2015年02月25日

グレイトフル・デッド FARE THEE WELL チケット狂騒曲・中間報告

 2014年夏にフィル・レッシュがフジロックでプレイした頃から、ファンの間では「来年2015年はグレイトフル・デッド50周年なので、何か大きいことやるんじゃないかなあ」と希望的観測がささやかれ始め、2015年1月上旬には噂の中身も「ソルジャー・フィールドが押さえられた」「メンバーがミーティングを行なった」という具合に具体性が増してきました。そして、1月中旬にはデッドから遂に「結成50周年記念ライブ FARE THEE WELL をやるぞ」という公式発表があり、16日(金)にチケット発売方法が明らかになり、20日(月)から郵送申込の受付が開始されました。
 以下、このチケット騒動に巻き込まれた一介のデッドヘッド(私)の日記です。2月28日からチケットマスターで一般発売が開始されますが、今までの顛末を整理しておきたいと思います。日付はアメリカの現地時間だったり、私が気づいた時間(日本時間)だったりするので、誤差はあるかもしれません。

12月5日(金) TRIスタジオにボブ・ウィア、ミッキー・ハート、ビル・クロイツマンが集合。何やら動きが本格化してきた様子。

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1月12日(月) ボブ・ウィアがミーティングの写真を投稿。恐らく議題は50周年コンサート。

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1月13?日 シカゴのソルジャー・フィールドで7月3、4、5日にコンサートを開催することを正式に発表。キターッ! チケット発売日、席種、金額、購入方法など詳しいことは後日。Dead50.netというサイトが立ち上がる。

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1月16日(金)深夜 チケット代、申込方法が正式発表。申込方法というのが、四半世紀前と同じ申込カードと為替を郵送するという超アナログなかたち。10号封筒には切手を貼る(料金シールはダメ)、所定の位置に申込日と券種/枚数を記入するなど一定のルールがあり、消印の若い順に受け付けられる。今回は1月20日以降の消印が有効。1月19日とかフライングの消印はダメ。この時点では、2月12日にAXS.comで、14日にチケットマスターでネット販売開始とのことだった。

1月17日(土) 一緒に行く連中(私を含めて丁度4人)と話し合って、メールオーダーでチケットを取った経験が最も多い(といっても、たった3回)私がチケットの郵送申込を担当することに。

1月17日(土)〜18日(日) チケット申し込み前なのに、既にシカゴのホテルに予約が殺到。17日の時点でエコノミーホテルは満杯。中級ホテルも同様。仕方なしに、18日夜に身分不相応の高級ホテル(『地球の歩き方・シカゴ』では、そのカテゴリーに載っている)を予約。

1月19日(月) 郵便局に行って国際為替申込用紙を10枚ゲット(書き損じるといけないので、余計にもらう)。3×5カード、封筒も作成。あとは翌日朝9時に郵便局に行くだけ。この時点で、自分の住所をローマ字で10回、日本語で7回、GDTSTOOの住所を8回記入。この作業は面倒臭い。

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 この時点では、先行受付は199.50ドルの指定席(どこか不明)、115.50ドルのフィールド立見、95.50ドルのスタンド指定席のみ。当選確率を高くするために、安い席+高い席との差額+送料という具合に為替を組み合わせて送ることが推奨されていたので、115.50ドルのフィールド立見を第1希望、95.50ドルのスタンド指定席を第2希望として、115.50×4人分=382ドルの為替を3通、差額20ドル×4人分=80ドルの為替を3通、送料35ドルの為替を1通、計7通作ってもらうことに。
 国際為替を作ってもらうのに、1通2,000円の手数料がかかるので、チケット代には7通分=14,000円上乗せだけど、4等分するので、私の金銭的負担は1万円以上減った計算。

1月19日(月) シカゴ・トリビューンにはこんな大広告が載ったそう。

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1月20日(火) 郵送受付開始。9時に近所の郵便局に行って、窓口に合計7通の為替の申込書を提出。送金する金額が10万円を超えるということで、何かの書類にも自分の住所指名を記入。ピンクの為替を発行してもらったら、今度はそれに、自分の住所を7回、GDTSTOOの住所を7回記入。為替、カード、返信用封筒を封筒に詰めて、10時ちょっと前に、こちら側として出来る全事務処理を完了。人事はつくしたので、あとは天命を待つのみ。

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 日本の、それも郊外の小都市の郵便局とあって、デッドの用事で来ている奴は私ひとりだったが、アメリカではこんなことに:

1月21日(水) シカゴトリビューン 1月20日朝、アメリカ全国の郵便局でこんな光景が見られたそう。
http://my.chicagotribune.com/#section/-1/article/p2p-82580387/

1月22?日頃 客席の分け方がイマイチ不明で、申込直後にこんな座席表がネットに登場。申込時と値段が違う。

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その数日後 こんな割り振りになったらしい。これなら納得。第1希望のGAが当選して、差額の為替は返却されますように。

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1月25日 デッドHPにこんな表示があることに気づく。私の封筒はしっかり届いているのだろうか?

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芸術的センスのあるファンは意匠を凝らした封筒でチケットを申込むのがデッドヘッズの伝統。ステキな封筒で申し込むと当選確率が上がるのですが、今回は封筒コンテストを開催したため、さらにエスカレート。こういうのを見ると、自分に才能がゼロなことを実感して落ち込む。
http://www.treyfuldeadmemes.com/envelopes

過去のデコ封筒を集めた写真集まで出版されている。

   

1月29日(木) チケットがハズレの人にこんなメッセージ付きで為替が返送。この日以降、赤紙が届きはしないかと戦々恐々の毎日。

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2月5日(木) ボブ・ウィアがザ・レイト・ショウに出演。〈Truckin'〉名演! ジョン・メイヤーが全米のデッドヘッズの間で話題になっているデコ封筒とハズレ・メッセージに触れ、「これなら受け付けてもらえる?」と見せた封筒がこれ。宛先が昔のものなので、受付可不可以前の問題です。トホホ…。

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2月12日(木) 6万通もの応募があり、GDTSTOOは毎日2〜3,000通のハズレ・メールを発送しているらしい。
http://liveforlivemusic.com/news/update-grateful-dead-ticketing-office-sending-out-2-000-3-000-rejection-letters-daily/

2月12日(木)〜17日(火) この頃、日本にもハズレの赤紙が届く。顔の広い人の話によると、ハズレだった人の共通点は1月21日の消印で申し込んでいたこと。20日消印の人(私を含む)には赤紙は届いてないらしい。この週を過ぎてからは、日本にハズレ・メッセージが届いたという話は聞かない。

2月15日(日) ウォールストリート・ジャーナルのHP GDTSTOOでの作業を紹介
http://www.wsj.com/articles/for-grateful-deads-final-shows-long-strange-trip-ends-in-sea-of-mail-1423873970

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2月23日(月) 混乱に乗じて為替が大量に盗難、メンバーも次々にホテルの予約を取り消し、1020万ドルが違法に換金されてスイスの銀行に振りこまれた、コンサートは中止か?というガセねた。デッドヘッズはいたって冷静で、全く混乱は起こらず。
http://www.news-blender.com/breaking-news/fare-thee-well-money-orders-stolen-shows-to-be-cancelled/
 
2月24日(火) GDTSTOOより公式発表。予想をはるかに超える数の申込があり、競争率は10倍。当選者には2日後、一般発売前にメールが届くのだとか。この時点で、ハズレの赤紙は届いてないが、私はいったいどうなることやら。

2月25日(水) GDTSTOOにチケット当選者にこういうメッセージが届き始めた。本日夜時点で拙宅には未到着。「あなたのオーダー、もしくはその一部が受け付けられました」なんて書かれているとなると、一応保険としてチケットマスターの予約も頑張らなければいけないってこと?

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2月25日(水) チケットマスターのページには、こんな席割が。

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2月26日(木) 2/25付でGDTSTOO文面更新。ひとつの封筒でまとめてオーダーを出してたら、オーダー全部当選。いくつかの封筒に分けてオーダーしてたら、そのうちの少なくともひとつ当選。私は3日間をひとつの封筒で応募したのだが、26日(木)午前の時点で当選メールは届いてない。

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拙宅に当選通知メールが届いたか否か、チケットマスターでの予約状況等はまた後日。
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2014年04月21日

長い間失われていたグレイトフル・デッドのサウンドボード・テープの運命

 コンサート音源の流通量と質はバンドの方針に大きく左右され、ファンによるコンサートの録音に寛容なバンドほど、音源の質は高く、量も豊富です。その最たる例がグレイトフル・デッドではないでしょうか。1970年代からコンサート会場への録音機材の持ち込みには比較的寛容で、1984年からは公式的に録音者用セクションを設置したほどです。サウンドボード音源も時々ですが、バンド側から、ファンの間で流通することを承知で提供されていました。
 とはいえ、インターネットで誰でもライヴ・レコーディングをダウンロード出来るようになるのは2000年頃からであり、それまではRelix誌等のお友達募集欄を通じて同好の士を見つけ(私もこの雑誌に大変お世話になりました)、音源をメディアにコピーし、郵送しなければなりませんでした。DATやCDRといったデジタル・メディアが登場する以前は、コピーを重ねるごとに音質が著しく劣化するアナログのカセットテープでのやりとりだったので、経ているコピー回数の少ないものを入手するルートを持っている人が有力なコレクターでした。
 1980年代後半までは、ファンの間で広く出回っていたサウンドボード音源は、主に、FMラジオで放送されたライヴのエアチェックであり(地元サンフランシスコやツアー先のローカル局が、よくコンサートを生中継しました)、そこに風穴を開けたのがベッティー・ボードと呼ばれる音源群です。ベッティー・ボードとは、ベッティー・カンター=ジャクソンという女性が録音したサウンドボード音源テープという意味です。彼女はサウンドマンからマルチ・チャンネルでラインフィードをもらい、PA用とは別の独自のミックスでコンサートを録音していましたが(ポータブル・オープンリール・レコーダーのナグラIV-Sを含め、全部自腹だったそうです)、デッドのヴィンテージ・イヤーの火を吹いてるような演奏を高音質で収録していることで、ベッティー音源は人気がありました。
 ベッティーは何らかの理由でバンドのスタッフを辞めた後、これまた何らかの理由で(私が聞いた噂によると、当時のロック関係者の大半が陥ったアレらしい)生活費に困って破産し、競売にかけられた持ち物の中にテープがあり、数人のマニアがチームを組んでそれをPCM(ビデオカセットにデジタル信号を記録するシステム。DATが登場するまでわずか数年の命だった)等にコピーし、その後、ファンの間に急速に広まりました。当然、デッド側はテープの所有権を主張して、あれこれ手を回して回収、現在はテープ庫にある----というのが、私がこれまで理解していたことです。が、事態はこれほど単純なものではなかったようです。かつてはグレイトフル・デッドのファンジンのような存在で、テープ・コレクターに出会いの場を提供し、ジェリー・ガルシア亡き後はデッドの後継というべきジャム・バンド・シーンを応援してきたRelix誌に、先頃、次のような目からウロコの記事が掲載されました:

   




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2011年04月11日

ミッキー・ハート教育を語る

 グレイトフル・デッドのミッキー・ハートが教育について語っている面白い記事を発見しました。文中に登場する『The Music Never Stopped』は音楽療法に関する映画で、3月に行なわれたFURTHURニューヨーク公演の際、Best Buy Theater前で試写会のチラシが配られていました。日本で公開されるのかどうか今のところ分かりませんが、脳神経学者オリヴァー・サックスによる原作「最後のヒッピー」は『火星の人類学者』の中で読むことが出来ます。サウンドトラック盤にはグレイトフル・デッドの「Rippe」、1971年2月24日の「Sugar Magnolia」、ボブ・ディランの「I Threw It All Away」等が収録されています。



映画『The Music Never Stopped』公式サイト:
http://themusicneverstopped-movie.com/

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『ミッキー・ハート教育を語る』

著者:ミッキー・ハート
グレイトフル・デッドのドラマー
Institute for Music and Neurologic Function委員

 我が国の子供の教育方法を再考する必要があると警鐘を鳴らす政治家達のドラム・ビートは、私の耳には音楽のように聞こえる。しかし、理科(Science)、技術(Technology)、工学(Engineering)、数学(Math)ばかりに焦点をあてる傾向のあるこの議論のリズムには、ビートがひとつ欠けている。STEMに足りないのは芸術(Art)の「A」だ。
 私自身、どのようにしてこうしたものを学んだかというと…はっきり言って、とても苦労した。高校時代は理科は嫌いだった。技術? 工学? 数学? オレにこんなもの必要なわけねえだろ!とすら思っていた。音楽が理科と技術と工学と数学がひとつにまとまったものであるということを、殆ど分かっていなかったのだ。こうしたスキルが自分の味方、新しい道具になったのは、私が自分の夢を実現し始めた時のことだった。
 音楽について勉強すればするほど、自然界のリズム・パターンやドラムのバイブレーションと宇宙の形状の間にある関係を、ますます認識するに至った。旧友ビル・グレアムがコンサートのチケットを「再利用」して、バンドにギャラを実際の半分しか払ってくれなかった時、私は数の数え方を学んだ。これが数学の授業だった。グレイトフル・デッドがオーディエンスに音楽を届けるための高品位の音響システムを必要としていた時、私はエレクトロニクスやスピーカーのデザインについて勉強した。これが工学の授業だった。デッドヘッズが私達の演奏を録音して、それを世界中に広めるようになった時、私はコンピューター・ネットワークについて学んだ。これが技術の授業だった。
 かつて理科や数学が嫌いな高校生だった私が、今では、ノーベル賞を受賞した天文学者ジョージ・スムートとコラボして、宇宙形成時の勇壮なイベント----ビッグバンから銀河、恒星、惑星まで----から音楽を作る方法に取り組んでいる。
 私はまた、神経学者のオリヴァー・サックスとも手を組んだ。新作映画『The Music Never Stopped』で描かれているように、損傷を受けた精神を目覚めさせることにおいて音楽とリズムが大きな役割を果たしうることを、彼は私に教えてくれた。損傷を受けた神経の通路はバイブレーションによって再びつながるようになるので、音楽療法には理学療法と同様に人を治す力があるということを、現代科学は私達に教えてくれる。
 脳には、人間のあらゆる活動に先んじて、音楽やイノベーションや創造性といったものがプログラムされていることも、神経学者達は教えてくれた。歴史家や人類学者の知るところとなっている文化の中で、音楽と舞踏を持たないものは知られていない。芸術は洞察に必要なものであり、芸術こそが私達を人間たらしめているのである。芸術や音楽から得るエネルギーが、ひらめき(インスピレーション)を発明(インヴェンション)へと変えるのだ。これによって、発明家が以前には思いもしなかったことを夢に見て、産業と良い報酬の仕事を生み出すことが可能となる。
 私は美術か音楽の授業をただスケジュールに加えればよいと言っているのではない。芸術科目をSTEMと同等の主要な変数にしようと言っているのだ。芸術は創造性を刺激し、好奇心や発見を少しずつもたらすものである。好奇心や発見がないと、学習行為は丸暗記になってしまうことが多い。子供達に上手に暗記する方法を教えるかわりに、自分の力で考えて、イマジネーションを用いることを教えたほうがいいだろう。子供達が将来、知識経済という世界経済の中で競争することになるのだとしても、彼等の頭の中を事実以上のことで満たしてあげる必要がある。オバマ大統領の言葉を借りると、世界の他の地域よりも「もっと革新する」「もっと教育する」ために必要なものとは創造的思考なのだ。教室で教えられることを覚え、それを新しいものを作り出す時に使うことで、教育と革新を結びつけるのが、創造性なのである。
 教室で芸術を教えることは創造性に拍車をかけるだけでなく、学習行為をも刺激する。我が国の科学教育の状況を心配する機関のうち、こうした考えを抱くようになってきているところが増えている。例えば、全米科学アカデミーは、サイエンス&エンタテインメント・エクスチェンジを通じて芸術家のコミュニティーにまで手を伸ばしている。この組織は、スクリーン上で科学--及び科学者--をより正確に説明するために、科学者と映画制作者を結びつけるものである。この組織はまた、学習行為を刺激するツールを開発するために、教師とエンタテインメント業界で活躍するクリエイター(この中にはビデオゲームのデザイナーも含まれる)との協力も促している。
 美術や芸術は、ワシントンで予算のハサミの刃が研がれる時には、たいてい最初にカットされるものなのだが、オバマ大統領はアメリカ国立科学財団の予算の13%増を提案している。この組織は、芸術に基づく学習推進運動等の「非公式的」な科学教育プロジェクトに資金を提供するプログラムを持っている。科学の教育に芸術を用いること、もしくは、博物館等の教室外で科学を教えることは、非公式とは言え、推理力や問題解決能力を高める実用中心、調査中心の学習行為なのだ。
 大切なのは、芸術は誰もが知る最も偉大な頭脳や才能の持ち主にも影響を与えるほど重要なものだということである。アルバート・アインシュタインは、物理学者でなかったら恐らく音楽家になっていただろうと発言している。「理論を考えている時には、音楽が助けになっているようです」という彼の奥さんの報告もある。また、アインシュタインはこうも言っていた:「私はよく音楽の中で考えています。音楽の中で白日夢を見ます。私は音楽の観点から自分の人生を見ています。…私は人生の喜びの殆どを音楽から得ています。」

Original copyrighted article "There's Fire On The Mountain" @ The Huffington Post by Mickey Hart. Reprinted by permission.
http://www.huffingtonpost.com/mickey-hart/theres-a-fire-on-the-moun_b_839285.html

  


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