2018年02月22日

シルヴェスター・スタローン死亡説

 昨日、シルヴェスター・スタローン死亡というニュースが流れましたが、当然、嘘です。

死亡説を否定する本人の動画
http://www.123trend.net/blog/sylvester-stallone-in-the-gym-laughing-at-death-hoax/


 かつてのポール・マッカートニー死亡説に関する情報・考察はこちらの本で。ボブ・ディランのコンサートで発せられたヤジに関する本もよろしくお願いします:

  
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2018年02月21日

さらにしつこく『神を信じていなかった』本の書評

 第4章まであれこれ言ったついでに、最後までいっちゃいましょうか。もうこの本の大宣伝状態です。
 第5章は、これまでのまとめとして、プレスリーとディランの違いについてもうちょっと述べた後、ローリング・ストーンズ及びブリティッシュ・ロック一般に触れ、さらに、ロックがキリスト教化する「必然性」について持論を展開していますが、ツッコミどころが多数あることは、第3〜4章と同様です。(ところで、PPMやプレスリーについて詳しい人が第1〜2章を読んでどう思ったのか知りたいです)



(p.206)そうしたエルヴィスと比較したとき、ディランが、ゴスペル・アルバムを作っていた時期は短いし…実生活でもユダヤ教の信仰世界に戻ってしまったのである。

 さっき、p.146で「その点について簡単に結論を下すことがむずかしくなってくる」って言ってたのに。

(p.206)エルヴィスはゴスペルを聴きながら幼少期を過ごしたわけだが、ユダヤ教の家庭に育ったディランの場合には、そうした経験は全くなかったはずである。
(p.209)彼は、ゴスペルではなく、ユダヤ教音楽を聴きながら育った可能性が高い。

 島田は20世紀後半のあらゆる音楽にとって重要だったツール、ラジオの存在を忘れてないか。ボブは2006〜09年に『Theme Time Radio Hour』という番組のDJを担当し、自分が若い頃ラジオでいろんな音楽を知ったので、その恩返しをする番だとして、幼少期〜今まで好きだった音楽をたくさん紹介しました。その中にはキリスト教にまつわる歌がたくさんあったのですが、島田はそのプレイリストをチェックしたのでしょうか?

   

(p.210)たとえゴスペルを歌ったとしても、それは彼の体に染みついたものではない。…どうしても表面的なもの…ゴスペルを歌うようになるには、幼少期にそうした音楽体験をしていなければならない。ディランにはそれが欠けていた。

 島田の考え方だと、幼少期に体験したものじゃないと、本物として歌えないってことですね。ボブのゴスペルは表面をなぞっただけの偽物だったんですね。へえ〜。我々には思想の自由、言論の自由があるので、どう感じるかは人それぞれだと思います。正直、私もずっと疑問を抱えてたので、メイヴィス・ステイプルズが来日した時に直接訊いてみました。「本業のゴスペル歌手であるあなたからすると、ボブのゴスペル曲は本物ですか?」って。答えは「イエス」でした。
 もし表面的な薄っぺらいものだったら、多数の本物のゴスペル・シンガーたち(キリスト教の信仰も持っている)がボブのゴスペル曲を歌った《Gotta Serve Somebody: The Gospel Songs Of Bob Dylan》なんてアルバムは生まれたでしょうか? 超老舗の黒人ゴスペル・コーラス・グループのザ・ディキシー・ハミングバーズはボブの〈The City Of Gold〉をカバーしたでしょうか?
 
(p.210)アメリカのミュージシャンたちは、ユダヤ人を除けば、幼い頃から教会に通い、キリスト教の音楽世界にふれている。

 レコードやラジオ、テレビがあるので、ユダヤ人を含む全員が、あらゆる音楽に触れることが出来ます。現在では、それにプラスしてインターネットがあります。どうしてユダヤ人を除くのでしょう? ユダヤ人だからユダヤ音楽だけなんてあり得ません。ボブの場合、ユダヤの伝統音楽よりもゴスペルからのほうがはるかに大きな影響を受けています。レコードを聞けば明らかです。
 ボブがユダヤの伝統音楽を演奏した数少ない例が、ゴスペル時代が終わった後、1980年代後半にユダヤ人のチャリティー団体のテレビ・ショウに出演した時です。笛をピロピロ吹いてる迷演です。





 ボブがこういう音楽をやるのは例外のほうです。ボブはこの頃ルバヴィッチなんとかという団体の主催するこのチャリティー番組に何度か出演してるので、この難しい名前の人々がどういう教義を持っていて、どういう性質の団体なのか、アメリカ社会の中で彼らとつきあうというのはどういうことなのか、ボブのキリスト教改宗時にこの団体がどう反応したのかを、宗教学者の立場から説明してくれたら、ボブへの理解がもっと深まると思うのですが…。
 それから、ユダヤ系の音楽について説明するのにベン・シドランを取り上げてますが、彼がボブ・ディラン曲集《Dylan Different》を出してるのを、島田は知ってるのでしょうか?

(p.213)アメリカのポピュラー音楽の世界は…人間同士の恋愛を歌ったものでも、神からの愛、神への愛を暗示していることが少なくない。
(p.215)(イギリスのロックは)アメリカのロックから影響を受けた場合でも、むしろ信仰の要素がまったく見られない音楽が中心になっていた。
(p.216)(ローリング・ストーンズに関して)このアルバム(《Aftermath》)にも宗教や信仰に結びつくようなものは見出せない。それは、他人の曲が殆どを占めた最初のアルバムについても共通している。

 信仰の要素が見られる曲は避けて影響を受けたってこと? えっ? イギリスのミュージシャンは信仰の要素が見られる曲を大量に取り上げてると思います。特にブルース、R&B、ソウル系の人は。幼少期のゴスペル体験から始まってプロになった黒人ソウル/R&Bシンガーの歌う曲(ポピュラー音楽とはいえ、神からの愛、神への愛を暗示していることが少なくない----って島田がさっき言ってました)を、デビューしたてのローリング・ストーンズはたくさんカバーしています。例えば、わかりやすい例だと《Out Of Our Heads》に入ってる〈Mercy Mercy〉はどうでしょう。「Mercy」(慈悲)なんて説教の中に出てくる常套句です。

   

(p.219)この曲(〈Sympathy For The Devil〉)以外に、ローリング・ストーンズが悪魔を歌ったような曲はない。

 言い切っちゃってます。アルバムのタイトル、曲名すら確認しなかったのでしょうか? わかりやすい例だと、《Their Satanic Majesties Request》というアルバム、〈Dancing With Mr.D〉という曲があります。ミックは、サタニズムの世界では有名な映画監督ケネス・アンガーからの要請で『Invocation Of My Demon Brother』という映画のサントラを担当してもいます。



(p.216)〈I Just Want To Make Love To You〉だと、アメリカのブルース歌手、ウィリー・ディクソンが作った曲だけに、ゴスペルのテイストを持っている。だが、そのぶん、ローリング・ストーンズらしくない。

 私は反対に、この曲にストーンズらしさは見出せますが、ゴスペル・テイストは見出せません。単なる意見の相違ですけどね。島田はファースト・アルバムは聞いたようですが、〈Can I Get A Witness?〉にはゴスペル・テイストは感じなかったのでしょうか? 「witness」なんか教会の説教によく登場する言葉でしょうに。〈Imagine〉の最後のほうに出てくる「brother」で托鉢修道会を連想するほど敏感な人がこれに気づかないのには、何か深いわけがあるに違いありません。

(p.221)「悪魔を憐れむ歌」は、決してミックが悪魔主義者であることを証明するものではない。ローリング・ストーンズの音楽世界には、キリスト教の信仰はほとんど影響していないのである。

 アンチ・キリストの悪魔主義も、キリストが存在してこその「アンチ」なので、キリスト教的世界観の中に含まれるものだという考え方は、私の粗末な脳味噌でも理解できます。ミックの悪魔主義云々に関しても、私も、それがガチなものではなくて、アンチ・エスタブリッシュメントなイメージ戦略の一環としてちょっと取り入れただけの「なんちゃって」だと思います。しかし、悪魔主義が存在しないのでキリスト教信仰の影響も殆どなし、という論理展開には反対です。
 「信仰」の解釈にもよりますし、どのくらいの現象があったら「影響」を受けたことになるのかも、はっきりとした基準はありませんが(島田本全体に違和感を覚えるのは、島田本人の「基準」が首尾一貫してないような書き方になってる点です)、私の個人的意見としては、「影響していない」ではなくて、「ブルースやR&B、ソウルをたくさんカバーしたことから、それらの音楽に含まれていたキリスト教的な要素が、ローリング・ストーンズの音楽の中にもある程度は入り込んでいる」という言い方のほうが正確だと思います。〈Salt Of The Earth〉〈You Can't Always Get What You Want〉〈Gimme Shelter〉〈Shine A Light〉を聞いて、サウンドにゴスペル風を感じない人はたぶんいないでしょう。《Exile On Main St.》の〈I Just Wanna See His Face〉は「イエスのことなんて話したくねえ。ただ顔が見てえよ」と、イエス・キリストについて歌った曲です。ほのめかしじゃなくてモロなので、歌詞を調べればすぐにわかります。

   

 《Some Girls》の〈Far Away Eyes〉は、その冒頭で、カーラジオでゴスペル音楽と説教を聞きながら田舎の道をドライブしてる様子を歌っています(隠れた名曲だよな、これ)。私の耳には、キリスト教の影響がストーンズの音楽に入り込んでるようにしか聞こえません。



(p.242)(テレビ、ネット、CDなどのある現代)に比べれば…一九五〇年代を考えてみれば、若者たちが音楽を聴く主たる方法としてはラジオしかなかった。

 ラジオを過小評価しちゃいけない。アメリカには昔から日本の何倍ものラジオ局があって、レコードなんか買わなくても、何の気なくラジオを聞いてるだけで、ものすごい量の音楽に接してることになります。ロビー・ロバートソンはアメリカのラジオ局を聞いてブルースに親しんでたと言ってます。

(p.252)(日本の現状についての話の中で)英語の歌では、その意味が取りにくいのである。しかも、訳詞を行う際に、翻訳家が、歌の中に「神」が出てきたとしても、それを省いてしまう場合がある。ロックの歌詞に神が頻繁に登場しているにもかかわらず、それに気づかないという事態が生まれている。

 本当? これは具体例を知りたいです。びっくりした時の「オー・マイ・ガーッ」や「ジーザス!」はいちいち「おぉ、我が神よ」「イエス様!」と直訳してたら美的な点でかえって変だと思いますが、それとは違うレベルのところで「神」をしっかり訳してないというのでしょうか? 皆さんからの情報を求む。よろしくお願いします。

(p.255)ロックの宗教性を考えることは、ロックの本質に迫ることになる。また、アメリカの社会の姿をこれまでとは違ったものとしてとらえることを可能にしてくれる。その点では、ロックの宗教性、そのキリスト教とのかかわりを理解することはきわめて重要な意味を持っているのである。

 これが『神を信じなかった』本の締めくくりなのですが、私も100%そう思います。音楽の数千年の歴史を「剽窃」という観点で綴ったアメコミ『THEFT』でも、レイ・チャールズが神聖なゴスペルと世俗的で猥雑なブルースを合体させたことが、ロックの誕生において重要な役割を果たしたと指摘しています。

   

 島田は、ストーンズを語った後、エリック・クラプトンに関して、《Journeyman》《Pilgrim》あたりからキリスト教的信仰を歌った曲が増えたことや、自伝中でキリスト体験を綴っていることを指摘し、滅茶苦茶な生活→体を壊す、親しい人を失う等の人生の転機に反省→宗教に目覚める、という道筋をたどるミュージシャンが多い→もともとキリスト教とロックは結びつきやすいものだった、という具合に論を展開し、上記の言葉で本全体を締めくくっています。
 しかし、これが最終的な結論として言いたいことだとすると、プレスリーや改宗ディラン、クラプトンは例として適していますが、島田自身が殆ど宗教性を見出せていないビートルズやローリング・ストーンズにたくさんのページを割いてるのは、ゴールに行き着く上で迷走にしか見えません。キリスト教3部作を発表する以前のディランにもキリスト教の影響があり、ビートルズもストーンズもキリストの教の影響を受けている点が島田には殆ど見えてない(少なくとも、影響を積極的に認めようとするのとは反対のベクトルで語ってる)ので、2重の意味で迷走です。
 ということで、最後にひとこと。この本のタイトルは『ロックとキリスト教』で、サブタイトルが「ジョン・レノンは、なぜ、神を信じなかったのか」のほうが、内容からするとフェアじゃないでしょうか。島田先生、もっといい本書いてください。
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2018年02月20日

レッド・ツェッペリン《Eddie》の日の別音源発見とその公表(録音者インタビュー)

 ライヴ音源をリリース予定というジミー・ペイジ直々の発表や、ブートレッグに収録された9/29の〈Immigrant Song〉のサンプルを聞いて霞んじゃったニュースですが(しかも、私が気づくの遅すぎだし)、とにかく気づいたのでここで紹介します。オフィシャル筋や裏の筋もやるべきことをやってるようですが、草の根ではこんなことが起こっていました。ボブ・ディランの1978〜79年のマイク・ミラード音源の発掘・流通で大活躍したのもJEMSグループでしたね。



レッド・ツェッペリン《Eddie》の日の別音源発見とその公表(録音者インタビュー)

聞き手:ledzepnews


 9月18日、「gbauer10」というフォロワーの数もわずかな殆ど無名のYouTubeチャンネルに、動画(正確にはスチル写真+音)がアップロードされた。レッド・ツェッペリンの1977年6月21日、ロサンゼルス公演の音源が新たに公開されたのである。有名なマイク・ミラード音源《Listen to This Eddie》と同じショウを収録したものだ。この動画をアップロードしたゲイリー・バウワーにとっては、自分が40年前に録音したものがこれほどたくさんの注目を集めるとは思いもよらなかったのだが、彼のYouTube動画は音楽系フォーラムやメーリング・リストで、レッド・ツェッペリンの伝説的コンサートの2番目の音源として広まった。現在、バウワー音源はJEMSリマスタリング・グループの支援でリマスターされ、YouTubeに再アップされている。

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 LedZepNewsではバウワーにコンタクトを取り、この音源についてバウワーにメールで話を聞いた。以下がそのインタビューの完全版だが、まずは《Listen To This Erik》と題されたリマスター・バージョンを聞いてみよう:

2017年11月4日にアップされたリマスター・バージョン


2017年9月18日にアップされたオリジナル・バージョン


まず、1977年のこのコンサートについてどんなことを覚えていますか?

 音を記録しといたおかげで、このショウの思い出は今でもとてもヴィヴィッドに残ってるよ。〈The Song Remains The Same〉が始まる直前、ボンゾがウォーミングアップをしてるとドラム・キットがライト・アップされたことから、プラントが〈Ten Years Gone〉てアナウンスする直前に、ちょっと向こうを向いたとかいう些細なことまでね。一番好きな思い出は、ペイジがボンゾのほうを向いて〈Stairway To Heaven〉のソロを弾き始め、その後、振り返って、ソロを弾きながらステージの前の方に出てきたことかなあ。今でもなお、お気に入りの箇所を聞くと、体全体が震えるよ。特に、〈The Song Remains The Same〉の最初のコードとかね。いつもさ。JHBが〈Rock And Roll〉を始めたら観客がクレイジーになったのも、大好きな思い出だ。午前1時になっていたよ。
 YouTubeにアップするために曲と曲を分割したんだけど、〈White Summer/Black Mountainside〉と〈Kashmir〉の間はカットすることが出来なかった。〈Kashmir〉を始める時、ペイジが椅子を蹴飛ばして、プラントがドラム・キットの後ろから飛び出して来たのを覚えてるよ。オレにとっては、あそこにブレイクはあっちゃいけない。そんなことしたら思い出が台無しになってしまう。オレが持ってる《Listen To This Eddie》には、そこにブレイクがあるから、聞くことが出来なかった。違うコンサートを録音したもののような気がしちゃうんだよな。
 皆が《Listen To This Eddie》を好きだってことは知ってるし、オレもそっちに収録されてる音楽は大好きだ。特にオレが録音し損ねた部分はね。でも、オレにとっては----オレだけかもしれないけど、それでもいいさ----オレのテープのほうが、あの晩、オレが聞いたショウに近いんだよ。あくまでオレの体験だから、こっちのテープのほうがオレにとっては特別なのさ。

レッド・ツェッペリンのコンサートを見たのは、この時が初めてだったんですか?

 そう。ロック・コンサートに通うようになったのが1976年のことだった。オレは26日のショウも見にいったんだ。オレの奥さんも、レッド・ツェペリンがこの先もう1度ツアーをやるとしたら(全くあり得そうにないけど)、金が目的じゃないだろうって、言ってるよ。オレがこんな話をするのは、ツェッペリンだけさ。

ショウにはどんなことを期待してたんですか?

 長時間のうるさいコンサートだと予想してたんだけど、それどころじゃなかった。当時、レッド・ツェッペリンのようなバンドは他の惑星から来た神みたいな存在だった。映画『The Song Remains The Same』は何度も見ていたし、『Rolling Stone』『Creem』等の音楽雑誌も熱心に読んでいた。MTVとかはなかったんで、レッド・ツェッペリンを生で見るのは殆ど超現実的なイベントだったんだ。

あなたはこの音源に《Listen To This Erik》というタイトルをつけましたが、これにはどんな裏話があるんですか?

 昔からの友人{ダチ}のエリックにちなんでつけたんだ。こいつはショウの前に各種ドラッグやタイ産のハッパ等を大量にやり過ぎちゃって、記憶にあるのは自分がショウを超楽しんだってことだけで(皆からもそう言われてた)、細かいことは何も覚えてないんだ。このタイトルは誰が見ても《Listen To This Eddie》のパクリだけど、エリックは友人{ダチ}だから、タイトルなんてどうでもよかったんだ。エリックは自分がこのショウと関係づけてもらえたことで喜んでるよ。

エリックのその後は?

 エリックとは何年も話してなかったんだけど(互いに320kmも離れたところで暮らしてるし)、このテープのおかげで再び連絡を取り合う仲に戻れたんだ。当時17歳だったエリックは、その後、大学で工学を修めて、何とロケット・サイエンティストになったんだぜ。文字通りね。本当さ。長い年月をかけてサターン5型の研究開発をしてる。エリックは今、新たな「名声」を得て超興奮してるよ。

これが初めて録音したコンサートだったんですか?

 2回目だね。1976年10月にはイーグルスを録音した。だから、リリースの2カ月前には〈Hotel California〉のテープを持ってたんだぜ。6月21日のショウの後、カンサスのロング・ビーチ公演の時に、レコーダーをこっそり持ち込もうとして捕まっちゃったんだ。この3公演で使ったテープ・レコーダーは、友人のお袋さんからの借り物だったんで、没収されちゃうのが怖くて、その後は録音はしなかった。そのことは超後悔してるよ。

どうしてショウを録音しようと思ったんですか?

 正直、覚えてないよ。ツェッペリンは一番好きなバンドだったから、きっと、そういう理由だったと思うよ。

コンサート会場にテープ・デッキを持ち込むのは大変だったんじゃないですか?

 そんなに大変じゃなかったね。とても小さなレコーダーだったんで、ズボンの中に隠したよ。あの頃は警備は今よりずっと緩かったし。

ショウの途中で電池に問題が生じたんですよね?

 そう。長丁場のコンサートだったから、〈Achilles Last Stand〉の途中で切れてきちゃったんだ。JEMSはピッチを修正するのに素晴らしい仕事をしてくれた。何らかの周期でもあってスピードが乱れてるわけじゃないから、修正のプロセスは超大変だったと思う。スピードが正しい状態で〈Stairway To Heaven〉を聞いた時には、マジで涙が出てきたよ。40年聞き続けてたのは、スピードがアップしたバージョンだったからね。

40年の間、テープはどうなっていたのですか?

 最初の数ヶ月はオリジナル・テープを何度も聞いてたんだけど、別のカセットにダビングした後は、JEMSがリマスターしてくれるまでは、マスター・テープは全く聞かなかったんだ。友人用にコピーをいくつか作ってあげたんだけど、まだ持っててくれるのかなあ。

定期的に聞いていたんですか? それとも、どこかにしまっちゃってたんですか?

 数え切れないくらい何度もテープを聞いたよ。コンピューターの中に移して、友人にCDRに焼いてあげたりもした。今回こうしてアップするまでは、この音源を聞いたことがあるのは12〜15人くらいだったんじゃないかな。オレがこのショウを何度聞いたかは計算できないよ。敢えて言うなら、オレ以上にこの音源を聞いた人間はいないね。
 ツェッペリン・ファンの多くは日頃からたくさんのショウを聞いてると思うけど、オレはツェッペリンを聞いてる時間の95%はこのショウだった。まわりの連中の感想コメントも全部、覚えちまったよ。「この晩はホットだな」とか「オレもこのショウを見たぜ。覚えてる」とかね。

テープを発掘して、それをリマスターしてもらった理由は?

 今年[2017年]があのコンサートの40周年だってことに気づいたんで、友人{ダチ}に向けてYouTubeに何かアップしておけば、連中が聞きたくなったら聞けるかなあって思ったんだ。でも、iTunesに入れてあるのが、オレが持ってる唯一のデジタル・コピーだったんだよ。それに、〈Moby Dick〉は6月21日のものをシアトル公演のものに取り替えてたことを忘れたまま、YouTubeにアップしちゃってたんだよ。カットが杜撰な箇所も多々あった。超シロウトな仕事だったね。
 でも、Zephead 315って名前で知られてるツェッペリン・ファンがこの動画に気づいて、レッド・ツェペリン・フォーラムでスレッドを立てて、多くの人がこの別音源について、ああじゃないかこうじゃないかって話し合い始めたんだ。完全収録されているこっちの〈Ten Years Gone〉、6/21じゃないか?とも。
 実のところ、オレはこの〈Ten Years Gone〉は聞いたことがないんだが、その時点で、オレの音源を持ってる人間は数が限られてたことを考えると、オレが録音したものでないことは確かだ。自分のYouTubeチャンネルに書き込まれたコメントを見て、そことLZフォーラムの両方で、出来る限り質問に答えた。ショウをきちんとデジタル変換すべきだよ、皆から促されたよ。

リマスタリングを手伝ってくれる人をどのように選んだんですか?

 テープのデジタル変換を手伝ってあげるよっていう申し出はたくさんの人からあったんだけど、見ず知らずの人に大切なマスター・テープは送れないよ。でも、幸運なことに、ベイエリアに住んでる友人{ダチ}がテーピング・コミュニティーでは顔の広い奴だったんで、こいつがオレのことをJEMSに話してくれたんだ。こうしてコネが出来たんで、オレはためらうことなくマスター・テープを送った。数年前だったら、こうした繋がりは出来なかっただろうなあ。音源を公開することの出来たタイミングもぴったりだったと思う。
 自分のレコーディングを聞いて狂喜してるよ。誰かの手にまかせて、こんなに良くなるとは想像もつかなかったからね。この音源の流布に関しても専門知識を持ったJEMSにおんぶにだっこだった。出来るだけたくさんの人にこのショウを無料でゲットしてもらいたかったからさ。
 オレの希望は、皆が無料でこの音源を入手出来るってことだ。だから、ネットでダウンロードしてくれよ。ダウンロードの時に分割し易いように、曲ごとにカットしてあるバージョンもアップしておいた。アービー・ホフマンも『この本を盗め』みたいな本を出してただろ。オレも、この音源を盗めって言いたい。金払って買うな。

どんな点が難しかったんですか?

 このテープにはたくさんの難点があった。40年前のもの古いテープで、しかも120分テープだ[テープが薄くて、耐久性に欠ける。保存には向いてない]。テープの1つは何度かトラブルが生じた後、枠をはずして、パッドを取り替えたんだよ。レコーディング全体を通して、1/4秒〜1/2秒の音のドロップアウトがたくさんあった。ショウの間、オレがレコーダーを動かしちゃったために生じたものだ。 幸運なことに、JEMSは前後の音から欠落を埋める機材を持っていた。素晴らしいテクノロジーだ。
 ちょっと前に触れたスピードの問題もあった。ピッチ問題を解決してくれたJEMSのメンバーは、〈Stairway To Heaven〉は2度と聞きたくないって言ってたよ! ちゃんと聞ける状態になったのは、彼の献身的努力のおかげだよ。

あなたはこのテープがツェッペリン・ファンにこんなに興味を持たれると思っていましたか? それとも、予想外でビックリですか?

 反応に超ビックリしてるよ。この音源については、2013年にレッド・ツェッペリン・フォーラムに投稿したことがあるんだ。6月21日のコンサートに関する書き込みを見て、それに回答する形でね。オレはこのショウを見たよ、自分で録音したテープも持ってるよって。まわりの反応を見たかったっていうのもある。だから、この時には何の反応もなかったので、大きな需要はないと思ってたんだ。なにげない1つの書き込みが、突然、堰{せき}を開いてしまうなんて野暮な言い方もあるけど、でも、それが本当に起こっちゃったんだよ。たくさんの人がオレのレコーディングを楽しんで聞いてくれていることに、オレは正直、ワクワクしてるよ。

このインタビューの後、バウワーは内容を補足するためにこんなコメントをメールで寄せてくれた

 1つはっきりさせておきたいんだけど、オレは自分のYouTubeチャンネルから金銭的利益を得るつもりはないんだ。今後もそうだ。オレ自身、ネットでたくさんのものをダウンロードしてるんで、何かお返しが出来ればと思っている。
 他の動画もチェックしてもらえたら嬉しいね。パール・ジャム(伝説の〈Corduroy〉を聞いてくれ)やスプリングスティーン、U2、テンプル・オブ・ザ・ドッグ(〈Achilles Last Stand〉をやってる)、ニール・ヤング等のなかなかいいレコーディングもあるんだ。全部、前から5列目以内で録音したものだ。


The original article "How the second source of Led Zeppelin's June 21, 1977 show was released and remastered" by ledzepnews
http://ledzepnews.com/2017/11/13/led-zeppelin-june-21-1977-los-angeles-show-listen-to-this-erik-gary-bauer-interview/
Reprinted by permission



   
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2018年02月19日

しつこく書評:ジョン・レノンは、なぜ神を信じなかったのか ロックとキリスト教

 さあ、「第4章ビートルズ」編に行きましょうか。



 まずはビックリしたことから。

(p.158)(『ポール・マッカートニー告白』の引用。1966年5月にロンドンでボブ・ディランに会ったことについて)ポールは「サージェント・ペパーズ…」のさわりの部分を聞かせた。

 これはイチャモンじゃありません。念のため引用元を見てみたら、確かに、この部分は「ペパー」でした。でも、時期からすると《Revolver》じゃないのかなあ。『告白』では、ポールの思い違いらしいものの、本人の言葉なので、そのままにしておこうという判断が下されたのでしょうか?

 ここからは遺憾な点のオンパレードなのですが、『神を信じなかった』本の第4章に登場する引用・参考文献は次のものです:

ポール・デュ・ノイヤー著『ポール・マッカートニー告白』
BARKS(音楽情報サイト)
London Evening Standard(イギリスの新聞)
オッセルバトーレ・ロマーノ(バチカンの新聞)
『スピリチュアル・ビートルズ』(ウェブサイトOVO内のビートルズ特集コーナー)
ハンター・デイヴィス『ビートルズ』
武藤浩史『ビートルズは音楽を超える』
加瀬英明『ジョン・レノンはなぜ神道に惹かれたのか』

 これだけ。作品を論じるのに、特に宗教思想をチェックするのに、日本会議や、教育における体罰容認の会に属している人の著書と同様に、歌詞本くらいはあたってもいいのではないかと思います。

   

(p.159)(イギリスでは)二枚目のシングル「プリーズ・プリーズ・ミー」はチャートで一位を獲得し、それ以降、ビートルズの出すシングル・レコードは、イギリスでもアメリカでも一位を獲得し続けていく。

 〈Please Please Me〉はアメリカでは3位が最高。イギリスでのブレイクとアメリカでのブレイクは時間差があるので、〈Please Please Me〉以降とひとくくりには出来ません。アメリカでは最初の数枚はキャピトルではなく、その傘下のマイナー・レーベルから発売されたものの、リアルタイムではヒットには至らず。反対に、〈Love Me Do〉は1964年になってから全米でナンバー1になってます。それから、〈Please Please Me〉がイギリスで1位を獲得という点も、超細かい人はイチャモンをつけたくなると思います。当時イギリスには統一的なチャートはなく、一部のチャートでは2位止まりだったらしいですから。

(p.159)(ディランと初めて会ったのは)ニューヨークのマンハッタンにあるデルモ・ニコホテルだった
 
 違う。デルモニコ・ホテル。でも、誤植はガミガミ言わないほうがいいですね。私も恥ずかしいことをたくさんやってるので、人のことをとやかく言えません(性格悪いから言ってるけど)。

(p.160)ディランがマリファナを勧めたとか、さまざまな噂が飛び交っているが

 噂ではありません。ビートルズが『The Beatles Anthology』の中で、これは事実と公式的に認めています。ビートルズのことを書くのに、島田はこの本を参照してないみたいです。リンゴもテレビのトーク・ショウで認めています。

   

(p.161)ザ・ヴィートルズとエルヴィス・プレスリーの密会を語る」二〇一〇年一〇月六日、BARKS


 何だこの誤植は! BARKSの名誉のために言っておくと、そのサイトではちゃんとザ・「ビ」ートルズってなってました。私の推測ですが、エルビス、エルヴィスという表現の揺れを後者に統一する際、ワープロで「ビ→ヴィ」と一括変換をして、こうなってしまったのではないでしょうか。私もこれと似た痛いミスの経験があります(編集者が不注意でそうやっちゃったんだけど、最後にもう1度チェックしなかった私にも責任はあります。黒歴史)。

(p.164)ビートルズの曲を追っていった場合、そこにキリスト教の信仰にかかわるものを見出すことは難しい。
(p.170)キリスト教の信仰と関連するものを見出すことは、ほとんどできない。
(p.178)音楽的にもキリスト教信仰の世界から影響を受けた痕跡を見出すことは難しい。       
 何度も繰り返し断言してます。「信仰と関連するもの」を「本気で信仰してることを表す印」といった意味で言ってるのだとしたら、そういうものは見出せないと思いますが、「キリスト教や聖書を連想するような言葉」といったレベルで広義で使ってるなら、発見は難しくはないと思います。実際に、前者が無理なので、島田は後者を探しています。p.181〜で、そういうキーワードが全く存在しない〈Got To Get You Into My Life〉〈Here There And Everywhere〉等を深読みして宗教歌とする説をとくとくと語ったり(『音楽を超える』本の武藤説を紹介しながら)、〈Imagine〉の「brotherhood」で聖フランチェスコや托鉢修道会を連想して、無理矢理キリスト教に結びつけようとしています。このくらいキリスト教臭に敏感なら、嗅覚は次のものにも鋭く反応するはずです。っつ〜か、気がつかないの、おかしいでしょ。ほのめかしじゃなくて、モロだもん。福音書を熟読玩味して、その元となったイエス語録のようなものが存在してた可能性が高いという「Q資料」仮説を導くより、はるかに簡単なことです。大丈夫か、この人?

〈Eleanor Rigby〉教会の歌です、これ。「マッケンジー神父(牧師?)」も登場。
《Christmas Records》毎年クリスマスを祝ってるんですよ。
〈Christmas Time Is Here Again〉クリスマス・ソングを作曲すらしています。ボブ・ディランすらしてないことです。ジョン&ヨーコの〈Happy Xmas〉は後のページでも触れていますが、ポールもリンゴもクリスマス・レコードをリリースしています。
〈I'll Get You〉のコード進行は、神から与えられた試練について歌ったアメリカのフォーク・ソング〈All My Trials〉(ポールはソロ期になってコンサートで演奏。『神を信じなかった』本のエルヴィスのコーナーでは島田もこの曲について語っている)のそれから影響を受けているのではないかと、ロジャー・マッギンは指摘しています。
〈Happiness Is A Warm Gun〉「Mother Superior」
〈Rocky Raccoon〉「Gideon's Bible」
〈The Ballad Of John & Yoko〉「crucify me」が問題となり、放送禁止にした局もありました。
(ビートルズの作品じゃないけど)《Two Virgins》裸ジャケットを包んでる袋には創世記第2章の言葉が印刷

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〈Across The Universe〉「Jai Guru Deva Om」(キリスト教ではないですが、宗教ネタとしては最適)

   

(p.170)(上の文の続き)その点で、同時代のふたりの大スター、エルヴィスやディランと、ビートルズは異なっていたことになる。

 島田は、ゴスペル期以前のディラン(ビートルズの活躍と同時期のディランの含む)にキリスト教的なものを殆ど見出してないので、「異なっていた」というのは自己矛盾。

(p.174)じつのところジョンは宗教、とくにキリスト教に対しては否定的であったように思われる。
(p.176)相当に否定的だった。

 相当に否定的だった人物が毎年欠かさずクリスマス・レコードを作ってファンクラブのメンバーに配るんだ。ふ〜ん。メリー・クリスマスってイエスの誕生を祝福するメッセージも聞こえてきます。
 ただし、この20ページ後でこう言ってます。

(p.196)制度化された宗教に対しては否定的な見解を述べているものの、宗教について学ぶなかで、宗教が説く教えや思想については、むしろそれを評価するような発言を行っている。

 p.174〜にあるジョンが否定していたと島田が言ってる「宗教」は、どうやら「制度化された宗教」の意味だったたようです。私のような頭の悪い読者が戸惑わないように、最初にそれを言って欲しい。ボブのコーナーでも、後になってやっと言葉の定義が明確化する箇所がいくつもあり、読んでるこっちは混乱します。推理小説の伏線じゃなくて論説文なんだからさ。この状態で編集と校閲を通過しちゃったことも驚きです。ちなみに岩波新書等でこうした経験をした覚えはありません。

(p.175)(〈God〉について)魔術や易、聖書、タロット、ヒトラー、イエス、ケネディー、ブッダなど、信仰の対象となることが多いものがあげられ…あえて信じられないものとしてイエスをあげており

 間違っていることを書いてるわけではありませんが、ここでジョンが信じてないものとしてはっきり歌ってるエルヴィスとディランを、島田はどうして指摘しとかないのでしょう? マントラ、ギータ、ヨガとジョージが好きなものも言及を避けています。エルヴィスとディランとビートルズを比較している文なので、この箇所は持論を展開するのに格好のネタなので、指摘しない理由が全くわかりません。言及に値せずという島田なりの考えがあるのなら、それをこの本で書いてくれたら、内容がもっとずっと深まったのに。
 《Imagine》ネタでいうと、当時作ったプロモビデオ集の最後にこんなシーンがあります。ジョン&ヨーコが水の上を歩いてるように見える映像になればいいなあってことで撮影したようで、それに成功してるかどうかは意見が分かれますが、水の上を歩くというと、約2000年前にそうしたあの人しか連想しません。

Imagine1.jpg


Imagine2.jpg


(p.176)唯一ビートルズの全面的な協力のもとにつくられたものが、ハンター・デイヴィスの『ビートルズ』…「唯一の権威ある伝記」だというわけである。

 「唯一」が間違い。ビートルズ及び当時の関係者の全面的な協力のもとに作られた公式本『Anthology』(2000年発売)について島田は知らないようです。半公式バイオグラファー、マーク・ルイソンによる大作で、殆ど公式本扱いされている『TUNE IN』(2013年発売)も知らないようです。「唯一の権威ある」デイヴィス本は丸っきり嘘で構成されてるわけではないですが、活動全盛期に出た公式本だけに大本営発表的な箇所やちょっと盛ってる箇所、情報操作をしてる箇所がある、というのが現代での評価です(重要な文献ではあるのですが)。そんな本を「唯一」だの「権威」だのをことさら強調するのは、それを引用してる私は時代遅れで、最新の研究はチェックしてませんてことを告白してるのと同じです。ただし、島田の名誉のために言っておくと、今回、この本で引用した部分(メンバーの幼少期、少年時代に関することがら)はOKだと、私は思います。

   

(p.177)(ジョンは)むしろ無宗教の環境の中で育っていったように見受けられる。…ポール、ジョージ、そしてリンゴにも共通していえることだった。

 この箇所を読んで、私はこう考えました:常識的に考えて無宗教の環境であるはずがありません。欧米の人は、たとえ自分が特に信者でなくても、身近なところに教会があって、キリスト教徒がたくさんいて、基本的な聖書の物語やキリスト教のたどった歴史は何度も聞かされ、教義のあらましは知ってる状態です。クリスマスや他の祝日もそれなりに楽しんだでしょう(ビートルズ全盛期には毎年クリスマス・レコードを作ってたくらいですから)。ジョンとポールが出会ったのも、教会で行なわれたちょっとした催しにおいてです。やんちゃな少年少女が教会に気軽に出入りすることが出来るほど、教会は生活にとけ込んでたことになります。ジョンは幼い頃、近所のストロベリー・フィールズで毎年行なわれる救世軍バンドのパーティーに、ミミおばさんと一緒に行ったそうです。それを無宗教と言うのでしょうか?
 私が想像力を働かせるに、島田は「無宗教の環境」を「厳密に宗教度がゼロの環境」ではなく、「特に何かの宗教を自分から熱心に信じることもなく、入信の儀礼を通過することもなく、まわりからも信仰を強要されることもなく、クリスマス等のお祭りは宗教的信仰の自覚なく祝い、楽しむ程度の環境」というゆる〜い意味で使ったのでしょう(島田には上のような「無宗教」に関する著書があるので、今度、取り寄せて読んでみます)。だとしたら、私のようなロックが大好きなクルクルパーにでもすんなりそういう意味で読めるような「環境」を、本書のここに至るまでのどこかで工夫して作っておいてもらいたいです。それが物書きとしてのテクニック、編集者の腕の見せ所でしょうに。

(p.181)宗教音楽とのかかわりということでは、ポールだけが特別な経験をしていた。(父親が)ポールをリバプール大聖堂の聖歌隊に入れようとしたことがあった。

 数ページ前で、全員、無宗教の環境の中で育ったって言ったばかりなのに、矛盾してます。どう考えても、身近なところに宗教が存在しています。編集や校閲も、矛盾を著者に指摘して、直させなければいけないのでは。

(p.194)(〈My Sweet Lord〉について)ただ、その後、ジョージはこうした曲を歌ってはいない。

 「こうした」が指してるのが「キリスト教とインドの宗教の融合を説くもの」だったら、その通りでいいと思いますが、「(広義で)神を礼賛した歌、宗教臭がただよう歌」を指しているとしたら、次の曲はいかがでしょうか(探せばもっとあるでしょう):

〈Here Me Lord〉〈My Sweet Lord〉と同じアルバムに入ってるんですけどね。
〈The Lord Loves The One (That Loves The Lord)〉
〈Give Me Love〉(神的な存在に、愛をください、地上に平和をくださいとお願いしている歌です)
〈Living In The Material World〉
〈It Is "He"(Jai Sri Krishna)〉
〈Writings On The Wall〉 旧約聖書『ダニエル記』に出てくる言葉。よくないことが起こる兆候です。
〈P2 Vatican Blues (Last Saturday Night)〉 生前にある程度完成し、没後に息子のダニーらが手を加えて完成したアルバム《Brainwashed》に収録されていて、歌の主人公----恐らくジョージ----は自分を「元カトリック」と言ってます。これ、ジョージの思想遍歴を語るのに格好のネタじゃないですか。
〈Brainwashed〉 「Namah Parvati」マントラを収録

   

(p.198)(キリスト発言騒動の時には)イエスについてもキリスト教についても、さらには宗教全般についても、ほとんど何も知らなかったことが示されている。

 ヨーロッパで生まれ育った人がキリスト教について殆ど何も知らないなんて、常識的に考えてありません。イエスがどんな存在かある程度は知ってたからこそ、インタビューの場で「ぼくたちはイエスよりも人気がある」なんて発言をしたのでしょう。島田は宗教学者なので「知ってる」と言えるレベルを一般人の平均より高く設定してる可能性もありますが、万民向けの平易な著書がたくさんあることから察するに、上から目線の人じゃないと思いますけどね。
 この発言をした時、ジョン宅にはヒュー・ショーンフィールド著『The Passover Plot』という本があったことが、インタビュワーのモーリン・クリーヴスによって確認され、記事にも書かれています(ジョンの発言が英語でそのまま引用されてるので、記事全体を読みましたよねえ?)。当時、ちょっと物議を醸した神学本だそうです。ジョンがこの本をじっくり読んだかどうかはわかりませんが、最後の晩餐〜ユダの裏切り〜十字架刑というイエスの物語をある程度知ってる人でないと、そもそも、この本には興味を持たないと思います。

   

(p.189)『アビイ・ロード』のアルバムで電子ピアノを弾いていたビリー・プレストン

 ハモンド・オルガンだと思います。電子ピアノを弾いてるトラックはないと思います。今後、詳しいデータが判明・発表されたら、電子ピアノもってことになるかもしれませんが…。

 最後はイチャモンじゃありません。建設的(と私が思ってる)要望です:

(p.199)ジョンがかかわったビートルズの曲に登場する「彼女」は、日本宗教の文脈においては、観音や弁天といった女性を思わせる仏、ないしは神のことを想起させる。

 〈Got To Get You Into My Life〉や〈And Your Bird Can Sing〉に関する他人の説の紹介なんかにたくさんの紙面を割くより(だって武藤本を読めばいいんだもん)、ジョンと観音と弁天に関する超オリジナルな島田説を50ページくらいかけて説明してよ。こういう面でこそ宗教学者としての本領を発揮して欲しいんです。読みたいのはそれです。それこそ関心も知識もない音楽評論家には書けないことです。
 レノンの作品に見られるこうした女性性に注目した本としては、ユングの原型論をもとに心理分析した『Mother--心理療法からみたジョン・レノン』(待鳥浩司・著)があります。読んで大感動の名著でした。なので、観音と弁天も、私はそんなに的外れだとは思いません。ただ、『Mother』はヨーコと出会ってからの曲の分析が中心であるのに対して、島田はそれ以前の〈She Loves You〉〈She Said She Said〉〈Norwegian Wood〉〈You're Going To Lose That Girl〉〈Every Little Thing〉〈I Feel Fine〉といった曲についても、そう言いたいのでしょうか? しかし、こうして話が面白くなる気配が出てきたのに、『神を信じなかった』本では章の締めくくりに入り、ビートルズの話はひとまず終了となってしまいます。とても残念です。

 第5章は「ロックがキリスト教化する必然性」というテーマで、ローリング・ストーンズやエリック・クラプトン、スティング等が取り上げられていて、ここでもツッコミどころはたくさんあります。
 
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2018年02月14日

書評:『ジョン・レノンは、なぜ神を信じなかったのか ロックとキリスト教』

 島田裕巳・著『ジョン・レノンは、なぜ神を信じなかったのか ロックとキリスト教』(イースト新書)は宗教にからめてロックを語った本としては日本では画期的で、しかも、執筆者が音楽評論家ではなくて有名な宗教学者ということで、そこらのロック関連書籍とは違うものになるだろうと期待度の高い本でした。ロックの専門家ではない、大学で他の専門分野を研究している人の書いたロック本としては、『ビートルズは音楽を超える』(武藤浩史・著)が、英文学やイギリス社会史とからめて、音楽ファン(ロックに夢中で学校の勉強をサボり、成績が悪かった人ばっか。私もそうです)にはない視点からビートルズを語った名著だったので、こっちもと期待していました。



 『神を信じなかった』本を実際に手に取ると、さっそく「はじめに」の中で(日本でロックとキリスト教の関係が知られてこなかったのは)「音楽評論家たちが、まったくといっていいほど、ロックの背後にある、あるいは西欧の音楽全体の背後にあるキリスト教の信仰について関心を持たなければ、知識もなかったことがあげられる」(p.006)とあります。裏を返すと「宗教に興味も関心もある学者の私が書くことは、勉強が足りてないロック・バカとは違いますよ」と受け取ることが出来ます。実に頼もしい。まさに、そういう本を待ってたのです。
 第1〜2章のピーター・ポール&マリーの宗教色、ゴスペル大好きエルヴィスまではイケイケ状態の書きっぷりです。エルヴィスが実は信心深い純朴な人間で、ゴスペルが大好きだった件は、カジュアルなファンでも知ってることですが、米宗教史とからめたその位置づけは、関心と知識のある宗教学者ならではのものです。しかし、第3章からボブ・ディランのことを話し始めると、アレレ?という箇所が現れ始めます:

(p.115)(1965年ニューポートに関する説のひとつを紹介)〈It's All Over Now, Baby Blue〉をヤーローとデュエット

 デュエット説の存在は初耳です。私の勉強不足でしょうか? 何人かの知人にも質問してみましたが、デュエット説は知らないとのことでした。何かの本に載ってるのでしょうか?

(p.120)『ジョン・ウェズリー・ハーディング』のアルバム・ジャケットでも、ふたりのネイティヴ・アメリカンにはさまれたディランは

 ネイティヴ・アメリカンじゃなくてインド人。

   

(p.120〜121)(《Nashville Skyline》について、これを聞いた時の佐野元春の驚きと、「音楽雑誌は判断を迷っていた。私は声まで変えていたのだ。みんなが頭を抱えていた」というボブ本人の言葉を引用した直後に)聴衆は、社会に対してプロテストする歌よりも、安心して聴ける曲を求めていた。…社会からは支持されたのである。

 ボブの発言は「みんなから支持されなかった」という意味だと私は解釈してます。それと正反対の「社会から支持された」という論調は、この本で初めて読みました。私の勉強不足か?

(p.129)湯浅の著作では、ディランがこの時代にボーン・アゲインということばを使った覚えはないと、わざわざ証言したことを紹介している。

 〈In The Garden〉の歌詞はチェックしなかったのでしょうか?

(p.129)新生を経験するということは、なんらかの宗教体験をすることを意味する。では、ディランにはそうした体験はあったのだろうか?

 この問題提起の後、「公演中、ファンがステージに投げた十字架を拾った」「ホテルの一室でイエスと会った。イエスは肉体として現れた」等の宗教体験の話が全く紹介されていません。伝記本にはよく出てくる話なのに、どうして触れてないの?

(p.129)一九七八年に『レナルド・アンド・クララ』という映画を製作

 1978年は公開。制作は1975〜77年。

(p.135)ゴスペル期になるまで、キリスト教の信仰と関連するような曲をディランはほとんど作ってない。
(p.139)ゴスペル期になるまで…聖書に登場する語句や人物が出てくることもあまりない。
(p.147)ゴスペル期以前に、彼が自作の曲に神を登場させなかったことを…
(p.154)自分で作った曲には、宗教色が欠けている

 第3章でこの点をしつこく繰り返しているので、島田は自信を持ってそう判断してるのでしょうが、以下の歌詞はどうでしょう? 「神はアブラハムに、お前の息子を殺して私にささげなさいと言った」で始まる〈Highway 61 Revisited〉は? 〈Rainy Day Women #12&35〉の「石を投げる」はイエスが生きてた頃のユダヤの刑罰を連想しないか? 〈Desolation Row〉にはカインとアベルが登場。〈The Lonesome Death Of Hattie Carroll〉の「slain by a cane」はカインによるアベルの殺害も連想させる懸詞でしょうに。〈When The Ship Comes In〉には海が分かれる、ゴリアテ、ファラオという言葉が登場して旧約聖書臭ぷんぷん。〈George Jackson〉に「Lord」が登場。〈No Time To Think〉では「キスによって裏切られ」と歌っている。〈Sign On The Cross〉はもろ十字架。〈Idiot Wind〉には「十字架上の孤独な兵士」。〈Joey〉には「天国にいる神が…」。〈I Shall Be Free No.10〉には「天国のストリート」。私が自分の粗末な脳味噌でちょっと思い出しただけで、これだけ出てきます。歌詞本を調べたら、もっと出てくるでしょう。これでも「ほとんど作ってない」のでしょうか? こうした曲が何曲あれば「少し」もしくは「まあまあ」作ってることになるのでしょうか? 数十ページ先で、ジョン・レノンの〈God〉の「I'm John」に『ヨハネの福音書』を連想するほどキリスト教関連の言葉に敏感な人なら、以上の歌詞にもビビビッとくるはずなんですが…。もしかして、島田は歌詞集をチェックせずして歌詞について論じてるのか?

   

(p.147)『ノックト・アウト・ローデッド』は、マハトマ・ガンジーやマーティン・ルーサー・キング牧師、そしてイエス・キリストが理不尽に殺されたことを神に対して訴える内容になっている。

 アルバム全体がこういうテーマなのではなく、その中の1曲〈They Killed Him〉がこういう内容。島田はこの曲がクリス・クリストファーソンの曲とは気づいてなさそうです。

(p.150)彼が作り演奏した音楽を追っていくかぎり、信仰上の葛藤があったようには見えない。

 1979〜80年前半のツアーでゴスペル曲しか歌わなかったのは、過去の曲と信仰上の葛藤があったからです。ボブもそう語ってます。島田は「演奏した音楽」を本当に追ったのでしょうか?

(p.152)コンサートがはけてから、バックコーラスのメンバーと夜を徹してゴスペルを歌った。そうした面はディランには欠けていた。

 映画『Renaldo And Clara』には、コンサートではない場所で〈People Get Ready〉を歌ってる様子が収録されています(別のシーンのバックとして、音だけ)。この曲はジャンルとしてはソウル/R&Bとされていますが、十分ゴスペル風の曲じゃないですか。なので、「欠けていた」という断定的な表現には違和感を覚えます。


 
 普通、この手の本には巻末に参考文献の長いリストが載っているものなのですが(それを見ると著者の研究のレベルもわかります)、この本にはありません。でも、さすが学者です。本文中にしっかり書いてありました。ボブとキリスト教に関して扱っている第3章で引用元として触れられているのは、次のものでした:

湯浅学『ボブ・ディラン----ロックの精霊』
佐野元春『ハートランドからの手紙』
マイケル・J・ギルモア『Gospel According To Bob Dylan』
ハワード・スーンズ『Down The Highway』

   

 これだけです。湯浅、ギルモア、スーンズの本はボブのキャリア全般を鳥瞰した内容のものであり、ボブと宗教についても書いてなくはありません。しかし、ボブと宗教というテーマなら、それを本格的に論じた最新の研究をチェックしない理由がわかりません。昨年中に《Trouble No More》にあわせて出版された『Trouble In Mind』(クリントン・ヘイリン著)や、一足先に出た『Bob Dylan: A Spiritual Life』(スコット・マーシャル著)を島田が読んだ様子はありません。時間的に可能なのにです。ボブはずっとイエスを信じていたと主張する『Dylan Redeemed: From Highway 61 to Saved』(スティーヴン・H・ウェブ著)も、何だかんだ言ってボブはずっとユダヤのルーツを捨ててないと主張する『Bob Dylan: Prophet Mystic Poet』(セス・ロゴヴォイ著)も読んだ様子はありません。どうして?

   

 途中は以上のようにツッコミどころ満載なのですが(変な箇所はまだまだある)、島田が至った「〜ではないだろうか」という暫定的結論は、なかなかいいところを突いてるんです。まとめると、こうでしょうか:ディランはユダヤ教の通過儀礼を経験したものの、その信仰世界を深く探求することはなく、キリスト教徒もたくさんいるアメリカ社会の中でアメリカ人として生きてきた。短期間、キリスト教の信仰に没頭したが、その熱がさめた後も、ゆる〜く信仰を持ち続けているのではないだろうか。
 さらに、こんな良いことも述べてます。「無宗教を自覚するわれわれ日本人に近いのかもしれない。日本人は、通過儀礼は神道と仏教でやりながら、自分たちは信仰を持っているという自覚は持たない」「キリスト教のボーン・アゲインの信仰と、ユダヤ教の通過儀礼とでは次元が違うわけである。次元が違うということは、必ずしも両者が衝突しないということを意味する」「アメリカに住むユダヤ人全体に共通するもので、別格珍しいものではない」 これは気がつきませんでした。あっちになったこっちになった的な議論ばかりを聞き(いわば、ウェブvs.ロゴヴォイ)、宗教は日本人には理解出来ない話題だと半ば諦めていましたが、時々迷走してる文の最後になって面白い視点が提示され、ハッとました。
 とはいえ、宗教学者の関心と知識が生かされてる本とはあまり思いません。レーガン政権で一気に保守化が進み、キリスト教の一部宗派が政治に関心を持ち始め、政治家が票田としての宗教界に目を向けるようになったのと(子ブッシュ時代のネオコンにつながる)、ボブのゴスペル期は時が一致しています。ジョン・レノン&ヨーコ・オノはゴスペル・ボブが気に入らなかったのに、その直後に作ったアルバム《Double Fantasy》の〈Starting Over〉や〈Hard Times Are Over〉はバリバリのゴスペル・サウンドです。フランク・ザッパも《You Are What You Is》の〈Heavenly Bank Account〉でバリバリのゴスペル・サウンドに乗せて宗教ブームを皮肉っています。これが全部、同じ時期に起こってるんです。時代的な何かがあるはずです。島田は年齢と学歴からすると、宗教に対する関心と知識を持ちながらリアルタイムでこの頃の世界を見ているはずで、現に『芸能人と新宗教』『反知性主義と新宗教』という著書もあるので、何か言うべきことを持ち合わせてはいないのでしょうか? 現代アメリカにおけるさまざまな宗教運動・団体(例のヴィニヤードなんとかやジューズ・フォー・ジーザスなど)の活動や主張を、日本人にわかりやすく説明してくれればいいのに。ボブはどういう思想を持った人たちに混じって、どういう勉強をしたのでしょう? 聖書の勉強というのは、先生がどういうことを教え、生徒は何をするのでしょう? コンテンポラリー・クリスチャン・ミュージック(CCM)という音楽ジャンルにおいて、ボブはどういう位置づけなのでしょうか? ボブはCCMからどういう影響を受け、どういう影響を与えたのでしょう? わからないことだらけです。知りたいことだらけです。「はじめに」で音楽評論家を元気良くディスってる割には、学者の本は取り上げず(ウェブ、マーシャルは宗教学者です)、音楽評論家やミュージシャンの書いた本しか参考にしてないし、中身はそれをはるかに下回るレベルというていたらく。こういう本のことを、買って後悔の駄本と言います。きっと、昨今のビートルズ人気とボブ・ディランのノーベル文学賞受賞にあやかって、それで何か書かないか?というオファーが来てから、それまで特に関心も知識も持ってなかったボブと宗教に関して、評判の良い本を数冊読んで(たぶん斜め読み)適当なことを書いちゃったのでしょう。そんな雰囲気がパない、つめの甘い本でした。(なのに、この記事にアマゾンのリンクを貼っておく私は相当な偽善者です)

   

 以上、第3章までのツッコミ&感想です。第4章からビートルズの話になるのですが、こちらもツッコミどころ満載。気が向いたら、何か書きます。
 ロックと宗教というと、『ロックミュージックのオカルト的背景』という本もそろそろ出るようです(宗教とはちょっとズレてるか)。
http://www.shikokuanthroposophiekreis.com/2017/12/blog-post_18.html
posted by Saved at 10:43| Comment(0) | Bob Dylan | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする