日本時間の9月12日夜に「SONY MUSIC | Vinyl」のサイトに曲目が載ったのですが、翌朝にはPage not found状態に。恐らく、これはLPではなく、CDの内容だと思います。幸いなことに、このページの内容をコピー&保存しておいたので、これまでに判明していたことと比較・対照し、今回、どこがどうリリースされるのかを整理してみました。全部いっぺんに記事を載せると大変なことになってしまうので、DISC9〜10枚分ずつ分割してアップします。これまでに判明していたこととしては、STILL ON THE ROADを参照しました。とはいえ、このサイトは2018年くらいでアップデートが止まってるようなので、その後の新情報は私の知る限りですが適宜追加しておきました。
Uncirculated ○ Mobile, Alabama, 29 April 1976 – Afternoon New Orleans, Louisiana, 3 May 1976 - Afternoon ○ Corpus Christi, Texas, 10 May 1976 ○ Austin, Texas, 12 May 1976 ○ Gatesville, Texas, 15 May 1976 Salt Lake City, Utah, 25 May 1976
Incomplete ○ Tallahassee, Florida, 27 April 1976 New Orleans, Louisiana, 3 May 1976 – Evening ○ Houston, Texas, 8 May 1976 ○ Wichita, Kansas, 19 May 1976
Disc 1 April 18, 1976 – Civic Center, Lakeland, FL
1. Visions of Johanna 2. If You See Her, Say Hello 3. Vincent van Gogh 4. Weary Blues from Waitin’ 5. I'll Be Your Baby Tonight 6. Maggie's Farm 7. One Too Many Mornings – Incomplete Seven Days Railroad Boy (trad.) Wild Mountain Thyme (trad) Blowin' In The Wind I Pity The Poor Immigrant Shelter From The Storm I Threw It All Away Just Like Tom Thumb's Blues Mozambique (Bob Dylan–Jacques Levy/Bob Dylan) Going, Going, Gone Lay Lady Lay Silver Mantis (Joseph Henry Burnett, John Fleming) Idiot Wind Knockin' On Heaven's Door Gotta Travel On
ボブのセットのオーディエンス・テープはありますが、SBD音源は初登場。でも最初の7曲だけ。
Disc 2/3 April 20, 1976 – Bayfront Civic Center Auditorium, St. Petersburg, FL
Disc 2 1. Mr. Tambourine Man 2. It's Alright, Ma (I’m Only Bleeding) 3. Vincent van Gogh 4. I'll Be Your Baby Tonight 5. Maggie's Farm 6. One Too Many Mornings 7. Seven Days
Disc 3 1. Railroad Boy 2. Wild Mountain Thyme 3. Blowin' in the Wind 4. Shelter from the Storm – Incomplete 5. I Threw It All Away 6. Tonight I'll Be Staying Here with You 7. Just Like a Woman 8. It Take a Lot to Laugh, It Takes a Train to Cry 9. Mozambique 10. Lay, Lady, Lay 11. Idiot Wind – Incomplete Knockin' On Heaven's Door 12. Gotta Travel On
Mr. Tambourine Man Tangled Up In Blue Vincent van Gogh (Robert Friemark) I'll Be Your Baby Tonight Maggie's Farm One Too Many Mornings 1. Seven Days 2. Railroad Boy 3. Wild Mountain Thyme 4. Blowin' in the Wind 5. Shelter from the Storm – Incomplete I Threw It All Away Isis 6. Going, Going, Gone 7. Romance in Durango 8. Lay, Lady, Lay 9. Idiot Wind 10. Knockin' on Heaven's Door 11. Gotta Travel On
《The Bootleg Series Volumes 1–3 (Rare & Unreleased) 1961–1991》に収録された〈Seven Days〉はこの日の演奏です。それ以外はボードテープは初出。
Disc 5 April 22, 1976 – Unaired TV Show (The Midnight Special), Starlight Ballroom, Belleview-Biltmore Hotel, Belleair, FL
1ST SHOW 1. Mr. Tambourine Man 2. The Times They Are A-Changin' It's Alright, Ma (I'm Only Bleeding) Girl From The North Country Don't Think Twice, It's All Right Visions Of Johanna Visions Of Johanna Tangled Up In Blue 3. Blowin' In The Wind 4. I Dreamed I Saw St. Augustine I Shall Be Released I Pity The Poor Immigrant I Pity The Poor Immigrant Mercedes Benz (Janis Joplin/Michael McClure) Mercedes Benz (Janis Joplin/Michael McClure) 5. When I Paint My Masterpiece Seven Days
2ND SHOW Oh, Sister One More Cup Of Coffee (Valley Below) 6. Like A Rolling Stone Leopard-Skin Pill-Box Hat It Ain't Me, Babe It Ain't Me, Babe A Hard Rain's A-Gonna Fall 7. Isis 10. Lay Lady Lay You're Gonna Make Me Lonesome When You Go Romance In Durango 8. Just Like A Woman Tonight I'll Be Staying Here With You Tonight I'll Be Staying Here With You Most Likely You Go Your Way (And I'll Go Mine) 9. Knockin' On Heaven's Door
ブートレッグ・ビデオで出回っている曲しか収録されないようです。曲は増えていません。〈Lay Lady Lay〉の位置は本当はどこなんでしょう?
Disc 6/7 April 23, 1976 – Sports Stadium, Orlando, FL
Disc 6 1. Mr. Tambourine Man 2. It's Alright, Ma (I’m Only Bleeding) 3. Vincent van Gogh 4. I'll Be Your Baby Tonight 5. Maggie's Farm 6. One Too Many Mornings 7. Isis – Incomplete
Disc 7 1. Blowin' in the Wind – Incomplete 2. Railroad Boy 3. I Pity the Poor Immigrant 4. Romance in Durango 5. I Threw It All Away 6. Seven Days 7. You're Gonna Make Me Lonesome When You Go 8. Lay, Lady, Lay Silver Mantis 9. Mozambique 10. Idiot Wind – Incomplete 11. Knockin' on Heaven's Door 12. Gotta Travel On
ボード音源は初出。
Disc 8/9 April 25, 1976 – University of Florida Field, Gainesville, FL
Disc 8 1. Mr. Tambourine Man 2. Simple Twist of Fate 3. Vincent van Gogh 4. I'll Be Your Baby Tonight 5. Maggie’s Farm 6. One Too Many Mornings 7. Isis
Disc 9 1. Blowin' in the Wind 2. Dink's Song 3. Railroad Boy 4. I Pity the Poor Immigrant 5. Shelter from the Storm 6. I Threw It All Away 7. Just Like Tom Thumb's Blues 8. One More Cup of Coffee (Valley Below) 9. Going, Going, Gone 10. Mozambique – Incomplete 11. Lay, Lady, Lay 12. Idiot Wind 13. Knockin' on Heaven's Door 14. Gotta Travel On
1967年頃には、インド音楽はガルシアの音楽生活において一過性の好奇心の対象ではなくなっていた。4月にラルフ・J・グリーソンが執筆したコラムの中で、ガルシアは自身が愛する音楽---ジャズ、ジャンゴ・ラインハルト、ソウル、リズム&ブルース、オールドタイム・ブルース、ジャグ・バンド・ミュージック、そしてインド音楽---をざっと挙げた。彼はインド音楽を何気なく挙げている。ガルシアにとって、インド音楽は他のあらゆる音楽と並んで当然の存在だった。この何気なさこそ、当時流行していたシタールのこれ見よがしの導入よりも雄弁だ。内なる構造を失うことなく自由をもたらす音楽にガルシアは惹かれていたのだ。 ベイエリアではそうした世界が皆の目の前でも融合しつつあった。1967年1月14日、グレイトフル・デッドはゴールデンゲート・パークで開催された「ヒューマン・ビー・イン」で演奏した。日が暮れかかる頃、アレン・ギンズバーグとゲイリー・スナイダーが集まった人々を率いて「オーム・シュリ・マイトレーヤ」を唱和した。ガルシアが個人的にその詠唱に加わったという証拠はないが、彼は確かに確かにその場にいた。この物語には脚色など必要ない。重要なのはその場面そのものだ。彼のギターは、インドの聖なる言葉、ビート詩、サイケデリックな理想主義、そして音楽の総体が同じ場を共有したあの午後の一部を成していたのである。 その2週間後、サンフランシスコに新しくオープンしたラダ・クリシュナ寺院の資金調達を目的としたイベント「マントラ・ロック・ダンス」がアヴァロン・ボールルームで開催された。A・C・バクティヴェーダンタ・スワミ・プラブパーダも出席し、アレン・ギンズバーグがキルタン(歌うヨガ)を主導した。参加したバンドは、経費を差し引いた残りを全て寺院に寄付出来るよう、控えめな出演料を受け入れた。 後の語り直しでは、ガルシアがプラブパーダの詠唱に直接加わっていたと描かれることもある。最も詳細な目撃証言では、参加したミュージシャンとしてデッドのフィル・レッシュとピッグペンの名前が挙がっているが、ガルシアの名前は出てこない。だからといって、この証言は彼が参加しなかったことを証明するものではない。確固たる証拠がない限り彼をその場面に加えるべきではないという歴史を語る上での約束事を意味しているに過ぎない。 この話に脚色など必要ない。ガルシアとグレイトフル・デッドは、サンフランシスコで足場を固めようとしていた新しいインドの宗教団体に実質的な支援を行うチャリティー・イベントに、大勢の観客を呼び込む一助となった。それだけでも十分に意味のあることである。 ほぼ同時期に、インドのリズムはベイエリアの広範な文化圏からグレイトフル・デッドのリハーサル・ルームへと入り込んだ。フィル・レッシュがミッキー・ハートに、タブラの巨匠ウスタッド・アラ・ラカのソロ演奏を収録したアルバムを聴かせたところ、ハートは即座にその魅力に引き込まれた。1967年12月にデッドがニューヨークへ遠征した際、彼はアラ・ラカとの面会を取り付けて、インドのリズムの細分化やサイクルに関する基本的な理解を得て帰ってきた。 カリフォルニアでは、ハートは1月のバンドのリハーサルにそれらのアイデアを持ち込み、ビル・クロイツマンと緊密に連携して作業を行なった。《Anthem of the Sun》期のデッドは斬新な拍子を追い求めていた。ブレア・ジャクソンはのセッションを〈The Eleven〉に直結させている。こうした経緯によって、ガルシアがターラ(インド音楽のさまざまなリズム)の弟子になったわけではないが、インドのリズム的思考がバンドの活動に明確に浸透していたことは明らかだ。今や、リズムの変幻するパターンを聞き取ってそれに反応し、集団即興へと昇華させる手助けをすることが、ガルシアにとって必須事項となっていた。 1968年9月20日、グレイトフル・デッドがアリ・アクバル・カレッジ・オブ・ミュージックのためのチャリティー・コンサートをバークリー・コミュニティ・シアターで行った際、インド音楽との繋がりはより一層具体的なものとなった。このカレッジは前年に偉大なサロードの巨匠ウスタッド・アリ・アクバル・カーンが設立したもので、ヒンドゥスターニー音楽が師から弟子へと伝承されていく忍耐と厳しい鍛錬を要するプロセスを教育の中心に据えていた。 このコンサートは録音テープが現存しており、ガルシアの公式資料の中にも記されているが、それによると、シャンカール・ゴーシュとヴィンス・デルガードがドラマーたちに加わっている。何年も後のことだが、カーンの息子アラムは、デッドが初期の資金調達活動にも協力し、父親のコンサートに対して音響面でのサポートも提供していたことを明かしている。その関係の全貌が解明されることは恐らくないだろうが、重要な点ははっきりしている。すなわち、グレイトフル・デッドは単に遠くからインド音楽を賞賛するだけにとどまらず、その伝統を存続させることに尽力する機関に対して時間と実践的な支援、そして観客を提供していたのだ。 現存するテープを聞くと、〈Saint Stephen〉から〈The Eleven〉へと途切れなく移り、その後、タブラの巨匠シャンカール・ゴーシュとドゥンベク奏者のヴィンス・デルガードによる長いパーカッションのパッセージへと繋がっている。1976年冬に配布されたラウンド・レコードのニュースレターに掲載された記事「ディガ・リズム・バンドの歴史」(https://www.deaddisc.com/disc/Diga.htm)には、ステージの様子が生き生きと描かれている:グレイトフル・デッドのアンプが脇へどかされ、ミッキー・ハートとビル・クロイツマンの間に2つの演奏台が現れると、4人のパーカッショニストがいくつかのターラを奏でた。同記事によると、締めくくりのリズム・パートはウスタッド・アリ・アクバル・カーンが作曲したとのことだ。 ただ、一点だけ矛盾がある。この記事ではこれらすべてが〈Alligator〉の演奏中に起きたと記されているのに対し、現存するテープやガルシアの公式アーカイブでは、このパーカッション・セクションの位置は〈The Eleven〉の後である。ハートが後にその演奏台について回想し、このエピソードを〈Alligator〉と結びつけているので、正確な順序は定かではないにせよ、その場面の描写自体は正しい可能性が高い。 ミッキー・ハートは後に詳しく語っている。ドキュメンタリー・ビデオ『Play Like a Lion: The Legacy of Maestro Ali Akbar Khan』(https://player.pbs.org/viralplayer/3055682604/)の中で、彼は一晩中座りっぱなしでインド音楽を聴いていたことを回想し、ガルシアがウスタッド・アリ・アクバル・カーンの演奏をいかに熱心に聴き入っていたかを語った。カーンの音楽がガルシアの演奏に取り入れられたのかという件について、ハートは即答した:「もちろんだよ」 彼はさらに、カーンと彼が設立したカレッジがなければグレイトフル・デッドは違うバンドになっていただろうとさえ述べている。この発言が重要なのは、わずか数フィートの距離から30年近くもガルシアの演奏に耳を傾け、それに応えてきたドラマーの言葉だからだ。これによって、これまで広く知られていた焦点が変わる。ラヴィ・シャンカールがガルシアの音楽世界の一部であったことは間違いないが、ガルシアとハートが夜遅くまで音楽に耳を傾けていたその部屋では、アリ・アクバル・カーンのサロードがシタールと同じくらい重要な役割を果たしていたのかもしれない。 聴くことはすぐに演奏へと変わった。ザキール・フセインは、1970年頃、ミッキー・ハートのバーン(カリフォルニア州ノヴァトに購入した農場の納屋{バーン}をスタジオに改造していた)で音楽を通じて初めてガルシアと出会ったことを覚えている。ほぼ4日間続いたジャム・セッションの場でだ。ルールは単純。音楽を決して止めてはならず、常に少なくとも2人が演奏し続けなければならないというものだった。ある時、フセインは納屋{バーン}の床で眠り込んでしまったが、数時間後に目を覚ますと、ジェリー・ガルシアとデヴィッド・クロスビーがすぐそばに立って、演奏し、歌っていた。彼は周りを見回し、ドラムを見つけると、彼らに加わった。 正確な日付は定かではないが、記憶に残るその光景は驚くほど鮮明だ。彼らの最初の音楽的交流は、入念に企画された「東洋と西洋の融合」コンサートなどではなかった。それは、ミュージシャンたちが出入りし、眠りたい時には眠り、それでも何とかして96時間近くも音楽を絶やすことなく続けられた納屋の中で、ほぼ偶然に起きた出来事だった。 ガルシアがインドの音楽的アイデアに関心を持っていたからといって、インドの影響を受けたあらゆる種類のフュージョンを賞賛していたわけではない。1974年のインタビューで、彼はジョン・マクラフリンの並外れたテクニックを認め、その演奏を傑出していると評した。しかし、マハヴィシュヌ・オーケストラには全く心を動かされなかった。ガルシアにとって、その音楽は「エネルギッシュというよりは神経質で落ち着きがない」ように聞こえたのだ。彼が求めていたのは「さらなる美しさ」と「もっと魂のこもった表現」だった。これは複雑さを否定するものではなく、ましてやインド音楽に対する批判でもなかった。ガルシアの主張はもっと単純なものだった。テクニックは目を見張るほど素晴らしいものであっても、そこに人間的な感情が込められていなければ、技巧だけでは彼の関心を長く引きつけることは決してなかったのだ。 1975年5月末には、この長きにわたる音楽的な対話は完全に公の場へと移っていた。ガルシアはディガ・リズム・バンドに加わり、ゴールデン・ゲート・パークで行われた無料の午後のコンサートに出演し、ザキール・フセイン、ミッキー・ハート、そしてベイエリアのインド音楽コミュニティにゆかりのあるミュージシャンたちと共に演奏した。
どの芝地だったかは歴史上の謎となっている。ガルシアの公式サイトでは、コンサートの会場をマークス・メドウとしているが、その後に行われた調査はこれに異議を唱え、スプリンクラーによって当初の会場が水浸しになり、ミュージシャンたちが道路を挟んだ向かい側のリンドリー・メドウへ移動せざるを得なかったと主張している。会場の場所については依然として議論の余地があるが、音楽そのものについては議論の余地はない。ガルシアはディガの演奏に加わって、アルバムによっては〈Happiness Is Drumming〉〈Fire on the Mountain〉と表記にぶれの楽曲を演奏した。 ディガとの共演はライヴ出演だけにとどまらなかった。1976年にリリースされたディガ・リズム・バンドのアルバムでは、ガルシアは〈Happiness Is Drumming〉と〈Razooli〉の2曲でギターを演奏している。後者の曲はグレイトフル・デッドの定番曲に直接関連するものではないために見過ごされがちだが、この曲の存在は、ガルシアが印象に残る実験に少し立ち寄っただけではないことを物語っている。タブラやドゥギ・タランが、ゴングやトーキング・ドラム、マリンバ、ヴィブラフォン、西洋式のドラムセットと並んで演奏される、打楽器を中心としたアンサンブルの中で、ガルシアは演奏した。これこそが大デッド・ファミリーの中に出現した、インド音楽+アメリカ音楽の真の融合体だった。 〈Fire on the Mountain〉は〈Happiness Is Drumming〉から発展したものであり、ザキール・フセインは1975年の公園コンサートの時点で既に、この曲を時間的に後のほうのタイトルで紹介している。しかし、音楽的な系譜と個々の著作権は一致していない。〈Happiness Is Drumming〉はディガ・リズム・バンドの共同作品としてクレジットされていたのに対し、完成したグレイトフル・デッドの楽曲はミッキー・ハートとロバート・ハンター作とクレジットされている。興味深い真実はそんなにきれいに整理できるものではない。デッドの最も長く愛され続けてきた曲の1つは、ガルシアのギターが、インドの音楽家たちと、拍のあり方に関するインド的な考え方によって形作られたリズムの枠組みの中を動いていく、そんな音楽的な土台から生まれたのである。 ディガの内部には、音楽と比べたら静かなもの、ヨガとのつながりも存在していた。タブラ奏者のオシム・チョードゥリの父親はハリダス・チョードゥリだった。ハリダスは1951年にサンフランシスコに渡り、シュリ・オーロビンドが開始した「インテグラル・ヨガ」のアメリカにおける初期の有力な指導者の1人となった人物である。 ラム・ダス(本名リチャード・アルパート)は1967年にインドへ渡ってニーム・カロリ・ババの弟子となり、その後数十年に渡ってバクティ・ヨガや瞑想、その他のインドの精神的伝統に由来する思想を説き続けた人物だ。ラム・ダスは長年を経たのちに、多くの人々がグレイトフル・デッドの周囲で体験したものを表すのにぴったりなスピリチュアルな言葉を見出した。彼はガルシアへの追悼文の中で、デッドを「部族でも…家族でもない」が、「音の海」を漂う「意識の泡」であると記した。また、その音楽を、スピリチュアルな実践であり、人々が自分自身のより深い部分に到達するための入り口であると説明した。 だからといって、デッドがインドの宗教的詠唱を意識的に手本としてコンサートを成立させていたことが証明されるわけではないが、インドの精神的伝統に深く影響を受けたある師が、そうした集まりをどのように理解していたのかを示している。つまり、コンサートとは「注意を向け、解放され、共に耳を傾けるスペース」なのだ。ガルシアはステージから説教をすることはなかった。彼は人々が共に音楽の世界に入り込めるような環境づくりを助けたのだ。 キャリアの後半において、真に重要なコネクションがサンジェイ・ミシュラと繋がった。ガルシアは1994年7月、デボラ・クーンズ・ガルシアに同行してワシントンのグリーンピース全国本部を調査訪問した際、カルカッタ生まれのギタリスト、ミシュラと出会った。当時、ミシュラはそこで働いており、ガルシアと話をした後、自身のデビュー・アルバム《The Crossing》を手渡したところ、数日後、ガルシアから電話があった。彼はその音楽を聴いて気に入り、ミシュラの次のレコーディングに参加したいと申し出た。 ミシュラが「なぜこのコラボレーションがうまくいくと考えたのか」と尋ねると、ガルシアはその音楽を「ちょうど良い中間点」と呼び、「オレには伝統的なものはできないんだ」と付け加えた。この言葉は、この記事全体の中で最も本質を突いたものかもしれない。ガルシアはインドの古典音楽を十分に尊重していたからこそ、自分の知識の限界を認識していたのだ。彼は伝統を模倣したり、その一員であるかのように装ったりする必要はなかった。ガルシアに必要だったのは、すでに独自の音楽言語によって異なる世界の間を既に自然に往来しているミュージシャンだったのだ。