14曲は未発表曲)を収録している。コンサート・レコーディングは特に聞く価値がある。ディランが抱えていた最高のツアー・バンドをフィーチャーし、ディラン本人のヴォーカルも熱い。このボックスセットと、タイミングぴったりにリリースされるクリントン・ヘイリン著『Trouble in Mind: Bob Dylan's Gospel Years What Really Happened』によって、ゴスペル期が音楽及びその他の面で再評価される機会となるだろう。
 ヘイリンの本は、タイトルが示す通り、ディランがヴィンヤード・フェローシップの聖書教室に3カ月間通ったことから始まって、レコーディング・セッションやその後のツアーで紆余曲折があったことを物語ったもので、ディランをロックンロールによる伝道へと駆り立てた宗教体験の産物として「何が起こったか」を描くことを意図したものだ。ディランはコンサートではよく宣教師のように説教し、間もなく到来するであろうこの世の終末の時に救済から取り残されぬよう、観客や仲間のミュージシャンに考え(と行動)を改めるよう戒告することも多かった。
 ヘイリンによると、こうした説教の多くのダイレクトなネタ元は、人気のあるクリスチャン作家、ハル・リンゼイがあの頃に出版した本であるらしい。リンゼイが著書『The Late, Great Planet Earth』『Satan Is Alive and Well on Planet Earth』において展開しているのが、イスラエル建国と冷戦を、この世の終わりが近いという予言の成就のしるしと見なす、キリスト教の中でも極端な部類の終末論なのだ。ディランは自分の言葉を述べるというよりはむしろ、リンゼイの文句をそのまましゃべっている場合が多かった。
 非意識的にだと思うのだが、ヘイリンは、ボブ・ディランの宣教師化には他所からの影響もあるという証拠を挙げている。その1つが女性である。つまり、アフリカ系アメリカ人のバックシンガーたちだ(彼女のうちのひとりが、短期間ではあったが、ディランの2番目の妻となった)。さらに重要なことには、ヘイリンはイギリス人ジャーナリストの以下の発言を引用している:「私は、ボブの「改宗」が精神的探求の一環であると考えました。彼はユダヤ人というルーツを既にチェックアウトしていたのです。ただ、私が全然理解することが出来なかったのは、キリスト教がボブの精神的探求のもう1つの段階だったということではなく、コカインで脳味噌の腐ってる連中用の日曜学校みたいなものによってボブが「改宗」したという点です」 私がディランの親友の詩人、アレン・ギンズバーグをインタビューした時、彼が主に語ったのは、ディランが抱くにいたった新しい世界観についてではなく、ディランがいかに健康になったかということだった。つまり、ドラッグをやめて心身が健康になったというのだ。
 ディランが歌の中で、そして、ステージ上で、キリスト教というブランケットを身につけるのも素早かったが、それを脱ぎ捨てるのも素早かった。しかし、予言者的な傾向や神学的熟考はその後も残った。特に、1983年に出したアルバム《Infidels》ではその雰囲気が色濃い。〈I and I〉ではモーゼを彷彿させ、〈Neighborhood Bully〉ではイスラエルを想起する。1989年の《Oh Mercy》では、〈Everything Is Broken〉をはじめ、さまざな曲の中でカバラ的テーマを探求している。ゴスペル期後の35年間においても、ディランはコンサートで時々、ゴスペル期の曲を1つ、2つ取り上げるが、50余年のキャリアのさまざまな時点で作られた曲と違和感なく歌われている。遅くとも1962年には出来ていた〈A Hard Rain's a-Gonna Fall〉から、2006年の〈The Levee's Gonna Break〉に至るまで、ディランの歌はずっと、この世の終末を警告し続けてきたからだ。ディランは今日においても伝道活動を継続し、ネヴァー・エンディング・ツアーにおいて毎晩、古代的な意味での予言を行なっている。ヘイリンは1981年のギンズバーグの言葉を引用している:「ディランは文明において起こってること、自分が予言者になってることに対する恐怖のようなものに反応して、それをとても真剣に受け取っているんだよ」 
 読者諸兄姉も同意見だろうか?

Seth Rogovoy is a contributing editor at the Forward and is the author of 『Bob Dylan: Prophet, Mystic, Poet』(Scribner, 2009).

The original article "Was Bob Dylan At His Best When He Was Christian?" by Seth Rogovoy
http://forward.com/culture/music/386298/was-bob-dylan-at-his-best-when-he-was-christian/
Reprinted by permission

  






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posted by Saved at 22:59| Comment(0) | Bob Dylan | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする