2016年10月16日

やっぱり記憶違いだったのか

 11月11日に《The 1966 Live Recordings》が出たら状況は変わりますが、今のところは1966年5月27日ロイヤル・アルバート・ホール公演の完全版音源は流通していません。【ISIS Selection 01】では実際にこのコンサートを見た複数の人物の記憶から、その中身を文字として再構成した記事を紹介しました。

 

【ISIS Selection 01】21世紀から探る1966年UKツアーの真実

by JJ・ステンゾスキ、イアン・ウッドワード他
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この曲(〈One Too many Mornings〉)は通常ならばエレクトリック・セットの6曲目に演奏されていたのだが、私は新曲の前に演奏されたことを覚えている。〈Just Like Tom Thumb's Blues〉と〈Leopard-Skin Pill-Box Hat〉の間だったかもしれない。クリントン・ヘイリン著『Rain Unraveled Tales』にあるコンサート・プログラムの写真には、持ち主が書いた5月26日の公演の曲目のメモも載っているのだが、ここでも〈One Too Many Mornings〉は4曲目となっている。この晩、曲順を変えたのだとしたら、次の晩も変えた可能性が高いのではなかろうか。

という定説のセットリストとは異なる思い出の持ち主もいるのですが、公表されたボックスセットの曲目によると、演奏曲順は他の日と同じです。実際にディスクを聞いてみるまでは100%確定とはなりませんが、定説が覆らない可能性のほうが高いです。

CD 28 -London, May 26, 1966 (CBS Records recording)
1. She Belongs to Me
2. Fourth Time Around
3. Visions of Johanna
4. It’s All Over Now, Baby Blue
5. Desolation Row
6. Just Like a Woman
7. Mr. Tambourine Man

CD 29 -London, May 26, 1966 (CBS Records recording)
1. Tell Me, Momma
2. I Don’t Believe You (She Acts Like We Never Have Met)
3. Baby, Let Me Follow You Down
4. Just Like Tom Thumb’s Blues
5. Leopard-Skin Pill-Box Hat
6. One Too Many Mornings
7. Ballad of a Thin Man
8. Like a Rolling Stone

CD 30 -London, May 27, 1966 (CBS Records recording)
1. She Belongs to Me
2. Fourth Time Around
3. Visions of Johanna
4. It’s All Over Now, Baby Blue
5. Desolation Row
6. Just Like a Woman
7. Mr. Tambourine Man

CD 31 -London, May 27, 1966 (CBS Records recordings)
1. Tell Me, Momma
2. I Don’t Believe You (She Acts Like We Never Have Met)
3. Baby, Let Me Follow You Down
4. Just Like Tom Thumb’s Blues
5. Leopard-Skin Pill-Box Hat
6. One Too Many Mornings
7. Ballad of a Thin Man
8. Like a Rolling Stone

   

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2016年10月14日

文学関係記事、これもありました

《欲望》収録曲を共作したジャック・レヴィーがボブの詩作の特徴について語ってます:

【ISIS Selection 12】悪魔に無関心な歌〜ジャック・レヴィー・インタビュー
http://heartofmine.seesaa.net/article/367640792.html

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2016年10月13日

ノーベル文学賞受賞記念といっても…

私が文学には疎いゆえ、このブログで過去に紹介した文学関係の記事はこれだけ:

クリストファー・リックスによるボブ・ディラン鑑賞法指南
http://heartofmine.seesaa.net/article/218823571.html

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2016年10月03日

新しいオルタモント本

 ジョエル・セルヴィン著『Altamont: The Rolling Stones, the Hells Angels, and the Inside Story of Rock's Darkest Day』が去る8月に発売されました。事件当時はローリング・ストーンズのツアー・マネージャーをやっていて、事件後は事後処理のためにひとりアメリカに残され、そのまま見捨てられていたところをグレイトフル・デッドに拾われて、今度はこっちのツアー・マネージャーになるという数奇な運命をたどったサム・カトラーがfacebookに書き込んだ読後の感想が「やっと公平な視点の本が出た。よくぞ書いてくれた」ということなので、早速お取り寄せ。約200点におよぶ参考文献をもとに丁寧にまとめられた本書は、1969年10月にデッドのマネージャー、ロック・スカリーがロンドンにやって来たところから始まって、時折、登場人物/バンドの紹介や背景説明をはさみながら、基本的には時系列通りに話が進む労作でした。オルタモントに至る道という大局を見失うことなく、トリビア的知識(あくまで「私のレベル」でね)も大量に含んでおり、飽きることはありません。



 例えば、こんなことはご存知でしたか?

・〈Gimme Shelter〉のゲスト・ヴォーカリスト、メリー・クレイトンはレコーディングに呼ばれた時、妊娠しててお腹がかなり大きかった。
・後に大監督になるジョージ・ルーカスは下っ端のカメラクルーとして撮影隊に参加しており、丘の上から望遠レンズでステージを撮影するのが主な仕事だった。コンサートが終わって皆が帰路につく幻想的なカットがルーカスの手によるもの。

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・殺されたメレディス・ハンターと一緒に来ていた白人の女の子は、過去に白人男子に嫌な思いをしていたので、もっぱら黒人の男子とばかり付き合っていた。
・ジェファーソン・エアプレインのセットでポール・カントナーと言い争ってたのが、へルズ・エンジェルズ・サンフランシスコ支部の中心メンバー、スイート・ウィリアム。(1968年冬にアップルに押しかけたのはこいつ。拙ブログのこちらこちらの記事も参照のこと)

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・ビル・ワイマンはイベント当日の昼間に連れと一緒にサンフランシスコ市内で買物を楽しんでおり、会場に到着したのは日没の直前。
・〈Under My Thumb〉後の混乱の中、新曲〈Brown Sugar〉を演奏しようと提案したのは、新入りのミック・テイラー。

 ミュージシャン以外の、ストーンズのスタッフやデッドのスタッフ、ストーンズのアメリカ・ツアーに関わったさまざまな人(ビジネス系の人)も過不足なく紹介しており、この本を読んだ後にあらためて映画『Gimme Shelter』を見ると(2012年10月にフジテレビの深夜枠で放送された字幕説明入りのものがオススメ)、ストーンズの演奏シーン以外の、これまで早送りしちゃってた部分の面白さが格段にアップします。まさに「へえ」のオンパレード。(この映画については、拙ブロフでこんなこぼれ話も紹介してます)
 ただし、気になることもいくつか。それこそ200点ほど記されている参考文献リストにグレイトフル・デッドのフィル・レッシュ自伝『Searching For The Sound』とビル・クロイツマン自伝『Deal』が載っていません。前者は2005年春、後者は2015年5月に発表されたものなので、スケジュール的に間に合わないことはないと思います。参考にする価値なしという判断だったのでしょうか? フィルの元カノで、初期デッドの写真をたくさん撮影したロージー・マッギーの回想録『Dancing with the Dead--A Photographic Memoir: My Good Old Days with the Grateful Dead & the San Francisco Music Scene 1964-1974 (English Edition)』なんていう超マニアックな本はリストに載っているので、グレイトフル・デッドが筆者の視界に入ってなかったわけではないようです。その場にいた重要人物本人の発言を敢えて紹介しなかったのは、どういう理由からなのでしょう? ショウ当日、ヘリポートでミック・ジャガーがデッドのメンバーと会うシーンは、フィルが自分の記憶に頼って書いたものより、後に発売された『ゲット・ヤー・ヤ・ヤズ・アウト!<40周年記念デラックス・エディション>(DVD付)』のDVDに収録された動画のほうが、やや正確ですけどね。
 ということで、フィルの本とビルの本からオルタモント関連の発言をピックアップして、視点のさらなる「公平」性を図りたいと思います:
フィル・レッシュ自伝『Searching For The Sound』 第11章より

 バンドはトラックの中で縮こまりながら、私達全員が感じていること----このギグでは演奏出来ない----に合理的説明を加えようとした。私が考えた言い訳はこうだ:音楽が皆をステージのほうに引き寄せてしまうと、フロントラインのフリークたちはそれに押されて前に出てしまう。すると、エンジェルズの魔の手が待っている。これだと暴力のサイクルは終わらない。そんなものは断ち切ったほうがいい。苦痛を長引かせるのはやめよう。私達が知らなかったのは、ストーンズが映画用の照明効果が最大限になるよう、日が没するのを待っていたということである。しかし、それが明らかになった頃には暴力はますます激しくなり、私達は完全に怖じけずいてしまい、リスクを冒してもステージに上がりたいという気持ちはなくなっていた。ということで、ストーンズのロード・マネージャーのサム・カトラーが事情を説明するためにやって来た際には、彼に対してこのことを認めたわけではないが、私達は口をそろえてきっぱりと出演を拒否したのだった。
(中略)
 今、私はグレイトフル・デッドが演奏しなかったことを後悔している。ついさっき行なった前言を翻すことになってしまうが、もし演奏していたら、音楽の力でイベントのリズムを少しは修正出来たかもしれない、絶え間ない暴力の洪水のスピードを遅くし、もしくは止めることが出来たかもしれないと思うのだ。事態がどう転ぶかなんて誰にもわからないのだから。最終的な分析をすると、私達は、憎悪の流れを逆にして、それを愛へと変えるために、音楽の力とコミュニティーのスピリットを信じて立ち上がることが怖じけづいて出来なかったのだ。立派な態度だったとは言えない。

ビル・クロイツマン自伝『Deal』

(第4章より)
 ギグがない時には、自分たちでそれを作り出した。無料で、ただ演奏したくて演奏したのだ。あの頃は、出来るだけたくさん一緒に演奏したいっていうやむにやまれぬ気持ちがあり、フリー・コンサートはやらずにはいられないことだった。ビジネスじゃなく冒険だった。(中略)フリー・コンサートを行なう時には、神のご意志であるかのような恩寵とともに全てがまとまった。
 無料のロック・コンサートっていう概念は年月を経るに従って変わっちまったが、次の点ははっきりさせておきたい。オレたちがフリー・コンサートをやった時には、スポンサー企業は一切存在してなかった。密約もなし。リベートもなし。ただスリルだけがあった。プレイしたかったからプレイしたのだ。こうしたギグは、演奏開始の数時間前に、メンバーのひとりがやりたい気分になって、決まったこともあった。

(第7章より)
 マスコミが押しかけた記者会見にミック・ジャガーが登場して、ストーンズはツアーの締めくくりにゴールデン・ゲート・パークでフリー・コンサートを行なう予定だと発表したので、もう後戻りは出来なくなった。こうしたイベントはこんなに前もって発表すべきでないことくらい、ミックだってわかっていたはずだ。密かな要素ってものが、オレたちが数々のフリー・コンサートを成功させてきた秘訣の1つだった。宣伝しちまっては、公園でそれを行なうちゃんとした許可を確保することなど、もはや出来ないのだ。
(中略)
 この日のラインナップはサンタナ、フライング・ブリトー・ブラザーズ、ジェファーソン・エアプレイン、クロスビー・スティルス&ナッシュ、グレイトフル・デッド、そしてローリング・ストーンズだったのだが、オレたちはそのリストから消えることにした。それについてちゃんとした話し合いが行なわれたのかどうかは覚えてないが、オレたちは演奏するのは無理だった。あのステージに出て行くなんて出来なかった。あんな敵意に満ちた状況で演奏するなんて無理だ。単に生存本能に従ったまでさ。
 ローリング・ストーンズはその時点でステージに出て行くべきだったのだが、あたりが暗くなるまで、さらに数時間待った。ここで連中の真の動機が明らかになった。コンサートを撮影して、ツアーのドキュメンタリー映画のクライマックスとして使おうって算段だったのだ。結局、このイベントはフリー(無料)じゃなかった。ストーンズ側はここから利益を得ようと計画してたのだ。それがこのイベントを覆っていた暗い影と関係してたのかもしれない。オレたちの経験じゃ、フリー・コンサートが成功したのは他の下心がない時のみだった。演奏するもしないも自由だった。どちらにしても身が危険にさらされることはなかった。

 上記2書および他のさまざまな記事では、ローリング・ストーンズが観客を何時間も待たせたという論調ですが(Wikipediaも)、『Altamont』はこの認識に少し修正を施しています。ストーンズがステージに登場したのは予定時刻を少し過ぎたくらいで、1969年ツアーの他のコンサートと比べたら、客を待たせてないほうです(ビル・ワイマンの会場着が日没直前だったので、早目にステージに出たくても出れなかったでしょう)。客が長時間待つことになったのは、ストーンズのせいというよりは、デッドが演奏しなかったからです。
 そもそも12月上旬のサンフランシスコの日の入はだいたい17:00で、映画『Gimme Shelter』には「午後6:20、メレディス・ハンターの死亡確認」というシーンもあるので、遅くとも19:00にはコンサートは終了していたでしょう。昼間に出演したクロスビー・スティルズ・ナッシュ&ヤングはセット終了直後にロスに飛び、UCLAのポーリー・パヴィリオンでコンサートを行ない、グレイトフル・デッドは日没直前にステージを終了し、晩にはフィルモア・ウェストでのコンサートが予定されてました。デッドはこんなことがあった後なので演奏する気になれず、こっちもキャンセル(そう言い出したのはクロイツマン)。当然のことながら、ビル・グレアムは大激怒したそうです。
 最後の最後に、今回のオルタモント本の決定的な間違いを発見してしまいました。p.306に「ロック・スカリーは映画には全く登場してない」と書いてありますが、してます。こんなに大きく映ってます。証拠↓:

Scully.jpg


  


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2016年08月13日

『ポール・マッカートニー死亡説大全』Amazonで読み放題

 『ポール・マッカートニー死亡説大全: ビートルズ末期に起こったロック史上最大の珍事』をアマゾンで読み放題に設定しました。こんなくっだらね〜トンデモ本、タダなら読んでやらないことはないという方、今がチャンスです。

フレッド・ラバー(誤)→ フレッド・ラボア(正)に直しながら読んでいただければ幸いです。

 

 youtubeにポールの顔の変化をまとめたこんな動画があります。頬がたるみ、シワが増えてきますが、鼻の形は同じ。途中で別人に入れ替わってはいないようです。

posted by Saved at 23:14| Comment(0) | TrackBack(0) | Beatles | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする