2017年07月16日

2017年07月11日

コンサートの録音には猛反対だったグレイトフル・デッド

 グレイトフル・デッドのライヴ音源人気投票ナンバー1の座に君臨するようになって久しい1977年5月8日コーネル大学公演ですが、今年5月にやっと正式に発売されました。それまでの紆余曲折については拙ブログでもいくつか記事を掲載しています:

今年は「コーネル 1977-05-08」の40周年
長い間失われていたグレイトフル・デッドのサウンドボード・テープの運命

 コーネル公演とその前後の計4公演を収録したCD11枚組の「箱物行政」には、コーネル大学出版局が出した『Cornell '77』(ピーター・コナーズ著)という書籍も付属し、それには1970年代後半のグレイトフル・デッドの状況から、コーネル大学のロック・シーン、ファンによるコンサートの録音とテープ・トレード文化、当日の演奏曲、コーネル公演をバンドのスタッフとして録音した人物と、彼女が残した高音質テープの行方、「コーネル公演テープはCIAによるヒッピーの洗脳実験で、実は公演自体がなかった」説まで、さまざまなことが書かれています。
 当然、私が興味を持ったのはコンサートの録音とテープ・トレードに関する部分です。約30年前に、そっち方面からこのバンドに興味を持ちましたから。デッドに関する入門書等では「フリーの精神に溢れたグレイトフル・デッドは、コンサートの録音と、ライヴ・テープの流通を気前良く許可・奨励。テープが無料の宣伝となって人気が拡大」といったストーリーをよく見かけますが、100%嘘ではないものの、実際にはもっと複雑な課程を経て、1984年10月27日のバークリー・コミュニティー・シアター公演から正式に録音者用セクションが設けられました。『Cornell '77』では1970年代前半からコンサートを録音してきた超ベテラン・テーパー(1974年のボブ・ディラン&ザ・バンドのナッソー・コロシアム公演のテープでも有名な人)の談話が紹介されています(p.45〜46):
グレイトフル・デッドがコンサートの録音を奨励していたなんて神話があるが、嘘っぱちもいいところだよ。奨励なんて全くしてなかったね。少なくとも、初期の頃は全然だ。録音をやめさせようと最大限の努力をしたけど、結局、やめさせられなかったっていうのが実のところさ。基本的に、バンド側が戦争に負けて、どこかに妥協点を見いだしたんだ。そして、そのうちに方針が変わって、「オレたちは昔から録音を奨励してたよ。もちろん、今も大賛成さ!」ってなった。ファンがコンサートを録音するのはバンドにとって重要なことだったってわかったのさ。だったら、もっと早くから賛成してくれたらよかったのに。録音がバンドを成長させたんだよ。オレが言いたいのは、デッドをビッグな存在にしたのは確かに音楽なんだが、シーン全体を超巨大に膨らましたのはテーパーたちだってことさ。

 1980年代になると、ウォークマン等の普及で会場にマイクと録音機を持ち込む輩が増加し、録音者と非録音者の間で互いに邪魔だのうるさいだのといったトラブルが頻発し、乱立するマイクスタンドのせいでミキサーからステージが見えないこともしばしば。その解決策として正式に、録音者セクションをミキサーの後ろに設けて録音者を隔離しました。そこからはだいたい入門書の通りです。でも、セクションより良い音が届く前の方の位置で録音しようとする輩が、その後もあとを絶ちませんでした。
 グレイトフル・デッドが録音を奨励していなかった面白い証拠を2つ挙げて起きましょう。まず、1970年5月16日テンプル大学公演。〈New Speedway Boogie〉の最後の40秒間にはバンドのスタッフらしき人物が録音を止めるように命じている様子が収録されています。イギリス訛の英語を話していることから(「tape」を「タイプ」と発音しています)、この人物は元ローリング・ストーンズのスタッフで、オルタモント事件後はアメリカにとどまってデッドのツアー・マネージャーになったサム・カトラーの可能性が高いです。ローリング・ストーンズの《Get Yer Ya-Ya's Out》の冒頭でバンドを「greatest rock'n'roll band」と紹介しているのがサムです。同じ声じゃないですかね。


 もう1つが、1980年10月31日のニューヨーク、ラジオ・シティー・ミュージック・ホール公演のビデオ《Dead Ahead》に収録されている寸劇です。まだ、録音者用セクションがない頃のことです。



 アル・フランケン扮するヘンリー・キッシンジャー元米国務長官(キッシンジャー本人は2017年の今でも存命です!)が、グレイトフル・デッドのコンサートを隠し録音しようとして見つかり、ビル・クロイツマンに叱られています。アル・フランケンは伝説的テレビ番組『サタデー・ナイト・ライヴ』で有名になったコメディアン/コメディー作家なんですが、何と今は上院議員をやってます。大出世! この↓ミック・ジャガーの真似も大爆笑です!(デッドとは関係ないですが)



 あともう1つ、この本で注目すべきは、筆者が一番好きなコーネル音源は、サウンドボード録音とオーディエンス録音をミックスさせたものだと告白している点です(ただし、今回の箱物行政を聞く前の時点なので、今は意見が変わってる可能性もあります)。サウンドボード・テープは客の歓声が殆ど入ってなくて臨場感に欠けるというのは、デッドがバリバリの現役時代から存在していた批判であり、デッドの音響スタッフは、ミキシング・ボードからの信号を、そこに立てたマイクで拾った会場のノイズとミックスさせて、ウルトラ・マトリクス・ミックス・テープを作っていました。といっても、こういう音源が存在するのは87〜91年頃で、その他の期間はありません。しかし、コンピューター時代になり安価で高性能のDTMシステムが普及した今、手間暇さえ厭わなければ、シロウトでもボード音源とオーディエンス音源をデスクトップでうまい具合に同期させて絶妙なミックスを作ることが出来ます。グレイトフル・デッドのファンは暇なのか、こうしたミックス(デスクトップ・マトリクス・ミックス)を作って、音源交換サイトにアップロードしてくれる親切な人がいます。コーネル音源もとっくにそうした処理の対象になっています。youtubeにあるこれがそうです。皆さんも聞いてみてください。



 コーネル音源は、グレイトフル・デッドのテープを数多く聞けば聞くほど、これがベストではないだろうと感じるショウなのですが、人気投票となるとなぜか必ず1位になるという不思議な現象が起きます。私にもコーネルより好きなショウがたくさんあります。同じ1977年から選ぶとしたら11月6日ニューヨーク州ビンガムトン公演です。私はこのコンサートに関しても、手間暇を厭わないクレイジーなデッドヘッドが作ったデスクトップ・マトリクス・ミックスのほうが純サウンドボード音源より好きです。是非ご賞味あれ。


P.S. コーネル大について調べていて気づいたのですが、菅直人元総理の著書の英訳本『My Nuclear Nightmare: Leading Japan Through the Fukushima Disaster to a Nuclear-free Future』がコーネル大学出版局から出て、今年3月には同大学で講演会をやったそうです。
https://sagehouse.blog/tag/naoto-kan/

   
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2017年06月28日

ファンを相手にデマを流したモーリス・ギブ

 デイヴ・モレルは1970年代からニューヨークのレコード会社で宣伝マンとして活躍した人物です。当時の体験を綴った回想録『The Morrell Archives』全6巻のうち、現在は3巻目までが自費出版の本として世に出ていますが、ロック・ファンなら誰もが死ぬほど羨ましく思う体験の話が満載。詳しいことは本を読んでください。
 今日紹介するインタビューは3巻目『45 RPM (Recollections Per Minute)』が出版されたタイミングでジェイ・ギルバートの業界人インタビュー・ブログに掲載されたものなのですが、私が注目したいのは〈Have You Heard The Word〉というシングルの件。1970年代には「ジョン・レノンがビージーズとレコーディングしたものという噂がある」という謎のレコードでしたが(真相はこちらのサイトで)、ヴォーカルがジョンの声によく似ているということ以外に、ビートルズのレコーディングかもという奇妙な噂が立った原因があったのです。

haveyouheard.jpg


デイヴ・モレルとコーヒー・トーク
聞き手:ジェイ・ギルバート


 デイヴ・モレルは少年時代から数々のロック・バンドのファンであり、1964年初頭にアメリカを席巻したビートルズ熱に感染して以来、この病気は治らないまま。ビートルズを研究し、ビートルズのメンバーにも会った。墓地で草刈りのアルバイトに就いた後、レコード会社の倉庫で働き、その時、誰かからレコードを持ってラジオ局に来いと頼まれた。これは学校の勉強や宿題よりもいいじゃないか。デイヴはシングル・レコードを数枚持って、この世界に飛び込んだ。デイヴは自分の体験について本を3冊書いている。

音楽業界で働く人には皆、お気に入りの「先輩業界人」がいるものですが、あなたにとってのそういう人物を何人か教えてください。

 1985年2月22日にブルーノートのブルース・ランドヴォールからディナーに誘われたんだ。ブルースは大の音楽ファンで、面白い話も持ってる人物だった。音楽好きであるだけでなく、業界に入り込み、アーティストや自分が好きな音楽にとってリーダーとなった(あの偉大なジョン・ハモンドのように)。この晩、自分のお気に入りのミュージシャンに歴史的なリユニオン・コンサートを行なってもらうのが、彼の夢だった。業界のリーダー的存在の人はまわりにたくさんいたけど、共感出来る人と接するとさわやかな気分になる。ブルースの隣でこのショウを見ることが出来て、とても幸せだった。この伝説的人物の心のあたたかさと魅力は忘れたことはない。
 次はジョン・レノン。想像してくれ。ジョンが出演してるラジオ局にファン・レターを書いたら、局の人がそれをジョンに渡してくれたんだ。そしたら、ジョンがオレに会いたいって言い出した。夢が叶ったよ。自分のコレクションの中から、ジョンが見たことないだろうと思ったものをスーツケースに詰めて、持って行ったんだ。これは宝箱みたいなもので、ジョンは手に取ったもの全部を気に入ってくれた。オレはジョンにファンとして会い、スタジオと彼の自宅で一時を過ごした。好きなアーティストに手紙を書いたってこと自体、今でも信じられないなあ。業界でやってこれたのは、もとを正せば、この人のおかげだし。

スコット・ムニとリック・スクラーは? この2人のラジオ界の重鎮と確かな人間関係を持っていたでしょう。ニューヨーク・シティーで宣伝マンとして成功していたんですから。

 もちろん。スコットの番組は聞いてたけど、彼が局を運営しているボスだとは知らなかったし、リックが何者なのかも全然知らなかったんだ。リックは厳格で厳しく、まさに勝ち組といった人物だった。会った時も、オレは長髪にビートルズ・ブーツって格好だったけど、リックはスーツにネクタイだった。子供の頃、WABCを聞いていて、ビートルズに関連した宣伝をたくさん覚えていますと言うと、リックはオレを追い払うどころか、面白い話をたくさん聞かせてくれた。どういうふうにして数々の宣伝アイデアを思いついたとかさ。リックともスコットとも仲違いしたことはない。ふたりとは亡くなるまでいい友人だったよ。

自分のDNAの一部となってるような曲、悲しい時とか、これを聞くと気が紛れるという曲、絶対に感動する曲、元気になれる曲のリストを作るとしたら、どんな曲を入れますか?

 「男全員に女の子がふたりずつ…」ジャン&ディーンの〈Surf City〉だ。頭の中が女の子のことでいっぱいの年齢だった。当時のオレには、グリニッジ・ヴィレッジよりサーフ・シティのほうが魅力的だったんだよな。1963年だとオレは10歳だった。スワンから出たビートルズの〈She Loves You〉のシングルは、音がレコード盤から飛び出して来る。かなりやかましかったから、オヤジやオフクロから「音を小さくしなさい」って苦情が必ず飛んできた。
 リンダ・ハーグローヴの〈I've Never Loved Anyone More〉もいいね。一緒に仕事をしたことがあるよ。リンダは孤独で、ニューヨーク・シティーのことを怖がっていた。ショウの後、オレは彼女の滞在している部屋に行ったら、この曲を歌ってくれたんだ。オレは涙が出て来たよ。ジェニファー・ハドソンがこの曲を発見して、ホイットニーがドリーにやったのと同じことをやったなら、1970年代最大のヒット曲になっただろうなあ。発見されるのを待っていた曲だね。
 ウィルソン・ピケットの〈Love Of My Life〉は誰も聞いたことがないR&Bの隠れた超名曲だなあ。



 ザ・フットの〈Have You Heard The Word〉もいい曲だ。ビージーズのショウの後、外でファンとしてモーリス・ギブにビートル・アンプ(1966年のビートルズのツアーで使用されていた)について訊いたんだ。そしたら、顔を近づけて、オレの耳もとで尋常でないことを囁いた。「シーッ。誰にも言っちゃダメだよ。実はね、ジョン・レノンと一緒にレコードを作ったんだ。タイトルは〈Have You Heard The Word〉で、名義はザ・フットにした」って。オレはモーリスを見ながら、頭がクラクラしたよ。このレコードを見つけるのに2年かかった。聞いてみて、もうびっくり。ジョンとモーリスが歌ってるんだからさ! ということで、ジョン・レノンにも話したんだよ。「オレは秘密を知ってるよ」って。そしたら、ジョンは大笑いしながら、モーリスとレコーディングしたことなんてないよと答えた。オレはまんまと騙されてたんだ! でも、曲自体はいいと思うよ。(デイヴがジョンに会ったのは1972〜3年のこと)

あなたのデスクのところに来て、あなたも皆に聞いてもらいたいと願ったのに、ヒットには至らなかったアーティストはいますか?

 フレッシュ・フォー・ルルの〈Postcards From Paradise〉はオレがA&R部に配属されなかった理由のナンバー1さ。もしその仕事をしてたら、この駄曲に全てを賭けてただろうな。

誰があなたの師でしたか?

 ワージー・パターソンだ。今は87歳だ。ワージーはコネチカット大学時代はバスケのスター選手で、その後、プロの世界で活躍した最初の黒人選手のひとりだ(1950年代半ばにセントルイス・ホークスで活躍)。ワージーはRCAに入社して、最初に宣伝を担当したレコードがホセ・フェリシアーノの〈Light My Fire〉だった。ワージーに会ったのは、1972年にWEAの倉庫で働いてる時だった。オレをかわいがってくれて、1974年初頭にはオレをWBの宣伝マンに抜擢してくれたんだ。1日宣伝活動をして帰ってきて、誰かのためにコンサートのチケットか何かが必要だった時、ワージーは他の連中とは違って、オレがそいつの約束を果たせるように、チケットを回してくれた。他の担当者は「これはオレがもらったもんだ」って吠えるだけで、譲ってくれなかった。オレが局を訪問して手応えをメモ書きしても、番組ディレクターや音楽ディレクターが曲についてどう「思ってるか」にはワージーは全く関心はなく、彼らが「いつ曲をプレイリストに加えてくれるのか」を知りたがった。おかげで新しい考え方、解決のし方、前進のし方を勉強したよ。ワージーがキレるのも見たことない。自分の考えを通すには別のやり方があるってことに気づくのに役に立ったよ。

この仕事の最もおいしいところって何ですか?

 天気のいい日には社外に出てラジオ局めぐりをして、寒くて雪が降ってる日には社内にいれることかな。遠くの都市に行って、現地の宣伝マンに会うと、観光客目線ではなく、彼らの視点でアメリカを見れて楽しかった。こういう話をする時に思い出すのがニューオリンズだ。

The original article "Coffee Talk with Dave Morrell" By Jay Gilbert
http://jaygilbert.tumblr.com/post/161334286566/coffee-talk-with-dave-morrell
Reprinted by permission


    
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2017年06月25日

1969年10月20日(月)深夜にWABCが報じたポール・マッカートニー死亡説

 『ポール・マッカートニー死亡説大全』第10章「10月20日(月)深夜:ニューヨーク」で取り上げられている深夜放送がyoutubeで聞けます。
 それまではポール死亡の噂はローカル局やアングラ新聞等でしか報じられておらず、メジャーなマスコミでは「しっかりとした裏付けのない、くだらない噂は取り上げない」という方針だったそうです。が、ニューヨークのWABCというメジャー局の人気DJ、ロビー・ヤングがこの禁を破って自分の番組内で話してしまいました。AM放送ゆえ夜は電波がほぼ全米に届くので、翌朝には大騒ぎに! 是非『ポール・マッカートニー死亡説大全』第10章を読みながら聞いてください。



   


ポール死亡説関連記事:

ジミ、マイルスの電報とポール死亡説
http://heartofmine.seesaa.net/article/360945510.html

ポール・マッカートニー死亡説関連曲〈Saint Paul〉
http://heartofmine.seesaa.net/article/447441598.html

『ポール・マッカートニー:最初で最後の完全物語』音声がネットに登場
http://heartofmine.seesaa.net/article/423091022.html
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2017年06月18日

『Bob Dylan: A Spiritual Life』の著者、スコット・マーシャル・インタビュー

 今年後半にリリース予定らしい次の《The Bootleg Series》は1979〜81年の「ゴスペル期」に焦点を当てたものとなるそうですが、当ブログもタイトルが「Heart Of Mine」だけに、この話題を先取りしようと思います。『Bob Dylan: A Spiritual Life』の著者、スコット・マーシャルはボブのこの時期を専門的に追いかけている人物で、2004年には『Restless Pilgrim』という本を出しています。



『Bob Dylan: A Spiritual Life』の著者、スコット・マーシャル・インタビュー
聞き手:グレッグ・コロンボス


 ボブ・ディランの音楽は50年以上のキャリアに渡って、数百万もの人の琴線に触れ続けているが、このロック・アイコンの芸術の探求において殆ど知られてない面----イエス・キリストに対する深い信仰----を論じた新著が登場した。
 『Bob Dylan: A Spiritual Life』の著者、スコット・マーシャルは、ボブ・ディランの人生における「スピリチュアル」という殆ど論じられていない面に光を当てようと、長年に渡って研究し、数多くの人にインタビューを行なってきた。ボブ・ディランは1970年代後半にイエスと出会い、以来、今日までずっと熱心なキリスト教徒であるという説を、マーシャルは唱えている。
 マーシャルはWNDのグレッグ・コロンボスのインタビューに応じ、新著について語ってくれた:

今回のゲストは『Bob Dylan: A Spiritual Life』の著者、スコット・マーシャルさんです。この本はアメリカで最も偉大なロックの伝説的アーティストの宗教的信仰について最も包括的に述べたものとして、既に絶賛されています。スコットさん、こちらにいらしていただき、ありがとうございます。

 こちらこそ光栄です。お招きいただきありがとうございます。

このプロジェクトに取り組もうと思った理由は何ですか? どうして他の人ではなく、ボブ・ディランの信仰について興味を持っているのでしょう?

 私も他の数百万の人と同じく、ディランの声、歌詞、言葉の発し方の中にある極めてユニークな何かを聞いて、ディランの音楽が好きになりました。最初の頃は「ゴスペル3部作」と呼ばれているアルバムにはあまり興味がなかったのですが、私自身がイエス体験をする中で、ディランが発表した「ゴスペル・アルバム」に好奇心がわいてきたのです。本や雑誌、新聞記事等、手に入るものなら何でも読み始めました。それから、インターネットを通じて、ディランと関係のあったさまざまな人々にインタビューを行ない、ディランの芸術のこの重要な部分にますます興味をもつようになりました。

   

『A Spiritual Life』がタイトルですが、最近では「スピリチュアル」という言葉は、敬虔な信仰から、高次元の力を漠然と信じることや、単なるポジティブ思考に至るまで、あらゆることを意味します。ボブ・ディランにとって「スピリチュアル・ライフ」とは何を意味しているのでしょうか?

 それに完璧に答えることは私には出来ませんが、ディランは数十年間に渡って、宗教やスピリチュアルにおいて何が重要なのかをはっきりとしゃべっています。私が本や記事をたくさん読み、考え、調査し、いろんな人と議論したことに基づいて想像するに、それは、彼のユダヤ人としてのルーツは否定することは出来ないし、イエス・キリスト体験と同じくらい重要なものだということです。ディランのイエス体験は1979年頃のことですが、’79年よりずっと前から『新約聖書』に興味はあり、時々クリスチャンの人たち会うと、信仰やイエスについて質問していました。なので、ディランの場合、スピリチュアルというのはユダヤ=キリスト教的な枠組みのものでしょう。

ディランはイエスの何を信じているのでしょう?

 ディランか書いたこと、語ったことに基づく私の意見ですが、たった数年間ではなく、何十年も前からイエスを神、救世主{メシア}として語っています。一方、1980年のアルバム《Saved》には『旧約聖書』からの引用があります。エレミヤ書からだったと思います。ゴスペル・ツアー中も、ある曲の時に、過ぎ越しの祭について長い話をしています。シナゴーグに通った時もあれば、’79〜’80年に、マスコミに嗅ぎつけられるまでの少しの間でしたが、ヴィンヤード・チャーチと関わっていた時もありましたが、教会であれシナゴーグであれ、そこの居心地が良かったんだと思います。ディランが書いたこと、語ったことから判断すると、彼は『新約』『旧約』、両方の『聖書』から直接的な影響を受けているといえます。

その点についてもう少し詳しく話しましょうか。ディランは実際に、『新約聖書』の基本原理を信じていたのでしょうか? つまり、イエス・キリストの死こそ人間の原罪に対する対価(あがない)である、イエスをキリストと信じる者は救われるということです。

 '79〜'80年にはそう言ってました。キリスト信仰を放棄した、もしくは、ユダヤ教に戻ったと考えている人は、この話をそんなに念入りに追ってはいません。でも、それ以後も時々、ディランから信仰を肯定する発言が発せられているんです。2009年にはクリスマス・アルバム《Christmas In The Heart》を出しました。インタビュアーが〈O Little Town of Bethlehem〉を聞いて質問しました。ところで、このアルバムはいろんな歌がミックスされている状態です。サンタクロース関連の曲もあれば、純粋に宗教的な歌もありました。とにかくインタビュアーが〈O Little Town of Bethlehem〉について質問するんです。「私はあなたを困らせるつもりはないんですが、あなたの信仰は本物のようですね」って。すると、ディランは「そうですよ」と答えたんです。もっと最近の発言もあります。2014年には、常にスピリチュアルな歌に引きつけられると語り、〈Amazing Grace〉を引用しています。詳しく言うと「That saved a wretch like me(私のような酷い人間をお救いになった)」って歌詞をです。極めてはっきりしています。そう見て欲しいってことがわかります。つまり、自分は神の子(イエス・キリストを信じる者)であり、さまざまな努力奮闘や勝利を伴いながら、自分のやり方でそうあり続けているのだということがです。はっきりと見えますよ。よく見れば、モザイク状になって現れてきます。

   

このトピックに関して、ディランにはどんなレッテルも貼ることが出来ないというのがあなたの主張ですが、それはどうしてなんでしょう? ディラン本人は自分に何らかのレッテルを貼らないんですか?

 笑ってしまいます。ディランは若い頃からレッテルを貼られることに強く抵抗してきました。今、彼は76歳になりましたが、1980年代半ばのインタビューでも語っています。ユダヤ教徒もキリスト教徒も自分たちにレッテルを貼って、互いに違うものだと主張する傾向があるが、人間が自分をどう呼ぶかなんて、神にとってはどうでもいいんだ、って。ディランは自分が神の子であり、神によって作られた存在だということを否定しないでしょう。イエス・キリスト体験もです。ご興味のある諸兄姉のために、この件について私は著書の中で詳しく述べています。

ディランはこの件を、少なくとも我々が慣れてる状態と比べて、ミステリアスのままにしていますが、それはどうしてだと思いますか?

 元牧師で、ディランの友人で、アルバムの1つでもプレイしているラリー・マイヤーズが語っていました。ゴスペル・ツアーの時でさえ、少しホコリを立てるのが好きだったって。ある時には、時間と空間の神を信じていると発言し、誰かがそれについて質問すると、〈I Saw the Light〉といった曲を挙げる。これはハンク・ウィリアムズの曲で、歌詞の背後にはイエス・キリストがいます。'90年代の半ばか後半の発言です。キリストを信じていることをはっきりと表明している発言だらけなんです。ほのめかしているのがわかる人にとっては、もっとたくさんあります。超有名人になっちゃったので、正直、それにウンザリしているのでしょう。宗教に関して「どうして誰もビリー・ジョエルにはそういう質問をしないんだよ」とも言っています。人生のいろんな時期に、気分次第なんですが、ディランは意見を表明しています。質問されて、しかも、それについて話したいと思った時ですが。

ディランは結局、この本のためにインタビューに応じてくれなかったんですよね。本に対する意見等、何か反応はありましたか? どうして正式にインタビューを受けてくれないのでしょう?

 ディランがインタビューを受けてくれなかったと、言うことは出来ません。申し込んでないんですから。申し込んだところで、パプリシストを通して丁重に断られるだけだと思いますけどね。最近はたいてい受けません。大昔は、親しい伝記作家にはインタビューをOKしました。でも、ここ20年くらいは、アルバム・リリースと連動してインタビューを受けるだけです。2004年に自伝が出た時もインタビューを受けました。

今回の本の中では、ボブ・ディランがキリストを受け入れたことを世間に明かした時の、多くのユダヤ人の反応についても書いています。私も数人のユダヤ系の人と話したことがあるのですが、皆、概して、キリスト教には一目を置いています。しかし、元々ユダヤ教徒だった人間がイエスを救世主{メシア}として信じて、いわゆるメシアニック・ジューになったりすると、ユダヤ系コミュニティー内部の反応は、たいてい非常に激しいものになります。ディランはどんな体験をしたのでしょう?

 ディランしか語ることの出来ないことだと思いますが、あの頃、ディランが十字架を持っていた、つまり、熱心に信仰していたという証拠が公{おおやけ}の記録の中にたくさんあります。《Slow Train Coming》と《Saved》を共同プロデュースした故ジェリー・ウェクスラーがユダヤ系無神論者を自認してたというのは皮肉な話ですし、当時のパプリシストは----彼もユダヤ人です----ディランがイエスを信じていると言い出した結果生じた事態に困っていました。例えば、1979年11月にサンフランシスコ公演からゴスペル・ツアーを開始した時、ジューズ・フォー・ジーザス(メシアニック・ジューの団体)が外で布教活動をしていました。ミッチ・グレイザー(ジューズ・フォー・ジーザスのメンバーで、ゴスペル期のディランと親しかった)にインタビューしてわかったことなのですが、誰かがディランの代わりに彼らと接触したんです。教会からの支援を得られなくて落ち込んでたからです。支援を表明してくれたのは、ベイエリアの一部の教会のみでした。なので、どこかの時点で、ジューズ・フォー・ジーザスがウォーフィールド公演に関与しました。しかし、私の理解では----ミッチ・グレイザーもディランも理解してることは同じだったでしょうが----イエスが神で救世主{メシア}だと信じるユダヤ人の数はわずかで、5%くらいじゃないですか。これが正確な数字かどうかはわかりませんが。とにかく、ユダヤ人で、イエスは神で救世主{メシア}だと信じているのがどういうことなのか、そういう経験を持ってる人以外にはわからないんです。家族や友人にとっては、多くの場合、あなたに死なれたようなものです。ディランの家族がどういう態度だったのかはわかりませんが、ディランにとっては大変な時期だったことでしょう。でも、裏で何が起こってたかは、私にはわかりません。

ボブ・ディランの音楽に興味を抱いた経緯と、あなたの信仰が変化するに従って、それがどう変化したのかは、先ほど伺いました。ディランの信仰がファン全体にどんな影響を与えたと思いますか? 音楽業界や娯楽産業が信仰を公言している人に対して取る反応を考えると、ディランの評判はそんなに傷ついてないように思えます。

 今となってはそうでしょうが、《Slow Train Coming》や《Saved》の時期は----《Slow Train Coming》はよく売れましたが----アルバム評やコンサート評の点では、否定的な意見が少なからずありました。2枚目のアルバム《Saved》に関しては、コロムビアが全然喜んでいなかったという証拠があります。特にオリジナル・ジャケットのアートワークに関しては、難色を示していました。それを担当したアーティストもはっきりと証言しています。レーベルの一部の人たちはボブ・ディランに対して酷い態度だった、敬意などなかったと。キリスト教に改宗したことで、ディランはファン・ベースの重要な部分を失ったとも言われています。一部は数年後には戻ってきましたが、戻ってこない人もいました。でも、わかっているのは、'79年の《Slow Train Coming》から '97年にもヒット・レコード《Time Out Of Mind》まで、18年も経過しているということです。長い時間が経ってます。芸術面で常にやりたいことをやってきたせいで、ファンを失い、葛藤する時期もありました。ディランが概して、自分の私生活を大々的に公表しないのも当然です。でも、'79〜'80年の時期は例外でした。曲を通して、ステージ上で、インタビューで、自分に何が起こっているのかをたくさん表明しました。

読者にこの本から最も受け取って欲しいことは何ですか?

 ボブ・ディランを見る重要なやり方が、信仰というレンズを通して見るということです。数十年間に渡って歌詞やインタビューに信仰が反映されているのです。アーティストであるディランを理解しようとするのに、聖書の影響に気づかないとなると、理解は貧弱なものとなるでしょう。『Bob Dylan: A Spiritual Life』は、世界中の数百万の人に何十年にも渡って作品が高く評価されている人物を見るための、別の、重要なアングルを提供しています。

50年以上に渡って、しかも、現在進行形で、ですね。スコット、今日はどうもありがとうございました。これまでの研究が本になり、しかも評判が上々なのは喜ばしいことです。今日はお越しいただきありがとうございました。

 こちらこそ。私も感謝しています。

『Bob Dylan: A Spiritual Life』の著者、スコット・マーシャルさんでした。レイディオ・アメリカのグレッグ・コロムボスがWND.comのためにお届けしました。


Bob Dylan's belief in Jesus 'explicit,' says new book's author” by Joe Wilson/Greg Corombos
http://www.wnd.com/2017/06/bob-dylans-belief-in-jesus-explicit-says-new-books-author/
Reprinted by permission


   
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