2017年04月11日

『ジューダス! ロック史上最も有名な野次』発売

 ロックンロール叢書の電子書籍第1弾『ポール・マッカートニー死亡説大全』を出版して以来、5年も経過してしまいましたが、第2弾の本『ジューダス! ロック史上最も有名な野次』をやっと出すことが出来ました。今回は1966年5月17日にイギリス、マンチェスターで行なわれたボブ・ディランのコンサートに関する本です。生粋のマンチェスターっ子で、実際にこのショウを見たCP・リーが、自らの思い出だけでなく、関係者やコンサートを見た他の人々の証言も集めて紹介しながら、ボブが「ジューダス!」と野次られたことについて社会文化史的考察を行なっています。
 価格は2017年4月における英語版の販売価格と同じ、775円となっております(Kindle Unlimitedで読み放題です)。



CPのウェブページです:
http://cplee.co.uk/

 マンチェスターで生まれ育ち、実際にコンサートを見て、1971年にはブートレッグを手に入れていたCP・リーとは雲泥の差がありますが、私もボブ・ディラン・ファンの端くれとして、違う経緯をたどってフリー・トレード・ホール公演の音源に接してきました。私が知っていて、CPが書き漏らしていることも少しあるので、まずはそれから(私の信仰告白も含めて)つきあってください。
 私がボブ・ディランのファンになったのは、ビートルズのレコードを買い始めた少し後くらいなので、中学2年生の頃です。初来日公演の半年「後」くらいだったので、近所のレコード屋には帯に「来日記念盤」と記されたアルバムが並んでいました。香月利一・著『ビートルズ辞典』を読んで、海賊盤という怪しいものが存在することを知ったのも同じ頃です。ビートルズの日本公演のレコードが存在すると知ったが最後、どうしても欲しくなったので(好奇心>尊法精神)、この本を持って近所の楽器店兼レコード屋に行ったところ、お店のオジサンから「うちはちゃんとしたレコード店なので、こういうものは扱ってません」と叱られてしまいました。しかし、音楽雑誌の後ろの方のページに海賊盤を扱っていると思しき怪しいレコード屋の広告があることに気づき、実際にそこに行くまでそんなに時間はかかりませんでした。当時は、郊外で暮らす貧乏人のガキにとって、都内に行くのは年に数回の特別なイベントで、学校が休みのシーズンに九段会館で行なわれていたビートルズの映画コンサートに行って、その帰りに西新宿7丁目に寄るというのが、残りの中学時代と高校時代の買い物ルートになりました。
 1970〜80年代にはボブ・ディランに関する本や雑誌は日本には殆どありませんでした。あっても、評伝か、歌詞を文学的に解釈する本だけで(こういうふうに受容してきたので、ノーベル文学賞にも違和感は覚えませんでした)、親切なレコード・ガイドなど1冊もありません。しかし、そのうち、1966年のイギリス公演ではロック・バンドと一緒に演奏して客から野次られたことや、その様子が収録されている海賊盤があるということを、どこかで読んで知りました。1970年代後半はロックが歴史というパラダイムで認識され始めた頃で、アメリカの評論家が選んだロックの名盤トップ200をまとめた本『これが最高!(Critic's Choice Top 200 Albums)』が出たのですが(現在よくある歴史的名盤特集の第1号だと思います)、それにこのコンサートが収録されている海賊盤《In 1966 There Was》が載ってるじゃありませんか。海賊盤なのに《Sgt. Pepper's》や《Blonde On Blonde》《Exile On Main St.》《Born To Run》等と同じリストに含まれているのです。海賊盤でエントリーしているのは、これ1枚でした。私の好奇心は大いに刺激されてしまい、次に新宿に行く時にはこれを買おうと心に決めたことは言うまでもありません(こうしてすぐに本道からそれてしまうのは、私の人生における悪い癖です)。
 そうして、地元の中学を卒業する直前に(ポール・マッカートニーが大麻不法所持で逮捕されて国外退去処分になった直後)、西新宿7丁目にあったKINNIEという伝説的ブートレッグ・ショップ(現在、この場所には演歌と落語の専門店が入っています)で3980円で買ったのが、PHOENIXというメーカーが製造した《Tough Songs》というアルバムです。名盤本に掲載されていたタイトルのものはなく、裏ジャケットに記されている曲目を見て、これかなあ?と思って購入し、帰宅して聞いてみたら大当たりでした。「ジューダス!」「お前なんか信じない。嘘つきめ」という野次と返答(この野次と返答、次に聞こえるオフマイクの発言「バカでかい音でプレイしろ」の解釈にも長い歴史があります)も生々しく収録されていましたから。このレコードはボブ・ファンの必修教材で、この頃は誰もが(もちろんCPは例外です)ロンドンのロイヤル・アルバート・ホール公演だと信じていました。

  

 この定説が覆される大きなきっかけは、未発表トラック入り高額ボックスセットの先駆的リリース《Biograph》(1985年)のブックレットに、「実際にはマンチェスター公演だが、観客とディランとの驚くべきやりとりは数日後のアルバート・ホール公演のもの」と書いてあったことです。どういう経緯でこのような中途半端な情報がオフィシャル筋から出たのかは今でもなお謎ですが、その後間もなくして、「やりとり」と切れ目なく繋がっている〈Ballad Of A Thin Man〉と〈Like A Rolling Stone〉の2曲もマンチェスターではないか(だって他の曲と同じ音質だもん)という説が有力になりました。しかし、この段階でも「説」の域を出ず、真相は依然として不明。1989年に伝説的ブートレッガーThe Swingin' Pigが発売した同音源のアルバム《Royal Albert Hall 1966》では、依然として、エレクトリック・セットの全曲がアルバート・ホール公演というクレジットのままでした。一方、マンチェスター公演のアコースティック・セットも1980年代半ばに流出し、1986年に初めてブートレッグがリリースされましたが、こちらはマンチェスター以外の説は出てこなかったと思います。

   

 ということで、音源全体がマンチェスター公演であると「確定」したのは、1998年にブートレッグ・シリーズの第4集として《Live 1966 "Royal Albert Hall"》がリリースされた際なのですが、この公演のリリースは一度1994年くらいに予定され、キャンセルになるという経緯がありました。そんなゴタゴタの直後の1995年にリリースされたブートレッグCD《Guitars Kissing & The Contemporary Fix》(クレジットはマンチェスター)は、イギリスで一部マスコミに対して配布された試聴用サンプルカセットを音源としたようだという噂を私は聞きました。サンプルカセットはコピーされ、この海賊盤が出る前年にはボブ・ファンの間で広く出回っていました。
 さて、やっと本書『ジューダス! ロック史上最も有名な野次』の話に入りますが、CP・リーがオリジナル版『Like The Night』を出版したのが1998年。正規盤《Live 1966 "Royal Albert Hall"》のリリースとほぼ同時です。歴史的コンサートがやっと正規に発売されたということで大きな話題になり、その直後のタイミングで「オレがその野次の主だ」という人物が現れました。出版を数ヶ月待てばよかったのに!と当時感じたことを覚えています。この件を盛り込んだ増補改訂版『Like The Night 2』が出たのは2004年のことですが、昨年11月にCPが自費出版した電子書籍バージョンは基本的にはこれを電子データ化したものです。
 マンチェスター公演に関しては、さらに運命のひとひねりがありました。2005年に公開されたマーティン・スコセッシ監督の映画『ノー・ディレクション・ホーム』に、ボブがマンチェスター公演で〈Like A Rolling Stone〉を演奏する映像が収録されたのです。「ジューダス!」と叫ぶ人物の顔までは映っていませんが、その叫びが発せられた直後のボブの様子はしっかり映っています。これまでにさまざまな本や雑誌で書かれ続けてきた(私も前世紀に書いた記憶があります)「ボブは野次に腹を立てて反撃。バンドに音量アップを指示」という伝説は否定されました。怒っていません。ニコニコ。余裕綽々です。「ジューダス!」の後の、ボブの「お前なんか信じない」「お前は嘘つき」はバンドの誰かとジョークを飛ばし合っているような感じです。野次への反撃ではなさそうです。しかも、その後の「どデカい音でやろうぜ(Play fuckin' loud)」では、ボブの口の動きと音が微妙に合っていません。「loud」の「lou」のところまでは一致してそうですが、最後に「d」を発音するとしたら、あんな口の形にはなりません。「イー」と言ってそうです。
 この発言の主に関しては今でもなお諸説紛々としており、ドラマーのミッキー・ジョーンズは前世紀から一貫して「ボブではない」と断言しています。あの時、ボブからあんな言葉が出たという記憶はないし、そもそもボブはあんなしゃべり方をしないというのがその根拠です。が、昨年秋にロビー・ロバートソンが発表した自伝『Testimony』ではボブの発言だと書いてありました。あの時、ボブと面と向かっていたロビーがこう証言しているので説得力がありそうですが、彼がはっきりボブだと言ったのは、私の記憶では今回が初めてで、今まではずっと「オレではない」という答え方でした。ということで、さまざまな人の証言や映像(これが決定的!)から判断して、私は今のところは「ボブではない誰か」説を支持しています。



 という経緯があっての今回の電子書籍『ジューダス!〜ロック史上最も有名な野次』の発売に至ったのですが、その準備中に著者のCPと面白いQ&Aをしたので、ここでインタビュー形式で紹介したいと思います。

1819年に民衆のデモを当局が武力で鎮圧して死傷者が多数出るという事件が起こった場所にフリー・トレード・ホールが建てられたとのことですが、どうしてフリー・トレード(自由貿易)という名前がついたのですか?

 産業革命で力をつけた新興中産階級が行なっていた運動は参政権を求めるものでしたが、政府が国内の地主(貴族)を保護するために穀物法を作り、輸入穀物に高い関税をかけて値段を人為的に高くコントロールしていたことに反対もしていました。それで抗議デモでは「穀物法撤廃! 自由貿易(フリート・レード)賛成!」といったスローガンを掲げていたのです。そこから、この名前がつきました。

「Play fuckin' loud」は誰の発言だと思いますか?

 いろんな説があることはわかっていますが、この件についてはあまり意見を言わないことにしています。ああいうふうに「号令」を発せられるのは座長のボブしかいなかったのではないかと、私は思います。

チケットの値段は一番高い席で「20/-」とのことですが、「20シリング」という読み方でいいんですか? ということは1ポンドだったんですか?

 正解です。昔の貨幣制度では1ポンド=20シリング、1シリング=12ペンスでした。

比較のために教えてもらいたいのですが、当時はレコードはいくらだったんですか?

 LPは平均1ポンド12シリング6ペンス、シングル盤は6シリング8ペンスでした。ちなみに、私が1966年の夏休みにやったアルバイトは週給9ポンドでした。

昔の£1は今ではいくらの価値があるかを計算してくれるサイト:
https://www.measuringworth.com/ppoweruk/


ボブの他にイギリスの「伝統主義者」から激しい反発を受けたフォーク・シンガーはいるんですか?

 答えはシンプルにノーです。ディランほど劇的に方向転換をしたアーティストはいませんでした。

ドノヴァンはどうだったんですか?

 ドノヴァンはもともとポップ・アーティストで、まとっている雰囲気もディランとは全然違いました。それに、ツアーはしていませんでしたし。〈Sunshine Superman〉が出た頃には、ディランが音楽を変えた後で、ファンはそれを尊重するようになっていました。まさに時代は変わるです。しかも、急速に。あのエレクトリック・ツアーから半年も経たないうちに全てがすっかり変わり、1967年になると、あんなことなかったかのようでした。少なくともメインストリームではそうです。
 でも、ロンドンのエンプレス・オブ・ロシア・フォーク・クラブでは、1980年代になってもまだ、エレキギターを使っていいかどうかでもめていたのを覚えています。

   
 
クリントン・ヘイリンは『Bootleg!』のまえがきで、マンチェスターにあったエロ本/ブートレッグ店、オービット・ブックスの話をしています。あなたが《Live At The Albert Hall》を買ったのもここですか?

 オン・ジ・エイス・デイっていう店です。オービットが出来たのは数年後でした。

* * *


 ロックンロール叢書は暇だけはたくさんある私が個人的にやってる資金ゼロの企画です。メインストリームなファンの眼中には入れてもらえない超くっだらね〜ことにエネルギーをかけてこだわってるマニアックな本を紹介したいと思い、第1弾は「荒唐無稽な死亡説」、第2弾である今回は「野次」の本を出しました。第3弾はあれかなあ…と数年前から考えているものがあるので、次回もお楽しみに。今度は5年も待たせないつもりです。

   

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2017年04月09日

ストックホルムで北欧盤をハンティング

ノーベル文学賞

 春休みにボブ・ディランのストックホルム公演(4月1、2日)を見に行ってきました。毎年1発目のコンサートはいろんな点で注目されるわけですが、今年に限っては、直前にニュー・アルバム《Triplicate》がリリースされ、参加ミュージシャンのクレジットにスチュ・キンボールの名がなかったことから、コンサート常連の間では選曲とバンドの人事の点で普段より注目度がアップ。しかも、ノーベル賞騒ぎのおかげで、ファン以外からも大きな興味を持たれていました。
 会場となったウォーターフロントはラディソン・ブルー・ホテルに併設されており、ノーベル・アカデミーの担当者が4月1日の午後2時頃に会場に来て、ホテルの3階の部屋で「出前」の授与式が行なわれたそうです。アカデミーの面々は、コンサートの際には前から4列目か5列目の席(スチュの前あたり。私のすぐ左のブロック)にいたのを目撃されています。
 4月1日夕方の時点では、会場の様子を取材、あわよくばメダルをもらった直後のボブの姿を写そうとするテレビカメラやパパラッチがいましたが、私の知る限り成功はしていません。美人パパラッチはボブ・バスから目を離しませんでしたが、テレビカメラのほうは会場前でいろんな観客に話を聞いて回っており、私もインタビューされてしまいました。名前と年齢、出身国の後、来た理由を訊かれたので「ノーベル賞がらみの大騒動の後なので、今回のツアーはストックホルムで見るのが一番面白いだろうと思いました」と答え(単なる野次馬)、ロック界では他に誰がノーベル文学賞に値するかという質問には「キング・クリムゾンの歌詞を書いたピート・シンフィールド」と答えましたが(ロバート・ハンターって答えたほうがよかったか…パティー・スミスとは絶対に答えたくはなかった)、このやりとりがスウェーデンのテレビで放送されたかどうかは不明です(ネットかどこかで見つけたら是非教えてください)。

paparazzi.jpg

(ボブ・バスから目を離さない美人パパラッチ)


israel.jpg

(インタビューを受けるイスラエルから来たファン。
後ろに見える黒いバスがボブのツアーバス)


 で、コンサートのほうは既にビデオ、オーディオ、写真、評がたくさん出回っているので、私が書くまでもないでしょう。それよりも、ストックホルムに着いて初めて知ってビックリしたのが、ニューヨークやロンドンでは壊滅状態のレコード屋が健在だということです。全部をのぞくことは出来ませんでしたし、購入したレコードも4枚のみでしたが(なのでタイトルにはちょっと偽りあり)、私の1,000倍くらい真剣にレコードの収集をしている諸兄姉にストックホルムにもっと興味を持ってもらえるよう、私が見聞きしたことを、忘れないうちに小さな記事としてしたためることにしました。


スウェーデン雑感

 そもそも、スウェーデンてあまり人気ないのでしょうか? 日本からの直行便は基本的にないし、『地球の歩き方』では『北欧編』として近所のノルウェー、デンマーク、フィンランドと一緒にまとめられている状態で、その他のガイドブックもあまり存在しません。どっちの方向を見てもステキな風景&建物だらけで、おとぎの世界みたいなラヴリーな国なのに…。物価が高いのは確かにネックですけどね(セブンイレブンでサンドイッチとジュースを買うだけで1,000円くらい。地下鉄の初乗りは500円くらい。ひえ〜〜〜〜)。ガイドブック自体が数少ない上に、マニアックなレコード屋を紹介している記事など、なおさらありません。
 ホテルから1軒目のレコード屋に到着するまでの道すがら、案内人であるペールさん(昨年のボブの日本公演で知り合った)にスウェーデン全般のことを訊いてみました。前日の夜に到着して、中央駅からホテルに向かうタクシーの中で、いきなり運ちゃんから言われたのが「東京にはホアはたくさんいるのかい? 売春婦のことだよ。最近、ストックホルムには主にルーマニアから大量の売春婦が流入してるんだ。この通りには結構多いんだぜ」ってことでした。まずは治安の面に関して質問したら、こんな回答でした:

 いわゆる昔のニューヨークのような危なさはないし、特に危険な地域もないけど、ルーマニアから来た孤児は一応注意したほうがいいかなあ。親はいないの。子供だけで来て、ストリートでたむろしたり寝たりしてるんだ。子供だから政府も追い返すことが出来なくて…。


 スウェーデンが一時はやめてた徴兵制を再開する予定とのニュースも最近、入ってきました。世界中で鷹派的な考えが蔓延してきていますが、北欧のおとぎの世界、スウェーデンよ、お前もか、というのが私(平和ボケの典型)の感想です:

 ロシアが脅威なんだよ。ゴットランド島を狙ってるんだ。ここを押さえればバルト海を軍艦が自由に行き来出来るからね。日本にとってもロシアは脅威なの? ある意味すごいよな。西の端っこじゃスウェーデンの脅威で、東の端っこじゃ日本の脅威になってるんだから。どれだけデカい国なんだよ。オレも19歳の時に兵役に参加して、北のほうの町で訓練を受けたんだ。(ニコニコしながら屈託なく話す)なかなか楽しい経験だったなあ。


 ガイドブックによるとスウェーデンの人は、みんな、英語が得意なんだとか。ペールさんもしかり。私の泊まったバックパッカー用安ホテルの従業員も英語で普通にOK:

 教育制度のおかげでもあるかもしれないけど、英米の映画が吹き替えられず、英語のまま、スウェーデン語の字幕付きで上映されることのほうが多いからっていうのもあると思うよ。映画を見てるうちに英語を覚えちゃう。それに、いろんな取扱説明書とかは、英語のものしかない場合も多く、必要に迫られてってこともあるかもしれない。


 さて、次の質問がメインだったりします。年金世代のスケベ爺さんから是非調査してきてくれとリクエストされたことです。かつての日本では、スウェーデンはフリーセックスの国であるという伝説が語られていました(60歳以上のジジババ世代だと特に)。フリーセックスが何を意味するのかはいまいち不明なのですが、映画『パッチギ』にも、オダギリジョー扮するちょっと進んだ青年がフリーセックスにあこがれてスウェーデンに向かって旅立つシーンがありました。フリーセックスは本当なのでしょうか、それとも、黄金の国ジパング的な伝説なのでしょうか?:

 一部は正しく、一部は間違ってる。当然、その頃なのでヒッピー・ムーヴメントの影響もあるでしょう。でも、その前に、スウェーデンはカトリックじゃなくてプロテスタントの国で、しかも、伝統的に、みんなそんなに信仰熱心じゃないんだよ。毎週日曜日に教会に通ってる人なんてあまりいないし。だから、男女のつき合いに宗教的な縛りはない。セックスは結婚してから、なんていうものない。婚前交渉OK。つきあったり結婚したりするのに、まずは相手のご両親に挨拶して承諾を得てから、なんていう手順も必要なく、つきあうかどうか、結婚するかどうかは女の子本人が自分の意志で決めることが出来るんだ。ここでは男も女も平等だ。そういう点が、他の文化の人からは、かなりフリーに見えたのかもね。

 
 なるほど! そうこうしているうちに1軒目のレコード屋に到着しました。ボブ・ディランのオッカケや家族旅行で地球のあちこちに行ってるペールさんは世界のレコード屋事情についてこう語ります:

 あれほど面白いレコード屋がたくさんあったロンドンやニューヨークは今や壊滅状態だけど、東京とストックホルムはまだ健在なんだよ。



   




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2017年02月27日

ポール・マッカートニー死亡説関連曲〈Saint Paul〉

 4月に生きてるポールが来るというのに失礼な話題です。
 『ポール・マッカートニー死亡説大全』の「第31章 5月:デトロイトでリリースされた謎の曲」に出てくるテリー・ナイトの〈Saint Paul〉ですが、今ではyoutubeで良い音で聞くことができます。ノイズリダクションの使い方が上手なのか、死亡説ソングを集めたコンピレーションCD《I Buried Paul》よりうまくリマスターされています。しかも、歌詞を聞き取って文字化してくれたのは超嬉しい。



I looked into the sky
Everything was high
Higher than it seemed to be to me

Standing by the sea
Thinking I was free
Did I hear you call or was I dreaming then, St. Paul?

You knew it all along
Something had gone wrong
They couldn't hear your song of sadness in the air

While they were crying out, "beware"
Your flowers & long hair
While you & Sgt. Pepper saw the writing on the wall

You say you want to live your life to the future
They say they've got dues to pay today
You say it's the fool who plays it cool, Sir
And if tomorrow comes, you know, they'll all hear St. Paul say:
Let me take you down

You have a different view
Hey there, Paul, what's new?
Did Judas really talk to you or did you put us on?
I think there's something wrong
It's taking you too long
To change the world
Sir Isaac Newton said it had to fall
Hey St. Paul!

You say you want to live your life to the future
They say they've got dues to pay today
You say it's the fool who plays it cool, Sir
And if tomorrow comes, you know, they'll all hear St Paul say:
I read the news today, oh boy.

You had a different view
Hey there, Paul, what's new?
Did Judas talk to you or did you put the whole world on?
I think there's something wrong
It's taking you too long to change the world
Sir Isaac Newton told you it would fall

You didn't listen, St. Paul!

Nananananananananana Hey Paul (x12)


   
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2017年02月13日

今年は「コーネル 1977-05-08」の40周年

 多数出回っているグレイトフル・デッドの高音質ライヴ音源のうち、1977年5月8日、ニューヨーク州イサカ、コーネル大学バートン・ホール公演は、テープに関心のあるデッドヘッズの間で人気投票をすると、必ず1位かそれに準ずる上位に入るショウです。本当にベストなコンサートなのかどうかについては、いろんなショウのテープを聞けば聞くほど疑問が生じて来るのですが、超基本的必聴レコーディングだという点ではほぼ全員の意見が一致していると思います。1980年代後半に、デッドの人気がオーバーグラウンド化するとテープを集める人も増え、それと同時期に出回り始めたのが、数奇な運命をたどった「ベッティーボード」なのですが、コーネル大公演はその中に含まれていた代表音源です(拙ブログ『長い間失われていたグレイトフル・デッドのサウンドボード・テープの運命』を参照されたし)。
 コーネル大学出版局からは、グレイトフル・デッドの伝説的コンサートの40周年にあたる2017年に、このショウを取り上げた本が出版されます。このプレリュード的な記事がコーネル大のサイトEzra Updateに昨年3月に掲載されました。


Dead_poster_page.jpg



大学構内に音楽を戻してくれたグレイトフル・デッド
文:メラニー・レフコヴィッツ


 音楽のないコーネル大を想像してみよう。

 「1977年だったから可能だったのです。必然だったと言えます。1973年の夏に行なわれたディープ・パープル公演の後に起こった暴動のせいで、キャンパス内でのコンサート開催は厳しく制限されるようになっていました。コーネル大コンサート委員会は、長年に渡るコンサートの赤字が積もって、ざっと10万ドルの負債を抱えていたのです」と委員会メンバーは言う。

 しかし、コンサート委員会のメンバーは一計を案じた。彼らは赤字を引き受け、利益を分配してくれるプロの音楽プロモーターと手を組んで、5月に開催されるスプリングフェストの一環として、共同でグレイトフル・デッドを呼んだのだ。結果、1977年5月8日に行われたこのショウは、デッド史上、最高のパフォーマンスとしてデッド伝説の1つになっただけでなく、キャンパス内でロック・コンサートを開催する実行可能性を維持する一助にもなった。

 「これは、大学構内でロック・コンサートが開催されることを熱望する多数の学生が、それを実現する方法を見出した物語です」と語るのは、デッドの歴史的名パフォーマンスに関する本『Cornell '77』を現在執筆中のピーター・コナーズだ。この本は来年(2017年)、コーネル大学出版局(CUP)から出版予定である。「グレイトフル・デッドは学生たちが窮地から脱するのを手助けしたのです」

 コーネル大学コンサート委員会は最近、デッドのショウに関する記録を同大学図書館に譲渡した。コナーズは書庫を調査したが、今のところは、ショウの写真3枚しか発見出来てない。グレイトフル・デッドが30年の歴史において行なった3,000回近いコンサートの中で、最高のショウの1つと評価されているのにだ。

 「比較的最近のものなので、メモラビリアの一部は大学の資料室というよりはむしろ、卒業生宅の地下室や押入れの中にあるのではないかと思っています」と大学記録保管員イヴァン・アールは言う(’02, M.S. '14)。

 グレイトフル・デッドのコンサートの記録は、コーネル大コンサート委員会とコーネル大での主なコンサートの歴史を集めた、新しいアーカイヴ・コレクションの最初の部分を成している。

 「保存作業をすることになって私たちはワクワクしています。コーネル大で行なわれたいろんなコンサートの資料をお持ちの方からは是非とも話をうかがいたいです」とアールは言う。



 デッドヘッズの間では「コーネル'77」として広く知られているデッドのショウは、コネチカット州ニューヘイヴン公演、ニューヨーク州バッファロー公演に挟まれて行われている。ジェリー・ガルシアがフロントマンを務めるこのバンドは、第1部と第2部において計19曲を演奏した後、〈One More Saturday Night〉で締めた。

 このコンサートを見に来た人々がバートン・ホールから出てくる頃には、5月上旬なのに天気が猛吹雪になっていたというのも、ショウの伝説的要素を増やしている。

 「些細なことかもしれませんが、コンサートに行った人に話を聞くと、ほぼ全員が天気のことを話します」とコナーズは語る。「会場に入る時には雪なんか全く降ってなかったのに、出て来た時には雪が降ってたんです。素晴らしいコンサートだったので、全体験のマジックは雪のせいで増量されました」

 バンドを追いかけているデッドヘッズと学生、地元のファンからなる観客の多くは、素晴らしいショウだったと言っているが、時とともに大きな伝説化したのは、バンドの承知のもとで高音質なカセットテープがファンの間で出回ったおかげだ。2012年には、このコンサートの音の記録は、国会図書館のNational Recording Registryに入った。

 コーネル大学出版局は、同大の歴史だけでなくアメリカの歴史においても重要なこのコンサートに関する本を、その40周年に合わせて2017年に出版する予定だ。

 「部長(当時)のディーン・スミスとの会話の中にもバートン・ホール公演のことが出てきたので、我々はコーネル大に関する興味深い話と、アメリカ史に関する重要な物語を抱えていると思いました」とコーネル大学出版局の編集部長マイケル・マクグランディーは語る。「ディーンはデッドヘッドなので、ピーターの本の企画を進めるのに大助かりでした。事実なのかデッド伝説なのかという疑問が生じると、ディーンはすぐに答えてくれました」

 コナーズは、グレイトフル・デッドのファンとして過ごした日々の思い出をまとめた本『Growing Up Dead』を2009年に出版している。このバンドがアメリカ文化において果たした役割が、デッドとこのショウを重要なものにしていると、コナーズは述べる。

 「単なるコンサートではありません」とコナーズは語る。「グレイトフル・デッドはひとつのバンド以上の存在でした。彼らはコミュニティーを作り上げました。1960年代の価値観を体現したのがグレイトフル・デッドだと、多くの人が考えています。1960年代のコミュニティーはまさにこうだったのだとも考えています。コーネル大がそれを引き出したのだと、私は思います」

The original article "How the Dead brought music on campus back to life" by Melanie Lefkowitz
http://ezramagazine.cornell.edu/Update/Feb16/EU.Grateful.Dead.77.html

   

 記事は以上なのですが、私が楽しみなのは、この本にはデッドヘッズ・コミュニティーの形成についても書いてありそうな点です。ハワード・ウィーナーは『Grateful Dead 1977: The Rise of Terrapin Nation』の中で、それが出来上がるのが1977年くらいだと述べていますが、4月に出るコーネル大学本にも、音源を聞いているだけではわからないことが、きっといろいろ書いてあるはずです。
 ちなみに、世界大学ランキングではコーネル大って東大よりはるかに上です。


2/17追記
 Cornell 5/8/77が今年5月に発売決定。


  
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2017年01月24日

ジョーン・バエズ、ボブ・ディランのノーベル賞受賞と自らの引退時期について語る

 高校生の時に中野サンプラザでジョーン・バエズのコンサートを見ました。7月の学園祭をサボって表参道のキョードー東京までチケットを買いに行き(席は最前列ど真ん中)、高校にはお昼頃到着しましたが、左翼系の社会科教師(元自衛官タモちゃんのAPA論文に書かれてる程度のことは、35年くらい前にだいたい教えてもらいました----自虐史観だけの教師とは出会ったことありません)からは、そういう理由ならばということで、ちょっと叱られただけで済みました(アリバイを作ったので、とっとと早退w)。
 今回紹介する昨年10月のインタビューでは、2017年のコンサート・スケジュールはなしと言ってますが、ドナルド・トランプの大統領就任式の日に全米各地で行なわれたWomen’s Marchのサンフランシスコ会場に姿を見せました。何かあったら人々の前に出てきて歌うという姿勢が崩れる気配は全くありません。





インタビュー:ジョーン・バエズ、ボブ・ディランのノーベル賞受賞と自らの引退時期について語る

聞き手:ランディー・コルドヴァ



お元気ですか?

 ええ。ジムから戻ってきたばかりで、たくさんの殿方がウェイトを持ち上げるのを見てたわ。

健康維持に関する話なのですが、どのようにしてこんなにステキな声を保ってるんですか?

 簡単じゃないのよ。30代半ばくらいから人は重力と戦い始めるでしょ。すっかり変わってしまったわ。最近では「どうしたら出来るだけスピーディーに欲しい音を出せるかしら?」って感じ。そうするのがあまりに大変になったら、引退の時ね。

そういう計画なのですか?

 ええ。辞めるわよ。



でも、今では80代になっても活動してるミュージシャンがたくさんいますよ。

 いるわね。でも、そういう人たちの中で、声で有名な人はひとりもいないわ。私にとっては声が天からの恵みでした。私はロックンローラーじゃありません。ヒットメイカーでもありません。私の場合、声帯から出てくる声への依存度が非常に高いんです。(ミック・)ジャガーは高くありません。(ボブ・)ディランもそう。ピート・シーガーもそう。それに、慢心しちゃうのよね。誰も(私の声が劣化していることを)教えてくれないから。「バエズ、あなた酷い声ですね!」なんて言ってくれる人、いないでしょ。

でも、そう言われたい人なんていないでしょう。それとも、あなたは「私をステージに立たせて!」なんてガツガツしないタイプの人なのですか?

 来年は私はツアーはやりません。アルバムを作って、それから様子を見ます。辞める時には、きっと、それに伴って心理的な負担があるでしょうね。

自分はロックンローラーではないとおっしゃってましたが、ロックンロール・ホール・オブ・フェイムにノミネートされて驚きましたか?

 「皆さん、ちょっと遅いんじゃないの」もしくは「私、ここで何やってんのかしら?」のどちらかでしょう。でも、1960年代に始まったあの音楽のスイッチには私も関与してたので、ロックンロールの一部ではあるわね。

名声や賞についてはどういう考えをお持ちですか?

 あまり考えません。ステキなものだとは思うけど。

ディランがノーベル文学賞を受賞した件について、あなたのご意見は?

 とても素晴らしいと思います。細かい決まりや意味的な問題は理解出来ませんが…。ボブのマナーはダメだけど、言葉のほうはノーベル賞に値すると思うわ。

マナーがダメとはどういうことですか?

 だって、ノーベル賞を取ったら、普通は折り返し電話をかけて「メッセージ承りました。ありがとうございます」って言わない?

あなたはずっとディランの歌に引きつけられていますが、どのようにしてマテリアルを選んでるのですか?

 うぶな言い方に聞こえるかもしれないけど、曲の方が私を選ぶの。本当にそうなのよ。ある種の歌詞を探したりはしません。(現在、レコーディング中のアルバムに関しては)徐々に弧が大きく膨らんでいく様子を見ているうちに、トム・ウェイツの曲が見つかったり、リチャード・トンプソンの曲が見つかったり、ジョシュ・リッターの曲が見つかったりするの。

キャッチーなコーラスのある心地よいポップ・ソングに魅力は感じないんですか?

 もちろん、感じるわ。どんぴしゃりでそのカテゴリーじゃないんだけど、ドノヴァンの…超名曲ってわけじゃないんだけど、〈Catch the Wind〉みたいな曲は聞いてて楽しいわ。今時の音楽には、あまり結びつきを感じないんだけど、スタージル・シンプソンのような人はとても気に入ってるわ。でも、10歳前後の子の聞く音楽の多くは耐えられない。私には13歳の孫娘がいるんだけど(ため息)。

あなたがその年齢の頃のポップ・ミュージックは今より優れていたでしょう。少なくとも、メロディーはもっと良かったですよね。

 白人音楽はメロディーが美しくてステキでした。ゴギー・グラントやアンドリュー・シスターズとか、美しい女性ヴォーカルがありました。その後、私が夢中になったのはリズム&ブルースなんだけど、こっちにも美しい声がたくさんありました。メロディーはそれほどでもなかったけどね。コードのパターンも似たり寄ったりで。でも、大好きだったわ。ハマっちゃった。そして、ちょうどその真っ只中でフォーク・ミュージックが出てきて、道が敷かれちゃったわけね。フォークは、楽しいんだけど何も語ってないバブルガム・ミュージックに対する反逆でした。

あなたの年齢がそのまま最新アルバムのタイトルになっていますが、人目にさらされてる人間でそういうことをする人はあまりいませんね。不安は感じなかったですか?

 選んでやったことなのよ。既にプログラムは決定していて、マネージャーから言われたの。「今度は誕生日を祝いたくないかい?」って。0.6秒くらい考えてから、イエスって答えたわ。この社会では、未来や死んでいくプロセスに、人は直面したくはないの。殆どの人は考えたくもないことなんだろうけど、毎日、鏡を見るとそれを思い知らされるのよ。

ペトゥラ・クラークのインタビューを読んだのですが、彼女はマスコミの人間が80代になってどういう気分ですかって質問するのにうんざりしていたのだとか。あなたもそれに共感しますか?

 いいえ。みんな、そんなこと訊かないもの。若く見えるから(クスクス笑)。今はまだ「80」って言い始めたばかりなので身の毛がよだつけど、「80」って日頃から言ってれば、そのうち恐ろしい要素が消えちゃうんじゃないかしら。

話題を変えましょうか。あなたのスペイン語アルバム(1974年リリースの《Gracias a la Vida》)は古典的名盤で、今や多くの家庭にあります。再びスペイン語のレコードを作る予定はありますか?

 わかりません。私がこの世で作るアルバムは、1枚よりそんなに多くは残ってないでしょう。真面目な話、そういうアルバムは作らない可能性の方が高いと思うわ。でも、未来のことなんてわかりません。あのアルバムを出した時は、私は政治問題にどっぷり浸かっていたの。行方不明になっちゃったチリ人や独裁政権とか。それでああいうアルバムを作ったの。あれが、何かしたい、どうにかしたいって時の私のやり方なのよ。

それがあなたにとっての音楽なんですか?

 難しい質問だわ。たぶん、そうなんでしょうね。少女の時は確かにそうだったわ。私は学校では人気者じゃなくて、メキシコ系で、あらゆる点で不適切な存在でした。でも、ウクレレを弾き始めて、それを学校に持ってったら、みんなが喜んで聞いてくれることに気づいたの。家では趣味で弾いてたのよ。4コードのリズム&ブルースを。それが始まりね。


The original article "Interview: Joan Baez on Bob Dylan's Nobel Prize and when she'll give up performing" by Randy Cordova
http://www.azcentral.com/story/entertainment/music/2016/10/26/joan-baez-interview-bob-dylan-aging/92732656/


   
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