2017年12月24日

ジョージが所有していたテレキャスをジェリーが弾く

 グレイトフル・デッドに関する「いい話」をまとめた本『Songs to Fill the Air: Tales of the Grateful Dead』が出版されました。その中にはこんなトリビアも載っています。著者のスコットさんから掲載許可をいただくことが出来たので、ここで紹介します。



ジョージが所有していたテレキャスをジェリーが弾く

文:スコット・W・アレン



 フィル・レッシュが写真家のリンダ・イーストマン(後に姓はマッカートニーになる)とディナー付きデートをしている件から、2016年夏にポールがボビー・ウィアをボストン公演に招いて一緒に演奏したことまで、デッドヘッズはグレイトフル・デッドをビートルズとつなげる物語を探しているが、今回は1つ、いい話を紹介しよう。

 1970年6〜7月に、カナディアン・ナショナル鉄道をチャーターしてカナダを横断するフェスティヴァル・エクスプレス・ツアーが行われた。このツアーでは全5回のコンサートが開催されたが、カルガリーで行なわれた2公演のうちのどちらかで、ジェリー・ガルシアとデラニー・ブラムレットがイアン&シルヴィアのステージに飛び入りして、一緒に〈C.C. Rider〉を演奏するというサプライズがあった。このゲスト・スポットの間にガルシアが弾いてたのが1968年に製造されたローズウッドのフェンダー・テレキャスター(シリアルナンバー#235594)なのだが、これこそまさにジョージ・ハリスンが1969年1月にアルバム《Let It Be》のレコーディングや、1969年1月30日にアップル屋上で行った42分間のギグ(ビートルズが人前で行なった最後のコンサート)、クリームの〈Badge〉のレコーディングで使用していたギターなのだ。
 ジョージの息子、ダニー・ハリスンは、これは父親のお気に入りのギターだったと語っている。
 フェンダー社の職人、フィル・クビキがローズウッドを使用して作ったカスタムメイドのテレキャスターを、同社がジョージにプレゼントしたのは、1968年12月のことだった。
 FeelNumb.comというウェブサイトには次の情報も載っている:「1969年12月1日に、ハリスンはデラニー&ボニーのロイヤル・アルバート・ホール公演を見に行った。すると、その晩の出演者のひとりだったエリック・クラプトンから、ショウ終了後に、イギリスとデンマークで予定されている残り数公演に参加しないかと打診された。翌日、ハリスンはツアーに加わり、デラニー・ブラムレットにこのギターをプレゼントした」
 ジョージはデラニーに「これは昨晩、親切にしてもらったことへの感謝の気持だ」と言った。
 デラニー&ボニーはフェスティヴァル・エクスプレスのオープニング・バンドの1つだったのだが、7月4日と5日に行なわれたカルガリー公演のどちらかで、デラニー・ブラムレットはガルシアにこのローズウッド・テレキャスターを貸すと、一緒にイアン&シルヴィア&グレイト・スペックルド・バードのステージに飛び入りして〈C.C. Rider〉を演奏した。

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 ジェリーがジョージのテレキャスターを弾いてる間、カウボーイハットをかぶったビリーもこのお楽しみに加わり、リズムに合わせてタンバリンを叩いた。
 フェスティヴァル・エクスプレスには、イアン&シルヴィアだけでなく、トラフィック(トロント公演のみ)、ザ・バンド、ザ・ニュー・ライダーズ・オブ・ザ・パープル・セイジ、テン・イヤーズ・アフター。マウンテン、ザ・フライング・バリトー・ブラザーズ、デラニー&ボニー&フレンズ、バディー・ガイの他、ヘッドライナーとしてジャニス・ジョップリン&フル・ティルト・ブギーが参加していた。
 ローズウッド・テレキャスターは、2003年にデラニーがオークションに出品した際、俳優のエド・ベグリー・ジュニアがオリヴィア・ハリスン(ジョージの奥さん)とハリスン・エステートの代理として落札した。落札価格は47万ドルだった。
 ハリスンのテレキャスターのボディーに使用されたのがローズウッドなのだが、興味深いことに、これはフロリダー在住のギター職人、スティーヴン・クライプがライトニング・ボルトを作る際に用いた木材でもある。ライトニング・ボルトとは、ガルシアが1993〜95年にステージで使っていたギターで、お好みの1本だった。クライプはフィンガボードにはブラジリアン・ローズウッドを、ボディーにはイースト・インディアン・ローズウッドを使用している。
 ジェリーがローズウッド・テレキャスターの来歴を知っていたとしたら、真夜中に列車がサスカチュワン地方を爆走している間に、〈One After 909〉や〈For You Blue〉といった《Let It Be》に入ってる名曲でハリスンが弾いたリフを、ひとり貨車の中で弾いていた可能性があるのでは----ファンの妄想以上の可能性はあると思うのだが…。

The original article by Scott W. Allen appears in 『Songs to Fill the Air: Tales of the Grateful Dead』 pages 21 and 22
Reprinted by permission


 ちなみに、このテレキャスがデラニー・ブラムレットに渡った経緯やオークションの詳細はボビー・ウィットロックの回想録に詳しいです。デラニーのこと大嫌いみたいなので悪口三昧ですが…。

    


 何と、このテレキャス、フェンダーから再発されました!



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2017年11月23日

ユニオン・カレッジ教授が尼僧に助けてもらってボブ・ディランを隠し撮り

 《Trouble No More》の発売を機に、些細なんだけど面白い事実の証言が世に出てきて、楽しい今日この頃です。

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ユニオン・カレッジ教授が尼僧に助けてもらってボブ・ディランを隠し撮り
文:マイケル・ホシャナデル(ザ・デイリー・ガゼット)


 ウェスト・ソーガティーズ生まれ(後にニューヨーク州ニスカユナ----オルバニーの近く----に転居)の写真家、ユニオン・カレッジ教授のマーティン・ベンジャミンは、ボブ・ディランとは昔から接点があった。
 ベンジャミンは、10代だった頃に、当時ウッドストックで暮らしていたディランが郵便局に入っていくのを目撃した。彼はスターを一目見ようと、回れ右をして郵便局の中に戻った。ディランが1980年4月にザ・パレスで2回公演を行なった時、ベンジャミンもそこにいた。ディランはショウの撮影を禁止していたが、ベンジャミンにはカーロッタ・デュアーテという友人がいた。ボストン出身の写真家でカトリック教会の尼僧をやっている彼女に、機材を持ち込みを手伝ってもらったのだ。彼はディランがギターを高く掲げ、天を指しているショットをものにした。(ディランは同年夏にリリースのアルバム《Saved》に収録されたキリスト教の歌を歌っており、多くの尼僧や牧師は無料で会場に入ることが出来た)
 初日の晩の後、ベンジャミンはフィルムを現像し、紙に焼いた。彼はバンドメンバー(その後、ディランが密かに結婚することになる女性シンガーも含む)がディランと同じフレームに入ってる写真を丁寧に撮影していた。2晩目のショウの後、ベンジャミンはプリントした写真を持って、ディランのバンドが宿泊していると聞いていたベスト・ウェスタン・ホテルに行った。彼はバーでバンドメンバーに、ディランと一緒に写っているステージ写真をプレゼントした。
 ベンジャミンが望んでいた通り、ひとりのバンドメンバーが彼を脇に連れていき、ディランがステイト・ストリートのウェリントン・ホテル(今はもうない)に泊まっていることをこっそり教えてくれた。彼が急いでウェリントンに行って、ロビーで張り込んでいると、午前3時頃、ディランとボディーガードがエレベーターから出てきてロビーに出てきた。ディランが通りかかった時、ベンジャミンはカメラを持ち上げて、写真を撮らせてくれとお願いした。頭が振り向いた。
 ディランは言った。「どうしてオレの写真が欲しいんだい?」
 ベンジャミンははっきり言った。「昨日と今日、2回ショウを見て、素晴らしかったからです」
 すると、ディランは立ち止まった。「気に入ってくれたのかい?」 ふたりはウェスト・ソーガティーズについて話し、ベンジャミンは天を指してるショットの大判プリントをディランにプレゼントした。この写真はソニーからリリースされた《Trouble No More / Bootleg Series #13》でも使われた。11月3日にリリースされたこのアルバムには1979年〜1981年のディランの音楽が収録されている。

The original article "The night a Union professor secretly photographed Bob Dylan" by Michael Hochanadel/For The Daily Gazette
https://dailygazette.com/article/2017/11/16/the-night-a-union-professor-secretly-photographed-bob-dylan-and-later-met-him


   
posted by Saved at 19:30| Comment(0) | Bob Dylan | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月11日

ディラン・ファンの間ではお馴染みのユダヤ系論客2人が語るゴスペル・ディラン

こちらでは過去にこんな記事を取り上げているお二方の見解を紹介します。

セス・ロゴヴォイ
・ポール・マッカートニーの(秘)ユダヤ系人脈史
http://heartofmine.seesaa.net/article/426311411.html
・セス・ロゴヴォイ著『Bob Dylan: Prophet, Mystic, Poet』書評
http://heartofmine.seesaa.net/article/188176677.html

ハロルド・レピドゥス
・キャロライン・へスター 1992年ボブフェストを振り返る
http://heartofmine.seesaa.net/article/186841127.html
・ハーヴィー・マンデル グラミー2011を語る
http://heartofmine.seesaa.net/article/187202945.html
・1992年1〜2月頃のレコーディング活動に関する新データか?
http://heartofmine.seesaa.net/article/218955075.html
・ディラン、マイルス、ジミヘンと共演したミュージシャン、ハーヴィー・ブルックス・インタビュー
http://heartofmine.seesaa.net/article/383104123.html
・ロジャー・マッギン来日直前インタビュー
http://heartofmine.seesaa.net/article/420629716.html





ボブ・ディランはキリスト教時代の時がベストだったのか?
文:セス・ロゴヴォイ(『Bob Dylan: Prophet, Mystic, Poet』の著者)

 私は先日、バークシャーズ・サマー・キャンプの同窓会に出席した。私は1970年代にキッチンで働いていたのだが、旧友との再会の場では「ボブ・ディランがボーンアゲイン・クリスチャンになった時、キミがどんなにガッカリしてたか、よく覚えてるよ」と複数の人間から言われた。
 1978年の初夏の頃に、ディランがキリスト教に改宗したらしいと報じられた時、私は朝礼でステージの上に立って、もう金輪際ディランの曲は歌わないと宣言したのだ。キッチン・キャビンにいたルームメイトたちにも、ディランのアルバムをかけることを禁止した。私は確かにガッカリした。会うのが40年振りの人でさえ、その日のことを覚えているくらいにだ。
 1979年8月に、ディランの「ゴスペル3部作」の1枚目《Slow Train Coming》が出た時、私はどうしたらいいのかわからなかった。その頃までは、私はディランのアルバムは全部持っていて、新譜が出る時には列の1番目の並んでいた。9月のある時、私は譲歩した。ディランが作ったアルバムがどんなものなのか聞きたいという好奇心、及び、聞かなきゃという義務感から、遂に買ったのだ。初めてレコード盤をターンテーブルの上に置いた時、私は恐ろしさのあまり身震いした。まるで、禁を破ったら、その途端に雷に打たれるかのごとく。ジャケット・イラスト----汽車がこっちに来る、男がふるうツルハシが十字架に似ている----にすら私はビビった。しかし、曲が進むとディランはこう歌った。「悪魔かもしれないし、主かもしれない。でも、人は誰かに仕えなきゃいけない」って。いいじゃないか!
 素晴らしいレコードだった。最も優れた音質のアルバムだったかもしれない。ジェリー・ウェクスラーとバリー・ベケットという真のプロフェッショナルなR&Bメンがプロデュースしたアルバムだ。曲はファンキーかつロックしている。ソウルフルなホーンセクション、セクシーなキーボード、レゲエのビート…曲によってはブルージーなバックシンガーも入っている。ディランの歌にも熱がこもっている。曲の殆どは、新たに発見した信仰、聖書(パート1も含む)、メシヤ信仰、愛など、さまざまなものを歌っている。ある女性への愛ともとれるし、神への愛とも取れるが…。ジャケットの十字架と、アルバムの最後に置かれた曲〈When He Returns〉を除いて、イエス・キリストにストレートに言及している箇所は殆どない。
 翌年夏にリリースされた《Saved》は違っていた。このアルバムにはれっきとしたゴスペル曲が満載で、誰のことを歌っているのかははっきりとしていたが、それでもラヴソングもいくつかあった。その中の1つ、〈Covenant Woman〉には好奇心をそそるフレーズがあった:「オレはいつもお前のそばにいるよ。契約書も持ってるし」 まるで、自分もキリストと契約を結んでる人間なんだが、違う契約なんだと、語り手が女性に言っているかのようだ。ユダヤ教徒がキリスト教徒に言いそうなことだ。
 《Slow Train》がリリースされた後、ディランはツアーに出た。マスコミに注目されやすい大マーケットは避け、普通なら飛ばしてしまうような州の小さな会場で、好意的な耳にしか届かないであろう新曲ばかりを演奏した。ツアーは最初の都市、サンフランシスコでの連続公演からして、波乱含みだった。ディランは次のツアーからは態度を軟化して、徐々に、過去のアルバムに収録されていた昔の名曲を混ぜていき、ツアー終盤にはゴスペル期以前のマテリアルのほうにバランスは傾いていた。
 こうした賛否両論を巻き起こしたコンサートの記録は、今の今まで、オフィシャル筋からは殆ど発表されなかったが、今月、コロムビア・レコードはこれまでのほったらかしの方針をあらため、《Trouble No More:The Bootleg Series Vol.13 / 1979-1981》をリリースする。パッケージは数種類あるが、コンプリート・バージョンではCD8枚+DVD1枚に100トラックの未発表ライヴ/スタジオ・レコーディング(そのうち、14曲は未発表曲)を収録している。コンサート・レコーディングは特に聞く価値がある。ディランが抱えていた最高のツアー・バンドをフィーチャーし、ディラン本人のヴォーカルも熱い。このボックスセットと、タイミングぴったりにリリースされるクリントン・ヘイリン著『Trouble in Mind: Bob Dylan's Gospel Years What Really Happened』によって、ゴスペル期が音楽及びその他の面で再評価される機会となるだろう。
 ヘイリンの本は、タイトルが示す通り、ディランがヴィンヤード・フェローシップの聖書教室に3カ月間通ったことから始まって、レコーディング・セッションやその後のツアーで紆余曲折があったことを物語ったもので、ディランをロックンロールによる伝道へと駆り立てた宗教体験の産物として「何が起こったか」を描くことを意図したものだ。ディランはコンサートではよく宣教師のように説教し、間もなく到来するであろうこの世の終末の時に救済から取り残されぬよう、観客や仲間のミュージシャンに考え(と行動)を改めるよう戒告することも多かった。
 ヘイリンによると、こうした説教の多くのダイレクトなネタ元は、人気のあるクリスチャン作家、ハル・リンゼイがあの頃に出版した本であるらしい。リンゼイが著書『The Late, Great Planet Earth』『Satan Is Alive and Well on Planet Earth』において展開しているのが、イスラエル建国と冷戦を、この世の終わりが近いという予言の成就のしるしと見なす、キリスト教の中でも極端な部類の終末論なのだ。ディランは自分の言葉を述べるというよりはむしろ、リンゼイの文句をそのまましゃべっている場合が多かった。
 非意識的にだと思うのだが、ヘイリンは、ボブ・ディランの宣教師化には他所からの影響もあるという証拠を挙げている。その1つが女性である。つまり、アフリカ系アメリカ人のバックシンガーたちだ(彼女のうちのひとりが、短期間ではあったが、ディランの2番目の妻となった)。さらに重要なことには、ヘイリンはイギリス人ジャーナリストの以下の発言を引用している:「私は、ボブの「改宗」が精神的探求の一環であると考えました。彼はユダヤ人というルーツを既にチェックアウトしていたのです。ただ、私が全然理解することが出来なかったのは、キリスト教がボブの精神的探求のもう1つの段階だったということではなく、コカインで脳味噌の腐ってる連中用の日曜学校みたいなものによってボブが「改宗」したという点です」 私がディランの親友の詩人、アレン・ギンズバーグをインタビューした時、彼が主に語ったのは、ディランが抱くにいたった新しい世界観についてではなく、ディランがいかに健康になったかということだった。つまり、ドラッグをやめて心身が健康になったというのだ。
 ディランが歌の中で、そして、ステージ上で、キリスト教というブランケットを身につけるのも素早かったが、それを脱ぎ捨てるのも素早かった。しかし、予言者的な傾向や神学的熟考はその後も残った。特に、1983年に出したアルバム《Infidels》ではその雰囲気が色濃い。〈I and I〉ではモーゼを彷彿させ、〈Neighborhood Bully〉ではイスラエルを想起する。1989年の《Oh Mercy》では、〈Everything Is Broken〉をはじめ、さまざな曲の中でカバラ的テーマを探求している。ゴスペル期後の35年間においても、ディランはコンサートで時々、ゴスペル期の曲を1つ、2つ取り上げるが、50余年のキャリアのさまざまな時点で作られた曲と違和感なく歌われている。遅くとも1962年には出来ていた〈A Hard Rain's a-Gonna Fall〉から、2006年の〈The Levee's Gonna Break〉に至るまで、ディランの歌はずっと、この世の終末を警告し続けてきたからだ。ディランは今日においても伝道活動を継続し、ネヴァー・エンディング・ツアーにおいて毎晩、古代的な意味での予言を行なっている。ヘイリンは1981年のギンズバーグの言葉を引用している:「ディランは文明において起こってること、自分が予言者になってることに対する恐怖のようなものに反応して、それをとても真剣に受け取っているんだよ」 
 読者諸兄姉も同意見だろうか?

Seth Rogovoy is a contributing editor at the Forward and is the author of 『Bob Dylan: Prophet, Mystic, Poet』(Scribner, 2009).

The original article "Was Bob Dylan At His Best When He Was Christian?" by Seth Rogovoy
http://forward.com/culture/music/386298/was-bob-dylan-at-his-best-when-he-was-christian/
Reprinted by permission

  






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2017年11月08日

Rolling Stone誌のサイトでポール死亡説

 基本的な説を並べているだけで、特に新しい情報はありません。動画は英語のリスニングの練習になります。



http://www.rollingstone.com/music/videos/paul-mccartney-musics-most-wtf-conspiracy-theories-explained-w511027?utm_source=rsnewsletter&utm_medium=email&utm_content=daily&utm_campaign=110617_16

 こっちの方が断然詳しいです。
 
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2017年11月02日

今話題のブッチャー・カバー・オークション

 ジョンとポールとリンゴのサインが入ったブッチャー・カバーのオークションが話題になってます。日本の音楽系ウェブサイトでも話題になり始めました。

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ビートルズ、ジョン・レノンが所有していたブッチャー・カヴァーのステレオ盤が競売に
https://nme-jp.com/news/45699/

 このレコードをデイヴ・モレルが少年時代にジョンからもらった話は『Horse Doggin'』に詳しく書いてあります。何と、海賊盤《Yellow Matter Custard》と交換したようなものだったのだとか。この直後と思しき時に、ジョンが《Yellow Matter Custard》に入ってるものをデッカ・オーディション・テープだと思い、ポールに驚きのメッセージを送っていることは、『The John Lennon Letters』で明らかになりました。「ポール、リンダ、その他の皆さん、これはデッカ・オーディションだ!! テープじゃなくて、海賊盤を見つけたんだ:こいつら、イカしたグループだったよな。なのに、これを不合格にするなんて! 愛を込めて、ジョン+ヨーコ」と書いてあります。今回のブッチャー・カバーはそういう因縁のあるレコードです。

  

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 話題の人物となっているデイヴについては、拙ブログではこんな形で紹介しています:

ファンを相手にデマを流したモーリス・ギブ
http://heartofmine.seesaa.net/article/451326012.html

 拙宅にあるブッチャー・カバー(無価値)の話もついでにどうぞ:
http://heartofmine.seesaa.net/article/225010430.html

  
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