2018年01月10日

ドアーズ/ビートルズつながりで2題

 ドアーズに関するトリビア満載の面白サイト「THE DOORS EXAMINER」を発見しました。興味深い話題がわんさか掲載されているのですが、主筆のジム・チェリーさんのご好意で、ビートルズに関連した2題をこちらでも紹介できることになりました。


ビートルズとドアーズはメンバー同士会ったことがあるのか?
文:ジム・チェリー


 ビートルズとドアーズは活躍の時期こそ重複していたものの、交流は殆どなかったようである。どちらのバンドの活動を綴った本にも、メンバー同士が会ったとは全く書かれていないし、一緒に写っている写真も1枚も存在しない。しかし、両バンドの間に繋がりがあったことを示す証拠文書があり、メンバー同士が会ったと考えるに値する風説も存在する。
 ビートルズとドアーズの最初の縁は、ドアーズがバンドになり始めたばかりの1965年9月にあった。エレクトラ・レコードの創設者、ジャック・ホルツマンはクラシックのアーティストがビートルズの音楽を演奏しているアルバム《The Baroque Beatles Book》を制作中だったのだが、ビートルズからダメ出しが出ることを恐れた彼は、ロンドンに飛んでジョン・レノンとポール・マッカートニーと会見し、ふたりからこのプロジェクトに対する祝福の言葉をもらったのだ。



 ドアーズ初のヨーロッパ・ツアー(1968年9月)の後、ジム・モリソンとパム・カーソンはロンドンでアパートメントを借りて、数週間、この地に滞在していたのだが、この頃、ジム・モリソンはアビイ・ロードで〈Happiness is a Warm Gun〉をレコーディング中のジョン・レノンと会ったという噂がある(セッションは1968年9月23〜25日にアビイ・ロード第2スタジオで行なわれていた)。これは十分ありえることだ。ホルツマンがビートルズと会ったことをモリソンが知っていて、紹介してくれと彼にお願いした可能性は高いだろう。この曲のコーラスにはモリソンが参加しているという説もある。
 モリソンがロサンゼルスに戻った後の話だが、彼がアビイ・ロードを訪問したお礼に、ジョージ・ハリスンが1968年11月に《The Soft Parade》のレコーディング中のドアーズを表敬訪問したという噂もある。詳しい日時は不明だが、11月29日のことだったとする情報源もある(ハリスンのこの時の渡米の主な目的は、ニューヨーク州ウッドストックにあるボブ・ディラン宅の訪問)。《The Soft Parade》はドアーズが初めてジャズや管弦楽のミュージシャンを起用した作品で、完成に9カ月を要し、1969年7月に発売された。ハリスンは複雑な作業過程を見て、《Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band》のレコーディングを彷彿させると語ったらしい。
 1969年9月に、ドアーズはトロント・ロックンロール・リヴァイヴァル・フェスティヴァルのトリを務めたが、当初、チケットの売れ行きが芳しくなく、主催者側ではコンサートの中止も考え始めていた。そんな状況下で、このイベントの司会を務めることになっていたキム・フォウリーはジョン・レノンと連絡を取って、開催に力を貸してもらうことが出来た。このショウの時にレノンがドアーズの誰かと会ったという報道は全くないが、レイ・マンザレクは、バックステージに用意されていた食べ物をレノンの側近が全部食べてしまったと報告している。

The original articles "The Beatles-Doors Connection" and "The Doors-George Harrison Connection" by Jim Cherry
http://doorsexaminer.com/beatles-doors-connection/
http://doorsexaminer.com/george-harrison-visit-doors/
Reprinted by permisson

   


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2018年01月08日

ブッチが回想するトリッピーな大晦日ライヴ

 昨年の今頃、オールマン・ブラザーズ・バンドのブッチ・トラックスが銃で自殺という悲しいニュースを聞きましたが、彼が2011年7月から13年5月まで『the world according to Butch Trucks』というブログで面白いエッセーを発表していたことを、つい最近になって知りました。しかも、2011年9月には「A Funny Thing Happened On The Way To 1974!」と題して、1973年大晦日コンサートの超笑える思い出話を書いてます。サンフランシスコのカウ・パレスで行なわれ、グレイトフル・デッドのジェリー・ガルシア、ビル・クロイツマンが飛び入りして盛り上がったことで知られている伝説のライヴですが、定説では、ふたりがプレイに参加したのは「*」となってます。しかし、ブッチの記憶によると、ビルはもう少し早くからプレイに参加していた模様です。それにしても、オウズリー、悪いやっちゃ。

Setlist: Allman Brothers Band Cow Palace San Francisco, CA 12/31/1973
Wasted Words, Done Somebody Wrong, One Way Out, Stormy Monday, Midnight Rider, Blue Sky, In Memory Of Elizabeth Reed, Statesboro Blues, Southbound, Come & Go Blues, Ramblin' Man, Trouble No More, Jessica, Les Brers In A Minor, Drums, Les Brers In A Minor, Whipping Post Jam*, Linda Lou/Mary Lou*, Hideaway/You Upset Me*, Bo Diddley*, 21 Mountain Jam*, Bo Diddley*, Save My Life*, Blues Jam*, You Don't Love Me*, Will The Circle Be Unbroken*, Mountain Jam*
* with Boz Scaggs, Jerry Garcia & Bill Kreutzman





1974年を迎えながら起こった笑える出来事
文:ブッチ・トラックス


 1970年3月13、14日、オールマン・ブラザーズは初めてニューオリンズのザ・ウェアハウスでコンサートを行なった。この会場にはマジックがある。ここは元は埠頭の綿花の倉庫で、かつては輸出前の綿花をここで保管してたんだ。木で出来ていて、音響も最高。当時、オレたちがプレイしてたどの会場にも劣らない最高の雰囲気があった。1970年12月31日にザ・ウェアハウスで初めて大晦日コンサートをやって、同じようなイベントは1972年12月31日まで毎年続いた。この頃には、《Eat a Peach》がマルチプラチナムに届き、マディソン・スクエア・ガーデンやスペクトラムといった会場もソールド・アウトするような状態になってたんで、ザ・ウェアハウスのような2,000席の会場でプレイしたのは、オレたちが純粋に楽しみたくてやったことだった。あそこでやった大晦日コンサートは伝説になった。コンサートをやりながら新年を迎えるのが楽しくて、会場が閉鎖になるまで3年間は続けたんだ。
 1973年も大晦日が近づいて来てたんだが、ザ・ウェアハウスはもうない。ということで、マネジメントとビル・グレアムは、サンフランシスコのカウ・パレスで1973年12月31日と1974年1月1日に2夜に渡ってコンサートを開催するというアイデアを出してきた。どちらのショウもすぐに売り切れたので、全米のラジオで生中継することも決定した。リスナー数は、フランクリン・ルーズベルト大統領の炉辺談話以来、最多となる見込みで、実際にそうなった。今でも、この記録は破られてないと思う。
 とにかく、会場にいる2〜3万人とラジオを聞いてる数百万人に向かってプレイする準備をしてると、誰かがオレに教えてくれた。一緒にジャムるために、グレイトフル・デッドの連中が既に来てるぞと。デッドとはフィルモア・イーストで一緒にコンサートをやったことがあるんだが、それ以前、オレは1度しかトリップした経験がなかった。デッドにはオウズリー・スタンリーっていうローディーがいた。こいつは文明化された世界の大半のためにLSDを製造してる化学者で、あらゆる人間に一服盛ることがこいつの目標だった。フィルモアでのあの晩、オレたちのビールを冷やすための氷水の中に純度の高いアシッドがオウズリーによって仕込まれてて、ビールを飲んだら、缶についた氷水に含まれてるLSDを摂取し、完全にトリップすることになっちまった。あの晩、オレは1缶以上のビールを飲み、ショウが中盤に差し掛かる頃には、プレイ出来ない状態になっちまったのだ。
 そいつがカウ・パレスで行なわれる大晦日コンサートに来てると聞くやいなや、オレは自分のワイン・ボトルを掴んで、封を切った後は手元に置き、他の物は絶対に飲まないようにした。フィルモアでの出来事を繰り返したくはなかったのだ。新年を迎えたのはファースト・セットの後だった。1974年元日を迎える様子のラジオ放送はこのサイトで聞いてくれ:

http://www.concertvault.com/the-allman-brothers-band/cow-palace-december-31-1973-set-2.html

 そこまではいい調子だった。オレたちはセカンド・セットを開始した。しかし、その約1時間半後、ジェイモーとオレのドラム・デュエットが含まれることになってる〈Les Brers in A Minor〉の直前に、オレのドラムが宇宙空間を漂い始めたのだ。ドラムを叩いても、マシュマロを叩いてるような感じになっちまったんだ。オレは思った。「また、あいつにやられたぜ」って。振り返ると、ビル・クロイツマンが立っていた。イエス・キリストのように見えたね。後光もさしていた。オレは持ってたスティックを差し出して、ドラムを叩いてくれないかとお願いした。オレはもう音楽についていけなかった。ビルは引き受けてくれた。続いて、本来ならばオレが数百万人のオーディエンスの前で大活躍するはずだったところでも、ビルが演奏した。オレはステージの端に移動して、残りのショウを堪能した。その後の、ジェリー・ガルシアと、ずっとオレのドラムを叩いているビル・クロイツマンとのジャム・セッションも含めて。
 数年後、オウズリーに会った時に聞かされた話なのだが、奴は水鉄砲にLSDをたっぷり仕込んだ後、フロア・タムの下に置いてあったオレのワインボトルに近づいて狙い、遂にそのいたずらをやり遂げたとのことだった。してやられたぜ。


The original article "A Funny Thing Happened On The Way To 1974!" by Butch Trucks
http://thebutchtrucks.blogspot.jp/2011/09/funny-thing-happened-on-wayto-1974.html


   
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2017年12月29日

2017年度ボブリオバトル

 最近、ビブリオバトルという遊びがはやってるそうです。自分が面白いと感じた本を紹介し、誰がいちばん皆を読みたい気持ちにさせるかを競うゲームなんですが、それをボブ・ディラン関連書籍限定(ボブリオバトル)でやるとしたら、私が紹介したい今年の1冊は、《Trouble No More》に合わせて出版されたクリントン・ヘイリン著『Trouble In Mind』です。この本は、現在流通しているテープや当時のコンサート評、そして、オフィシャル筋が最近になって調査を許した膨大な資料を材料にして、ボブのゴスペル期の活動や世間受けを時系列に沿ってまとめた労作で、そのおかげで、スタジオ、ライヴ両面において、一気に見通しが良くなりました。ボブが曲間でしゃべった説教も丁寧に文字化してあります。

   

 1979〜80年前半のツアーはリアル・タイムで海賊盤がリリースされず、コンサートが行なわれなかった日本で暮らすファンにとっては、伝わってくるのは芳しくない評判のみで、音源は皆無。本当に暗黒時代でした。81年のツアーはかろうじていくつかのブートが出ましたが、もはやセットリストがゴスペル曲オンリーではなくなってる頃のショウを収録したものでした(だからこそリリースされたのだと思いますが…)。私自身の記憶といろんな文献・記録をもとに、当時の主なブートレッグ発売状況をまとめると、こうです:

79-10-20 サタデー・ナイト・ライヴ
  83《Fourth Time Around》
79-11-16 サンフランシスコ
  83《History》
80-01-22 コロラド
  86《Solid Rock》
  85《Little Boy Denver》
80-11-16 サンフランシスコ
  83《Live Adventures Of Bob Dylan And Jerry Garcia》
80-11-26 サンディエゴ
  85《Highway 80 Revisited》
80-11-30 SE
  83《History》
80-12-03 ポートランド
  83《History》
81-07-10 オスロ
  86《Live In Oslo》
81-07-14 バード・ゼーゲベルク
  81《Hanging In The Balance》

81-07-17 ローレライ
  83《Snow Over Interstate》

81-07-18 マンハイム
  82《Waiting At The Gates Of Eden》
  82《No Sin Inside The Gates Of Eden》

81-07-21 ウィーン
  83《Zimmerman's Joy》

81-11-12 ヒューストン
  86《Cookies Favorite》
  88《Standing Room Only》
79〜81年のレア曲のコンピレーション
  83《Nearer To The Fire》
  83《May Your Song Always Be Sung》
  84《With Wild Wolves All Around It》
  85《Don't Sing Twice》
 
 コンサートの翌「週」にはブートレッグが発売される現代(「当日」、終演30分後にオフィシャル・ブートを発売するバンドもあります!)とは違い、35年以上前は時間の流れがゆっくりだったことを考えると、翌「年」にレコードがリリースされていたら「リアル・タイム」のうちに入るでしょうか。すると、この基準を満たしたアルバムは《Hanging In The Balance》(高校生の時に買いました)と《Waiting At The Gates Of Eden》《No Sin Inside The Gates If Eden》のみ。「リアル・タイム」を「翌々」年まで広げたとしても、その範疇に入るアルバムはあまり増えません。79年のコンサートを(ほぼ)完全収録した史上初のアルバム《History》というのは20枚組ボックスセットで、1度だけ新宿のどこかのレコード屋で見かけましたが、値段から購入を断念したのを覚えています。気軽に買えるアイテムではなかったのです(持ち帰るのも保管も大変)。ゴスペル曲のみのショウの音源が容易に入手出来るようになるには、CDブート時代の到来を待たなければなりませんでした。実際のコンサートから10年以上が過ぎてからです。デジタル時代になると音源の発掘・流通が急速に進み、現在に至るのですが、数年前にはミラード・レコーディングの発見という劇的な出来事もありました。
 一方、スタジオ音源はというと、1990年代前半に、ボブのマネジメントが2名の研究者にテープを調査を許可し、その結果、多くのデータが明らかになりました。しかしそれでも、1981年の《Shot Of Love》のレコーディングは、スタジオを次々に変えながら作業をしていたので、ボブのキャリアの中で最も情報が錯綜していて、全貌が見えてこない時期というのがファンの間の共通認識でした。その最大の原因は、1990年代の調査ではごく限られた資料やテープにしかアクセスすることが出来ず、ボブがサンタモニカに所有していたランダウン・スタジオで行なっていた「リハーサル」と、アルバムの「正式な」レコーディングをごっちゃにしていたことでした(ボブ本人もごっちゃにしています)。が、それを別物として考えるに十分なデータが近年の調査で出てきたのです。霧が一気に晴れました。『Trouble In Mind』巻末の「The Gospel: A Chronology」(p.286〜298)には、正式なアルバムのレコーディングのデータだけでなく、大量のリハーサル・テープひとつひとつに関する大まかな内容も、こんな感じで掲載されてます。

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 ところで、インターネット上の「Gospel Bob: guitarist Fred Tackett on playing with Dylan, 1979-1981」という記事で、フレッド・タケットがリハーサル・セッションに関してこんな聞き逃せない発言をしています(『Trouble In Mind』にも引用されてます):
 ボブは面白いことやったんだ。《Saved》をレコーディングしている時には、その曲ばっかり演奏していた。ボブが曲を書くと、オレたちがそれを覚えて、レコーディングしたんだ。でも、後になって、再び昔の曲も演奏するようになった時、オレはボブから誰かの歌のテープを渡されるようになった。ある時はボブ・シーガーの〈Night Moves〉で、またある時はニール・ダイアモンドの〈Sweet Caroline〉だった。マペットの歌の〈Rainbow Connection〉の時もあった。ボブが「バンドにこの曲を教えてくれ」って言うんで、オレはコード表を書いて、メンバーが来た時に、皆に〈Night Moves〉〈Sweet Caroline〉等を教えた。すると、ボブがそれを歌って録音して、ボブ・シーガーやニール・ダイアモンドに送ったんだ(笑)。
"Gospel Bob: guitarist Fred Tackett on playing with Dylan, 1979-1981" by Tim Cumming

 まさに「Chronology」に書かれていることと一致しています。よく見ると〈Sweet Caroline〉や〈Rainbow Connection〉に混じって〈Willin'〉という曲名も見えます。『Trouble In Mind』には特に何も書かれていませんでしたが、これは誰もが連想する通り、リトル・フィートの曲です。1999年12月のフィートの来日公演の際に、私がフレッドに直接確認しました。このリストに載ってるということは、演奏がテープに記録されているということなので、いつか発表されることを希望します。
 さらに、ボブがリハーサルでこんな遊びをやっていた理由を、フレッドは同じインタビューで次のように洞察しています:
 ボブは何も言わなかったけど、オレはいつも思ってたよ。ボブはオレたちにアレンジを固定して欲しくないんだって。ボブはオレたちにバンドとしてリハーサルをさせたかった。ただし、自分の曲を料理し過ぎてダメにして欲しくはなかったんだ。だから、オレたちに他の人の曲を課題として与えたんだよ。その後、ステージに上がってボブの曲をプレイするわけなんだけど、少ししかリハーサルしてないから、アレンジが固まってもいないし、自分のパートにウンザリしてもいない。上手くいく秘訣はそれだと思ったよ。凄い作戦だ。こんなことをする人には会ったことない。バンドに稽古をつけるには良いやり方だ。皆が一緒にプレイし、しかも、曲が演奏し過ぎてヨレヨレの状態にはならない。(この箇所も『Trouble In Mind』に引用)
"Gospel Bob: guitarist Fred Tackett on playing with Dylan, 1979-1981" by Tim Cumming

 ところで、いつもなら年末になると、著作権延長用に何らかの音源がリリースされるのですが、今年はそういうリリースはなさそうです。順番からすると、次は《John Wesley Harding》のアウトテイクなんですけどね。
 現在判明しているボブの来年の予定としては、引き続き行なわれるツアー活動と、マーティン・スコセッシ監督が作ってるローリング・サンダー・レビューのドキュメンタリー映画の封切りがありますが、この他にも予期せぬサプライズがたくさんあるといいですね。


   

 
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2017年12月24日

ジョージが所有していたテレキャスをジェリーが弾く

 グレイトフル・デッドに関する「いい話」をまとめた本『Songs to Fill the Air: Tales of the Grateful Dead』が出版されました。その中にはこんなトリビアも載っています。著者のスコットさんから掲載許可をいただくことが出来たので、ここで紹介します。



ジョージが所有していたテレキャスをジェリーが弾く

文:スコット・W・アレン



 フィル・レッシュが写真家のリンダ・イーストマン(後に姓はマッカートニーになる)とディナー付きデートをしている件から、2016年夏にポールがボビー・ウィアをボストン公演に招いて一緒に演奏したことまで、デッドヘッズはグレイトフル・デッドをビートルズとつなげる物語を探しているが、今回は1つ、いい話を紹介しよう。

 1970年6〜7月に、カナディアン・ナショナル鉄道をチャーターしてカナダを横断するフェスティヴァル・エクスプレス・ツアーが行われた。このツアーでは全5回のコンサートが開催されたが、カルガリーで行なわれた2公演のうちのどちらかで、ジェリー・ガルシアとデラニー・ブラムレットがイアン&シルヴィアのステージに飛び入りして、一緒に〈C.C. Rider〉を演奏するというサプライズがあった。このゲスト・スポットの間にガルシアが弾いてたのが1968年に製造されたローズウッドのフェンダー・テレキャスター(シリアルナンバー#235594)なのだが、これこそまさにジョージ・ハリスンが1969年1月にアルバム《Let It Be》のレコーディングや、1969年1月30日にアップル屋上で行った42分間のギグ(ビートルズが人前で行なった最後のコンサート)、クリームの〈Badge〉のレコーディングで使用していたギターなのだ。
 ジョージの息子、ダニー・ハリスンは、これは父親のお気に入りのギターだったと語っている。
 フェンダー社の職人、フィル・クビキがローズウッドを使用して作ったカスタムメイドのテレキャスターを、同社がジョージにプレゼントしたのは、1968年12月のことだった。
 FeelNumb.comというウェブサイトには次の情報も載っている:「1969年12月1日に、ハリスンはデラニー&ボニーのロイヤル・アルバート・ホール公演を見に行った。すると、その晩の出演者のひとりだったエリック・クラプトンから、ショウ終了後に、イギリスとデンマークで予定されている残り数公演に参加しないかと打診された。翌日、ハリスンはツアーに加わり、デラニー・ブラムレットにこのギターをプレゼントした」
 ジョージはデラニーに「これは昨晩、親切にしてもらったことへの感謝の気持だ」と言った。
 デラニー&ボニーはフェスティヴァル・エクスプレスのオープニング・バンドの1つだったのだが、7月4日と5日に行なわれたカルガリー公演のどちらかで、デラニー・ブラムレットはガルシアにこのローズウッド・テレキャスターを貸すと、一緒にイアン&シルヴィア&グレイト・スペックルド・バードのステージに飛び入りして〈C.C. Rider〉を演奏した。

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 ジェリーがジョージのテレキャスターを弾いてる間、カウボーイハットをかぶったビリーもこのお楽しみに加わり、リズムに合わせてタンバリンを叩いた。



 フェスティヴァル・エクスプレスには、イアン&シルヴィアだけでなく、トラフィック(トロント公演のみ)、ザ・バンド、ザ・ニュー・ライダーズ・オブ・ザ・パープル・セイジ、テン・イヤーズ・アフター。マウンテン、ザ・フライング・バリトー・ブラザーズ、デラニー&ボニー&フレンズ、バディー・ガイの他、ヘッドライナーとしてジャニス・ジョップリン&フル・ティルト・ブギーが参加していた。
 ローズウッド・テレキャスターは、2003年にデラニーがオークションに出品した際、俳優のエド・ベグリー・ジュニアがオリヴィア・ハリスン(ジョージの奥さん)とハリスン・エステートの代理として落札した。落札価格は47万ドルだった。
 ハリスンのテレキャスターのボディーに使用されたのがローズウッドなのだが、興味深いことに、これはフロリダー在住のギター職人、スティーヴン・クライプがライトニング・ボルトを作る際に用いた木材でもある。ライトニング・ボルトとは、ガルシアが1993〜95年にステージで使っていたギターで、お好みの1本だった。クライプはフィンガボードにはブラジリアン・ローズウッドを、ボディーにはイースト・インディアン・ローズウッドを使用している。
 ジェリーがローズウッド・テレキャスターの来歴を知っていたとしたら、真夜中に列車がサスカチュワン地方を爆走している間に、〈One After 909〉や〈For You Blue〉といった《Let It Be》に入ってる名曲でハリスンが弾いたリフを、ひとり貨車の中で弾いていた可能性があるのでは----ファンの妄想以上の可能性はあると思うのだが…。

The original article by Scott W. Allen appears in 『Songs to Fill the Air: Tales of the Grateful Dead』 pages 21 and 22
Reprinted by permission


 ちなみに、このテレキャスがデラニー・ブラムレットに渡った経緯やオークションの詳細はボビー・ウィットロックの回想録に詳しいです。デラニーのこと大嫌いみたいなので悪口三昧ですが…。

    


 何と、このテレキャス、フェンダーから再発されました!



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2017年11月23日

ユニオン・カレッジ教授が尼僧に助けてもらってボブ・ディランを隠し撮り

 《Trouble No More》の発売を機に、些細なんだけど面白い事実の証言が世に出てきて、楽しい今日この頃です。

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ユニオン・カレッジ教授が尼僧に助けてもらってボブ・ディランを隠し撮り
文:マイケル・ホシャナデル(ザ・デイリー・ガゼット)


 ウェスト・ソーガティーズ生まれ(後にニューヨーク州ニスカユナ----オルバニーの近く----に転居)の写真家、ユニオン・カレッジ教授のマーティン・ベンジャミンは、ボブ・ディランとは昔から接点があった。
 ベンジャミンは、10代だった頃に、当時ウッドストックで暮らしていたディランが郵便局に入っていくのを目撃した。彼はスターを一目見ようと、回れ右をして郵便局の中に戻った。ディランが1980年4月にザ・パレスで2回公演を行なった時、ベンジャミンもそこにいた。ディランはショウの撮影を禁止していたが、ベンジャミンにはカーロッタ・デュアーテという友人がいた。ボストン出身の写真家でカトリック教会の尼僧をやっている彼女に、機材を持ち込みを手伝ってもらったのだ。彼はディランがギターを高く掲げ、天を指しているショットをものにした。(ディランは同年夏にリリースのアルバム《Saved》に収録されたキリスト教の歌を歌っており、多くの尼僧や牧師は無料で会場に入ることが出来た)
 初日の晩の後、ベンジャミンはフィルムを現像し、紙に焼いた。彼はバンドメンバー(その後、ディランが密かに結婚することになる女性シンガーも含む)がディランと同じフレームに入ってる写真を丁寧に撮影していた。2晩目のショウの後、ベンジャミンはプリントした写真を持って、ディランのバンドが宿泊していると聞いていたベスト・ウェスタン・ホテルに行った。彼はバーでバンドメンバーに、ディランと一緒に写っているステージ写真をプレゼントした。
 ベンジャミンが望んでいた通り、ひとりのバンドメンバーが彼を脇に連れていき、ディランがステイト・ストリートのウェリントン・ホテル(今はもうない)に泊まっていることをこっそり教えてくれた。彼が急いでウェリントンに行って、ロビーで張り込んでいると、午前3時頃、ディランとボディーガードがエレベーターから出てきてロビーに出てきた。ディランが通りかかった時、ベンジャミンはカメラを持ち上げて、写真を撮らせてくれとお願いした。頭が振り向いた。
 ディランは言った。「どうしてオレの写真が欲しいんだい?」
 ベンジャミンははっきり言った。「昨日と今日、2回ショウを見て、素晴らしかったからです」
 すると、ディランは立ち止まった。「気に入ってくれたのかい?」 ふたりはウェスト・ソーガティーズについて話し、ベンジャミンは天を指してるショットの大判プリントをディランにプレゼントした。この写真はソニーからリリースされた《Trouble No More / Bootleg Series #13》でも使われた。11月3日にリリースされたこのアルバムには1979年〜1981年のディランの音楽が収録されている。

The original article "The night a Union professor secretly photographed Bob Dylan" by Michael Hochanadel/For The Daily Gazette
https://dailygazette.com/article/2017/11/16/the-night-a-union-professor-secretly-photographed-bob-dylan-and-later-met-him


   
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